「金曜日問題」とは何か

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話の広場 広島大学読書会

「週刊金曜日」という週刊誌があることをご存じでしょうか。

本多勝一、筑紫哲也、落合恵子、佐高信など、日本の有名な「進歩的文化人」が編集委員に名を連ねている雑誌です。井上ひさしも発刊の呼びかけ人で、1年間ぐらいは編集委員に名を連ねていました。

通常読者になるためには半年以上定期購読する契約を結ぶ必要があります。また普通の本屋では手に入りにくいために、一般の人の目に触れにくい雑誌です。

私も実は第一号以来の読者でしたが、次第に編集部の奇妙な編集方針や、誌面での差別事件などで批判的になり、今では定期購読を中止しています。

雑誌が自分の気に入らないと言うのは、もしそれだけであれば、実に個人的なことです。いくら自由な言論が保証されている電脳空間でも、そんなことを問題にすべきではないと思います。

しかし「週刊金曜日」への違和感は、単に好き嫌いの問題を越えたものがあります。

何より「金曜日」の読者の多くは、エイズ問題や環境問題など、私が真剣に取り組まなければならない課題を共有する人たちです。

なおかつ私が問題にしていることは、そうした課題に共同して取り組むうえで、ないがしろに出来ないことでもあります。

結論を急ぎすぎたようです。とりあえず、金曜日から私が離れていった過程を述べましょう。


問題の発端

私は1950年生まれであり、青春時代はベトナム戦争の激しかった頃でした。子どもなりに本多勝一氏の「戦場の村」などを一生懸命に読んだ記憶があります。

しかし久々に読んだ本多の文章は、「一流のジャーナリスト」という自負心ばかりが鼻につき、その論旨が穴だらけと私には写りました。

私は「論争する雑誌」「タブーに挑戦する」という雑誌のうたい文句を馬鹿正直に信じて、まず本多批判をとおして雑誌に参加する道を選んだのです。

私は「金曜日」編集部に、ほぼ毎週のように誌面批評を送りましたが、採用はされませんでした。以下にそのいくつかを掲げます。

「英語帝国主義」か「言語国粋主義」か

本多勝一氏が本誌第11号で日本人の英語にかみついているが、その言語国粋主義にはついていけない。

「チ−ム」を「ティ−ム」と発音する人間にいたくご立腹のご様子だが、なぜそう発音したからといって「知ったかぶりか植民地人間かカイライか」「家畜人」とまで言われなければならないのか。

母国語でない言葉を、母国語のようにしゃべるなどと言うことは、本来不可能なこと。何年間韓国語を勉強したからといって、韓国人のようにしゃべれるはずはない。それをしも「家畜語」というならいえ。

ネルソン・マンデラの英語も、イングランド人の英語とは違うから「家畜語」ですか。マルカムXはアメリカ黒人にいったい何語で呼びかければよかったのですか。

 ついでながら「teamの本当の子音や母音の発音ではない」と言われるが、どういう基準で「本当の子音や母音」でないといわれているのか。

 あの狭いロンドンでさえ、「テ−ムズ川を渡っただけで言葉が変わる」と言われている。ましてアメリカ大陸、オ−ストラリア、アフリカと広げていけば、「本当」の英語とは何のことやらわからない。(どこに「本当の日本語」があるのですか)

 英国に限っても、キンギスイングリッシュばかりが英語であるのではない。ロンドン訛りだって、「伝統のある」英語である。もしこの事実を認めるならば「teamの本当の子音や母音の発音ではない」という、そもそもの議論の前提が壊れる。キンギスイングリッシュの本場で、イングランド人が「家畜語」をしゃべっているという世にもおかしなことになる。

 自分勝手な物差しで世の中を測る馬鹿はやめた方がいい。知性のなさを暴露するばかりだからだ。

 しかもこの「本当」という言葉の背景には、「自分は本当の(あるいは正しい)英語を知っているぞ」という嫌らしいインテリの自負心がある。(そうでなければ「本当の子音や母音の発音ではない」と判断ができるはずがない。)

