おたずねにこたえて


自家頁を開いて、多くはないが質問や批判が届き始めています。こうした質問に答えて、私の考えをより詳しく述べる場所をもうけることにしました。


◆◆ 目次 ◆◆

アルコール中毒の話、壁紙のことなど
HIVに感染した歯学部学生のことで質問
「エイズ患者診ます」読後感想など
読者増殖企画提案
薬害エイズのこと、ダイオキシンのこと
バブルと経済学
ホロコースト、ガス室のことについて
あの、西村かい?
ヨタ記事、ヨタ評論家のこと追加
ヨタ記事、ヨタ評論家のこと
抗体検査を受けましたが、不安です
同業者からの感想メール
なぜ毎日新聞なのですか―みょうがさんからのメール
木村愛二氏の批判に答える
本多論について木村愛二氏とのやりとり
HIVに感染していませんか?
本多勝一流「家畜語」論の背景にあるもの


お客様より

アルコール中毒の話、壁紙のことなど

西村先生こんにちは。

「きりきりの書庫」のkirikiriです。

先生のページの「お花いっぱい」に色々な意見が出ているようですが(笑)せっかくのご自分のページですから思う存分やられるのが一番ですよ!

ただ、「10代20代向けのものばかりで、なかなか適当な素材が見つからない」には私も同感です。

私のページで使っている素材の一部は、50代(←確か)の女性のページから頂いたもので、ここには結構シックなものが沢山あったのですが、URLを忘れてしまいご紹介できません・・・

探せばきっと「落ち着いた」雰囲気の素材屋さんが見つかると思います。

ところで、そのお花の「今日の一言」のタイトルロゴなのですが本文の最初の数行を隠してしまっています。

ひまわりのロゴになってから、頭の数行が読めません。

私が使っているのはウィンドウズ95でブラウザはネットスケープ4.05です。

さて、先週、先生は講演をされたと「今日の一言」に書いていらっしゃいましたが、私の方は、先週はお医者さんによる講演を聴く機会が2回もありました。

考えてみますと、お医者さんの講演を聞く機会は案外多いです。

で、お話は大抵おもしろいです。

先週聞いた講演の一つは「アルコール依存症」を扱っている精神科のお医者さんの話だったのですが、その中で、アルコール依存症の患者の治療に関して内科の医師との連携がうまく取れないのが課題だ、とおっしゃっていました。

この先生は、「内科の医師はアルコール依存症への理解が今一つ」だとちょっと不満に思っていらっしゃるようでした。

内科では「アルコール依存→酒は一切ダメ」という指導はしないものなのですか?

(この講演の先生の話ではしていないということみたいなのですが。)

と言うか、「この人はアルコール依存らしい」ということは一般にあまり考慮されていないものなのでしょうか?

ちょっと疑問に思ったもので内科の開業医である西村先生に質問してみよう、とメールを出してしまいました。

この「アルコール依存症」をやっている先生は「内科の医者は『アルコール依存の患者は嘘をつく』って言うんだよ〜」「ストレートに質問をぶつけても、そりゃ嘘つくだろうから、質問の聞き様だと思うんですけどね」ということも言ってました。

アルコール依存症の人に限らず、医者に嘘をつくことって案外多いかも・・・と思います。

西村先生も「本当のこと」を聞き出すために苦労されているのかもしれませんね!?