インテリが、自分の独占物であるべき外国語を、「無知な大衆」が操ることに我慢できなくなったのか。いずれにしてもはらわたの腐った奴である。

私も「家畜語」を勉強して10年になるが、それなりの利点があると思っている。例の昭和天皇の葬式の騒ぎの間も、外国の動き程度はわかったし、未だに南米やアフリカの人々の動きをつかむのに、英語放送・雑誌が重宝している。

 なによりも、「言語帝国主義たるイギリス語(イングランド語)」などと言い募っているご本人が、というより我々日本人そのものが、漢字、カタカナ、ひらがなと、日常の言語表現手段のすべてにわたって、<漢語帝国主義>に骨の髄まで犯されていることに無自覚では―それどころか、漢語帝国主義に犯され続けている幸せを、特に「愛国的文化人」のみなさまが高らかにうたい続けている―、単なる笑いものではないか。

重箱の隅をほじくるようで申し訳ないが、「イギリス語(イングランド語)」という表現も正しくはない。イングランド語がイギリス語になったのは、他の多くの言葉を抹殺してきたからであって、もともとイギリスという国−もっと外務省的に厳密に言えば「連合王国」となるが−のすべてで話されていたわけではない。

 さらにイギリスを支配した征服者の言葉、ロ−マ人、フランス人、ノルマン人の言葉が、英語の中にわかち難く入り込んでいるのでもある。

 結局、共通語はそれが広がっていく過程で、他の言葉を圧迫し、自らも変化していくものである。我々が使っている日本語だとて、アイヌの言葉、沖縄語に対しては英語と五十歩百歩のはず。日本人英語にめくじらをたてるのは知性的とは思えない。

本多氏の食言癖に苦言を呈する

 今度は怒らないようにと思いながら、本多勝一氏の「貧困なる精神」を読み、憤っている自分に気づきます。今回(本誌17号)はテーマがゴルフであり、環境破壊のゴルフ場に反対している身としては、怒る必要はかけらもないはずでしたが・・・。

 まず腹が立ったのが、「世界でも希に美しく恵まれた自然のこの日本」という表現です。これを普通、日本人の独善と言います。本多勝一氏は亀井勝一郎か、川端康成の生まれ変わりですか。

 世界中の人々は、皆自分の郷土、祖国の自然を愛し、誇りを持っているという、簡単なことに気づかないジャ―ナリストなど、願い下げです。どこの国を指して、自然が美しくないと言っているのか、特定すべきです。

さらにゴルフをさして「下品な遊び、無教養で野蛮な人間にふさわしい下等スポ―ツ」「スポーツとして二流以下」といっていますが、スポーツに、またはそのスポーツを好む人間に、等級をつけて喜んでいる神経には恐れ入ります。

 おそらく「ゴルフは紳士のスポーツ」という宣伝に対する、アンチテーゼぐらいのつもりでしょうが、スポーツに品の善し悪しなど、あってたまらないと思う方が健全ではないですか。

むしろ、仕事の延長としてのゴルフだの、はやりのスポーツに、猫も杓子も群れたがる精神の方にこそ、問題があるのではありませんか。

  「教養人、洗練された人にふさわしい上品なスポーツ」で環境破壊が起こったらどうされるのやら、心配になります。ま、これはいらないお世話でしょうが。

ついでに「極右民族派」らしくない、世論への迎合に苦言を呈したいと思います。それは「ノーゴルフ国際フォーラム’94」という集会に、一言の注釈も批判もつけられないことです。

 この集会の題名は、「国際」をのぞけば、すべて英語あるいは英語もどきです。確か本誌11号で、本多勝一氏は「チーム」を「ティーム」と発音する人間を、「知ったかぶりか植民地人間かカイライか」「家畜人」と、口を極めてののしっていました。この集会の主催者の「家畜人」度は、「ティーム」の比ではないはずですが、あれはいったいどこにいってしまったのですか。

「ティーム」は気に入らないが、「ノーゴルフ国際フォーラム’94」はかまわないというならば、それは無責任な放言、寝言以下だと言わなければなりません。

 本多勝一氏に求められていることは、自らの「精神の貧困」に目を向けて、「かつて『貧困なる精神』などという公害コラムがあった」といえる状況を作ることではありませんか。

編集部のみなさまへ

 再び「ボツ原稿」をお送りいたします。

 「論争する雑誌」という看板は下ろされたのですか。今まで見る限り、「ボツ原稿」で私が指摘してきた問題点が、(筑紫哲也氏のコラムをのぞいて)誰かの手で取り上げられてはいないと思います。その意味で 「論争する雑誌」は、みかけだけ、という感想を持ちます。

 狭いサークル根性を持ち続ける限り、「朝日ジャーナル」の二の舞になりますよ。

 

本多式政治論の貧しさを憂う

本多勝一氏が「週刊金曜日」に連載中の、「腐った政治屋集団を捨てて本当の「新党」を創り出そう」という大演説を、苦痛を我慢しながら読み終えた。だが徒労だった。

 本多勝一氏の演説に欠けているものが二つあり、それが致命的なものだからだ。一つはなぜ「既成政党」がダメなのか、あるいはダメになったのかということに対する洞察がないと言うこと。

 もう一つは、日本共産党の評価が欠落しているということ。

「既成政党」がダメだと言うことぐらいは、パンクやヤンキーの若者たちだって、マイクを向ければ言うだろう。だから新しい党、政治集団をと言われたとしても、呼びかけている人がどんな人物なのか、なにを考えているのかもわからずに、ついていけるほどナイーブではない。

 革新派、市民派の政治集団を作ろうという動きにしても、実は山のようにあったはず。(極右民族派を自称する本多勝一氏が、極右の台頭に警鐘を鳴らしているのも妙な話ではあるが、それはさておき)

 問題はその陰謀やらサークルやらのことごとくが失敗し、緑の党も民主派勢力もつくれなかったという反省が、呼びかけている人間にあるかどうかと言うことである。

 あいつ等は腐っている、だからおれが、と壮士ぶってみせるのも結構だが、それぐらいでは、政治そのものに絶望した、我々日本の有権者を立ち上がらせるには、説得力が不足しているはずだ。

 もう一つの問題は、憲法改悪反対、土建屋政治反対、環境破壊反対というスローガンを実現するのに、なぜ「日本共産党を強くしよう」、あるいは共産党の得票をのばそうという動きにならないのか。大演説のどこをひっくり返しても、その答えが得られないと言うことである。

 連合政権ができて以来の共産党の動きが、本多勝一氏にとって我慢のならないものではなかったことは、想像に難くない。

 談合も密室取引も野合もしていないというのに、なぜか共産党という組織にたいする積極的な評価がない。

 それどころか、自民党の良識派から社会党の造反派まで含んだという、今の細川野合政権と本質的にどこが違うのかわからない大連合構想に、共産党のみがこっそりと排除されている。これはフェアーではない。

 本多勝一氏が過去、個人的に共産党とどんな関係があったのか、そんなことには興味もない。

 しかし、総与党化、総保守化し選択肢がないことが日本の政治の最大の問題点だと、真剣に現状を憂えるのならば、もっとも緊急な課題で、立場の近い共産党に共同歩調をとるように呼びかけられないのか。それもできないというのならば、自己の度量のなさを暴露するのみだろう。

本気で政治に乗り出そうというのならば、個人的感情や組織欲を真剣に捨てない限り、できはしないと思う。本多勝一氏にその覚悟があるのか、私は懐疑的だ。


私としては、「金曜日」編集部に警告を発したつもりでしたが、「蛙の面にションベン」ほどの効果もありませんでした。

このころから勝手な思いこみと論旨の飛躍の目立つ記事や投稿が、特に環境問題や政治問題を巡って、目に付き始めました。

私が投稿した原稿が始めて掲載されたのも、そういう議論を巡ってでしたが、私が金曜日と本気で決別する決意をしたのも、実は(皮肉なことに)この投稿を契機にしてでした。

改竄された原稿

私はそれまでナイーブにも、都合の悪い文章を改竄するのは、右翼評論家であって、「進歩的文化人」や「良心的ジャーナリスト」は、そのようなことはしないと思っていました。でもそれは全くの勘違いでした。とりあえず、医療問題を巡って私が投稿した原文を以下に掲げます。