亭主より

西村より

やはり受けたのでしょうか

ははは。

花だらけの模様替えは、思ったより反響が多かったようです。

ま〜。自力で壁紙を作ったり、タイトルロゴを作ったりできればいいのですが、絵はからっきしだめで、やはりどこからか探してこなければいけません。

今度はどこかもう少し落ち着いたのにしようと思います。

さておたずねのアルコール依存症のことですが、昔苦い経験をしたことがあります。

ある中年の女性で、手がふるえるといって私が勤めていた病院に来られた例です。

診察すると確かに手が細かくふるえているし、脈は速い。汗もかいている。

これは甲状腺機能亢進症=バセドー病だろうと思い入院していただきました。

ところが検査してもバセドー病ではない。

おかし〜な。そう思いながら、ちょうど任期が切れたので、ほかの患者と一緒に後任の医者に引き継ぎました。

2週間ぐらいして、病院に行ってみると、その患者が1週間ぐらいでアルコールの禁断症状を起こしたと聞きました。

脈が速いのも手がふるえるのも、アルコール依存の症状だったのです。

昔私が仕事をしていた筑豊地区は、アルコール依存症の多い地域でしたが、その患者さんは専業主婦で、本人も酒は頭から否定していたので、完全に虚をつかれた感じでした。

それから2年ほどして、患者はアルコールのために命を落としました。

押入には、ウィスキーやビールの瓶が山のように隠されていたそうです。

お客様より

HIVに感染した歯学部学生のことで質問 美嶋カルホさんから

こんにちは。はじめまして。

美嶋カルホともうします。

バイアグラや、エイズ、断筆宣言などなどについて 私も興味があるのでわくわくのサイトなのですが、 ちょっと時間的にゆとりがなかったのでまだ読んでません。

これからぼちぼち読んでゆきたいと思っています。

さて、今日は西村さんはHIVのことについても 深くかかわっておられるとのことで、先日知った とある事件について少し私の考えを聞いていただき たいのです。

その事件というのが、鹿児島大学の学生でエイズ感染者が いたことが公にされてしまったという事件です。(という ことがメインじゃないのですが。) もうご存じかと思いますが。

ただの学生がエイズ感染者であったということではなく、 それが歯学部の学生で、臨床実習の際に自分がエイズ感染者で あることを告げずにいて、それを診断した先生が、実習する 教授に「本人に了承を得ないまま感染者であることを教えて しまった」ということを、訴えたという話でした。

(すみません、夕食時のテレビを見ただけの情報なので、 細かい所までは覚えてない&医療的なことはよく判らない ので表現し切れてないのですが、だいたいはこのような話でした)

訴えた学生側は「親にも云えずに苦しんでいたことを 自分の了承をなしに、第三者に話してしまうことは 医師の守秘義務に反する」という主張だったのですが。

でも、でも、私は思ってしまいました。 「その訴えは聞き届けられるものなのか?」 ということにです。

確かにその学生の苦悩は判ります。親に云えないこと であることは判ります。誰にも「まだ」云えない状況で あることは判ります。しかし、もしそれで医療行為の際に 事情を知らない第三者に感染させてしまった場合というのは どうなるのかという点においてです。

体調の悪い医者がそれをおして手術をし、その手術が続行 できなくなった場合はどうなるのでしょうか。手の震える 医師が外科手術をしていて傷口を悪化させることが予見される 場合にも「代役がいないから」という理由でもその手術を まかされるものなのでしょうか。

医者の側からではなく、私は「患者の側」からしか ものを見ることはできないので、こういう考え方になるの でしょうが、私は体調の悪い医師には手術はしてもらいたく ないし、手の震える医師に手術はしてほしくありません。 (この点において、どの病気の人とか は限定しませんし、こう書いていることが他の意味を 持ちません。つまり手の震える人を差別する心はないと いうことですが。あくまでも「自分の手術を担当する 医師=自分の命を握る人が」という意味のおいてだけです)

自分が「健康な状態を損なっている」「助けてほしい」 時に更に不安な状況に追い込まれるような「医師」には 担当されたくありません。

こう書くと、その学生の行動をすべて否定しているように 受け取られると困りますが、私は「主治医の守秘義務を 怠った」点については訴えの主に同意します。何にせよ、 彼の同意を取ることなく、担当教授に彼の病状を伝えて しまったのは良くないことだと思います。

しかし、彼はそこで「黙ったまま臨床実習を受けるつもり だったのか?」という点に置いてはもの凄く疑問が残る のです。

確かに彼が受けたショックの大きさは私には 判り切れません。そしてどんなに理解しようとしたところで 完全には判らないと思います。しかし、彼が「どうしたら いいのか悩みに悩んでいる途中だった」ということは理解 しているつもりです。

でも、彼は「その事実を告げないまま臨床実習を受け」 「その事実を告げないまま医師になっていったかもしれない」 ということを考えると、とても素直に納得の行くことでは なくなってしまうのです。