 本誌でも医療問題を扱った投書があるが、一般にそのレベルの低さと不正確さに目をおおいたくなる。たとえば14号の「欠陥遺伝子を取り込んでしまった人類」。これは、ナチスばりの真性の優性思想である。

投稿した人の頭の中には、環境汚染―遺伝子障害―疾病―人類の滅亡という図式があるのだろうが、ある遺伝子(より正確に言えば遺伝資質だろうが)が善であり、ある遺伝子が欠陥であるという判断ないしは評価をどんな基準でするのか。

たとえば血友病などは、遺伝する病気であり、現に存在する日本の「優生保護法」では、断種さえ肯定されている。この病気の持ち主は、「欠陥遺伝子」を持った脅威の存在と言うことになるのだろうか。

 「死に至る奇形」「喘息」など病気は、欠陥遺伝子が「根因」だと言っているが、その科学的根拠を示すべきだ。遺伝子障害がなくても、身体奇形は起こりうると言うのが、我々医師の常識だが、それを覆すような事実があれば教えてほしい。

後藤文彦様からご指摘をいただくまで、間違いに気づきませんでした。もちろんこれは「クオーク」が正しいのです。

 15号の「ガンの原因はなにか」という投書も、私などには全く意味不明である。発ガン物質を原子ないしはクオーツ(まま)になぞらえているが、誰も癌の「究極」の原因を探るために研究しているのではないと言っておきたい。

投書をされた方の揚げ足をとるようで恐縮だが、「発ガン性の農薬や食品添加物」「放射性物質」の発ガン性は肯定している(少なくとも私にはそう読めた)一方で、「天然の発ガン物質」「タバコ」の発ガン性は「馬鹿げたこと」といって一蹴する。いったいどんな根拠で?

 「発ガン性の農薬や食品添加物」「放射性物質」がほとんどないような時代でも癌で亡くなっていった人々はいた。また遺伝的にガンにかかりやすい家系のあることもわかっている。(たとえば母親や姉妹が乳ガンにかかると、その子どもや姉妹もかかりやすくなる)

 ある種のウイルスは、感染するとある確率で人に癌を発生させることがわかっている。たとえばC型肝炎ウイルス、B型肝炎ウイルス、HIVウイルスなどがそれである。しかし、そのウイルスに感染していなくても、癌が起こることがある。

 このように、現在の段階で、「ガンの原因はなにか」と言う問いに対して、安直な「哲学的考察」や、単なる思いこみで、すらすらと答えを出せる状態にないことだけは確かだ。

確認されているだけで、発ガンに関係する物質は、食品添加物、農薬に限らず何百とある。そのことと、投稿された方の世界観が合致しようがしまいが、私はいささかの興味もない。ただし、学問のつまみ食いだけはしてほしくはない。それはデマゴーグの常套手段だからである。

似非医学を振り回すデマゴーグの金字塔としては、柴田二郎氏の「医者の本音」という本がある。市民派と右派の違いはあるが、「論理」構造は酷似している。他山の石として一読されることをお奨めする。


次にこの投稿がどんな形で掲載されたかをお示しします。


 本誌でも医療問題を扱った投書があるが、一般にそのレベルの低さと不正確さに目をおおいたくなる。たとえば14号の「欠陥遺伝子を取り込んでしまった人類」。これは、ナチスばりの真性の優性思想である。

投稿した人の頭の中には、環境汚染―遺伝子障害―疾病―人類の滅亡という図式があるのだろうが、ある遺伝子(より正確に言えば遺伝資質だろうが)が善であり、ある遺伝子が欠陥であるという判断ないしは評価をどんな基準でするのか。