もちろん、エイズは接触だけではうつることもなく、ふれあう だけや、対面しているだけでは何の問題もないことは知って いますし、何でもかんでもエイズだからといって恐怖心を 持つこともないと知っています。しかし、体の一部を傷つけ、 血が流れるような現場で、医師がエイズであった場合は、 どんなことで医者の方が手を切り血が流れないとも限らない ことを想像すると、なんとなく割り切れない気持ちです。

(ここは私が無知なだけなのでしょうか?医師がエイズに 感染していて、もし手術の途中で医師側の血液が患者側と 混じるようなことがあった場合、どのくらいの感染の危険性 があるのでしょうか?この点についてどうか正しい知識を お授け下さい)

その話とは別ですが。逆の立場で、エイズに感染した人は、 それが歯科医の側に判ってしまっている場合に、診療を 拒否されるという話が新聞に載っていました。

エイズである がゆえに、診療が拒否される。そのために虫歯を何年も 放置しているという話。それに関しての集会が行われた ようです(これもうろおぼえなのです。申し訳ありません)

これを読むと「歯科医師だって、エイズに感染するのが 怖い」という風な受け取り方をしました。だとしたら、 その逆もあるのかもとも思いました。医師がエイズに感染 しているのを患者の側がしったら、その歯科医は誰も行かなく なるのか?とも。

これは双方の誤解、もしくは過剰な反応なのでしょうか?

私が無知ゆえにこのようなことを素直に信じている のでしょうか?どうか教えて下さい。

私は、このニュースを見たとき、いろんなことを一度に 思いました。

まず、望まないカムアウトをさせられて しまった学生側の憤りと、哀しみ。そして、その本人に 了承を取ることもなく第三者に話してしまった先生の 守秘義務違反。そして、それを訴えた学生の言い分。

「守秘義務違反」というは私も思ったことではありました が、「もし黙って隠し通せたなら、彼は一生このことを 黙っていたのかもしれない」とも思ってしまう彼への 不信感。

そのようなことを患者側に知らせることなく、 自分の判断だけで治療をしていた時、何かの不幸で患者側が 不利益を被ることはないのだろうか?

そして、その学生に 臨床実習をさせないことを決めた学校側の対応は正しい ことなのか、否か。

病気に感染した医者の卵をそこでつぶして いいものなのか、否か。

そして、エイズを理由に医者になる 権利を剥奪されてしまっても、それは仕方のないことなのか。

どちらの言い分も判るのですが、それでも私の中に残るのは 「黙っていて判らなかったら隠し通したかもしれない」と いう学生への不信感と、エイズを理由に医者になる権利を 剥奪されてしまっていいのか?という疑問でした。

その二つは相反することのようですが、私の中には最後には それが残ります。

まず学生側の「守秘義務」に関する申し立ては正しい とは思うのですが、それで「精神的苦痛を味わったこと に対する慰謝料の請求」というのは違うのじゃないか? ということ。

では担当医師の感染事実を知らずに治療を受けて いた人があるきっかけでそれを知ってしまった場合、 その後の治療中はやはり同じような不安を抱くと思うの です。その時「治療中にエイズをうつされたらどうしよう という恐怖心があったのでそれに対する慰謝料を請求 したい」としたら…その医師はどう対処するのでしょう。

私はエイズの医師がいてもいいのでは?とも思いました。

実際には触診や、対話くらいでは感染しないし、自らが 「持病」がある医者の方が患者の痛みも判ってくれる ような気がしていたからです。(都合のいい話ですが) ゆえに、髪の薄い人の悩みは同じ髪の薄い人にしか判らない だろうしその点では、エイズにかかった医者はエイズの 患者の痛みが判り得る存在なのではないかともムシのいい ことを考えていました。

それはあくまでも「医師免許を持ったあとで感染した」 話で、それが露見したら「医師免許を剥奪される」という ことは許されないとは思うのです。

そしてこれから医師に なろうとしている人間がエイズに感染していたらそれが 理由となって医師になる道をたたれてしまうというのも おかしいのではとか思っています。

なんか相反する意見のようなのですが。

実際の所ではどうなのでしょうか?医師になるのには 身体的に何か持病があると無理とかあるのでしょうか? そしてそれが理由で医者になれないということ、あるいは 医師免許を奪われるということもあるのでしょうか?