たとえば血友病などは、遺伝する病気であり、現に存在する日本の「優生保護法」では、断種さえ肯定されている。この病気の持ち主は、「欠陥遺伝子」を持った脅威の存在と言うことになるのだろうか。

 「死に至る奇形」「喘息」など病気は、欠陥遺伝子が「根因」だと言っているが、その科学的根拠を示すべきだ。遺伝子障害がなくても、身体奇形は起こりうると言うのが、我々医師の常識だが、それを覆すような事実があれば教えてほしい。

 15号の「ガンの原因はなにか」という投書も、私などには全く意味不明である。発ガン物質を原子ないしはクオーツになぞらえているが、誰も癌の「究極」の原因を探るために研究しているのではないと言っておきたい。

投書をされた方の揚げ足をとるようで恐縮だが、「発ガン性の農薬や食品添加物」「放射性物質」の発ガン性は肯定している(少なくとも私にはそう読めた)一方で、「天然の発ガン物質」「タバコ」の発ガン性は「馬鹿げたこと」といって一蹴する。いったいどんな根拠で?

「発ガン性の農薬や食品添加物」「放射性物質」がほとんどないような時代でも癌で亡くなっていった人々はいた。また遺伝的にガンにかかりやすい家系のあることもわかっている。(たとえば母親や姉妹が乳ガンにかかると、その子どもや姉妹もかかりやすくなる)

 ある種のウイルスは、感染するとある確率で人に癌を発生させることがわかっている。たとえばC型肝炎ウイルス、B型肝炎ウイルス、HIVウイルスなどがそれである。しかし、そのウイルスに感染していなくても、癌が起こることがある。

 このように、現在の段階で、「ガンの原因はなにか」と言う問いに対して、安直な「哲学的考察」や、単なる思いこみで、すらすらと答えを出せる状態にないことだけは確かだ。

確認されているだけで、発ガンに関係する物質は、食品添加物、農薬に限らず何百とある。そのことと、投稿された方の世界観が合致しようがしまいが、私はいささかの興味もない。ただし、学問のつまみ食いだけはしてほしくはない。それはデマゴーグの常套手段だからである。

似非医学を振り回すデマゴーグの金字塔としては、柴田二郎氏の「医者の本音」という本がある。市民派と右派の違いはあるが、「論理」構造は酷似している。他山の石として一読されることをお奨めする。


 おわかりいただけたと思いますが、編集部は、私が具体例を挙げて自分の主張を立証しようとした部分だけを、実に「丁寧」に削り取ったうえで掲載したのです。

しかもこの文章の字数は、編集部の掲げる規定どおりに厳格に制限して書いてもいたのです。

「天然の発ガン物質」「タバコ」の発ガン性を否定する人物の虚妄が誰の目にも明らかになるのをおそれたのではないだろうか。そうとしか解釈できないのです。

この原稿の1〜2ヶ月前、私は、編集部の「検閲」の可能性に言及していたが、まさかそれが現実のものになるとは考えもしなかったのです。


「応募規定」に異議あり。

<<論争をする雑誌>>を標榜しながら、字数制限を設けるとはどういう神経か。

一般読者には原稿用紙3枚分のスぺ−スしか用意せず、その字数でものをいえとは尊大ではないか。

また「趣旨を変えない範囲で手を入れる」というのも、ていのいい検閲だ。私は、何度もその手で、朝日新聞その他に原稿を改悪されたことがある。

原稿の長さを決めるものは、その内容以外であるはずがない。又校正をした原稿は著者の確認をとるのが礼儀ではないか。まさか依頼原稿までも著者に勝手に改変しているわけではあるまい。「応募規定」に、マスコミに暮らす人間のおごりと差別意識を感じるのは私だけだろうか。


残った部分は科学信仰のヒステリックな医者の恫喝です(案の定そのように同業者から誌上で批判されました)。

旧日本軍参謀部が机の上で模型を用いて作戦のシミュレーションをやったら、日本軍がぼろ負けしたのだそうです。そうすると怒った参謀の一人が「大和魂で勝った」と結果をひっくり返したという話を聞いたことがあります。

金曜日の投書欄がまるで最初から勝ち負けの決まった戦争ごっこに堕しているのではないか、そう思います。

金曜日への絶望

案の定、この「高飛車な」医師の発言に対して、北海道在住の同業者から「女子どもは黙っていろ」という恫喝であるという奇妙な反論がきました。
私はその人に編集部を通して手紙を書きましたが、果たして彼のもとに届いたやら、非常に不安です。

 先日の私の投書が、藤井様により批判されましたが、私が用いた「つまみ食い」と言う言葉の意味を完全に誤解されているようです。

 自分の議論にとって都合のよい部分を切り取って、自分の主張にあたかも学問的根拠があるかのように装うこと、それを私は「つまみ食い」とよんだのです。

 HIV感染症の悲惨な側面のみを「つまみ食い」して、患者差別をばらまき、診療拒否を正当化する輩。てんかん=不治の病という差別意識に基づいた「頭脳警察」という作品をものにし、その医学的正確さを誇りながら、時代遅れを指摘されるや「文学論」の殻に閉じこもった筒井康隆、などなど。

 私が関係している薬害スモンの裁判でも、東京高裁の裁判官は医学のつまみ食いをし、幾度にもわたりスモンと確定診断の下った原告を「スモンであるかどうか疑わしい」と切り捨てたのです。(スモン訴訟の確定判決を求める会の資料を参照のこと。)

藤井様の口吻を拝借するならば、私にとって「医学」は自らの身を守る「盾」ではありません。現実を批判する「矛」です。「おいしそうなところだけをつまんであじわう」お気楽な姿勢で取り組むなど私には考えられません。

私は正確な医学知識が医師でなければ獲得できないなどと考えたこともありませんし、女子どもは黙っていろと脅したこともありません。(何でこのようなたとえが出てくるのやらわかりません。専門家=大人の男ではないでしょう。)事実HIV感染症については一般の医師よりも感染者のほうがはるかに正確な知識を身につけています。

 問題は言論に対する責任の問題です。善意からの発言を装いながら、明らかな誤り・論理のすり替えから出発し、差別・健康被害に手を貸す論議には同調できません。デマはデマです。ゆるがせには出来ません。

 農薬と原発は嫌いだからその発ガン性は肯定するが、タバコや食品の発ガン性は認めず、煙草産業の国際陰謀に手を貸す(「Medicine and Global Survival」最新号参照)。遺伝子障害の恐怖を訴えるフリをして、血友病などの遺伝病への差別をばらまく。こんなことに「寛容」でいられるのならば、そんな専門家の発言など誰も信用はしないでしよう。

 もし私の「つまみ食い」発言が、「素人は黙っていろ」というふうにひびいたとしたら、残念です。私の批判の本来の目標は、科学と論理に従わない似非「専門家」なのです。

ただ私は「週刊金曜日」誌上で論争することに悲観的です。なぜならば「西村有史」という名を冠して掲載された文章は、その大事な部分を執筆者に断りもなく無惨に削り取られたものだからです。それも字数制限の枠中で書いた上でです。文章の首尾一貫性を台無しにしてテンと恥じない似非ジャ−ナリズムを舞台に論争してもしかたないと思います。

藤井様

 先日の投書への再反論をお送りします。本文中にも書きましたが、私は「週刊金曜日」誌上を使っての論争にはきわめて否定的です。創刊以来、編集部、編集委員の事大主義、官僚主義を批判し続けましたが、黙殺され、その揚句に投書の改竄です。

 ご参考までに改竄前の投書とこれまでに編集部に送った投書のごく一部をお送りします。

投書に目を止めていただきありがとうございます。実践の場で共通の目標に向かって仕事が出来ればと希望しています。どうぞお元気でご活躍ください。(この項続く)


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