まとまりがつかなくなってきてしまったので、私の中に あったことを並べ立ててこれでおしまいになってしまって いるのですが、なんかあのニュースを聞いてから釈然と しないままにいたのですが、西村さんはお医者さんで しかもエイズには詳しい方と知って思い切ってお手紙 しました。

私はエイズに対しては偏見は持っていないつもりではあるけど、 もしかしたら私のこの見方は偏見ありありなのかもしれません。

そこらへんも含めてご指摘いただけるとうれしいです。


亭主より

西村より

HIVに感染した医者の存在

美嶋カルホさんはご自身きれいな頁をお持ちの方です。

すみません。私も美嶋さんの頁を読む暇がありません。

鹿児島の元歯学部学生の彼は、私はブックマークはもっていませんが、頁をもっていると思います。

是非検索してみて下さい。

彼の事件はよく知っていますし、彼の話も聞いたことがありますが、ここではあくまで私個人の意見を述べさせてもらいます。

まず歯科医、ないし医者が、診療中に患者にウイルスをうつしたという確実な例は今までありません。

アメリカで、ある歯科医師が患者に集団感染させたというニュースが流れたことがありますが、この事件にはかなりの疑いがあります。

もちろん医師が、仕事以外で、セックスなどで感染させた例ならば、いくらでもあるはずです。

問題は、手袋をし、マスクをして診療する状態で、医療をする側(ここでは歯科医あるいは歯学部学生がですが)から患者さん側に感染することは、常識的に考えられないということなのです。

おっしゃるように手がふるえるような医者(おそらくアルコール依存などで)に手術はしてもらうわけにはいきません。

また結核で菌がでているような医者が診療されるのは困ります。

これは患者に明白な害を起こす危険をもっているからです。

医療者がHIVをもっているということは、そのような患者の脅威になる範疇にははいらないのです。

実際の問題として、一人一人の医者がたった今、HIVに感染しているかどうかを判断する方法を私たちはもっていません。

6ヶ月間禁欲(セックスをしない)し、HIV抗体検査が陰性であれば、感染していないといえますが、それ以外の条件で、感染していないと断言する方法を持たないのです。

HIVが陽性の医療者を排除したからといって、医療の現場がすこしでも安全になるとは考えられません。

むしろ、感染症をもった医療者、患者がいても安全な現場をつくるほうが、よほど実際的で、有効だと思います。

具体的には、いまだに素手でくちのなかをあつかう歯科医師のほうが、自分がHIVをもっていることを自覚した歯医者より、よほど危険だと思われませんか。

身体に重大な障害があり、診療できなければ、医者、歯科医師にはなれませんし、障害を持ったために、仕事を断念しなければならなくなることもあります。

しかし私は患者に危険が及ばない病気のことを、全部公開しなければならないとは考えません。

またご意見をお聞かせ下さい。(2月28日記)


お客様より

「エイズ患者診ます」読後感想など 小池さんより

はじめまして

私は石川県内の一般病院に勤務する作業療法士で,小池と申します.

先日の石川県立中央病院での先生の講演を聞かせていただきました.医療者の原点 (ありふれた言葉かもしれませんが)に立ち返るような思いで先生のお話を聞き,今 自分は何をしたいのか,すべきなのかとしみじみと考えております.

その場で『エイズ患者診ます』を買い,2日ほどで読んでしまいました(私は本は好 きなのですが,読みきるまでに時間がかかってしまい,途中中断になってしまう場合 がとても多いのです).

エイズに関わる様々な話は私の知らなかったこともたくさんあり,改めて,少し知っ ているだけで物事を理解していたような自分の愚かさを感じました.医療においても 「経営」というものを何の恥じらいもなく語るようになっている時代において(それ 自体は必要なことだと思いますが),先生の医者としての感じ方,動き方が随所に感 じられました.

個人的にもっとも印象深かったのは,先生が疑問に思ったことを自ら納得するまで調 べ,あるいは議論しようとしておられる姿勢です.

英文論文も読み,いや読むというだ けでなくそれをしっかり自分の知識体系に取り入れる,必要な議論は厭わないという ことの大切さを改めて実感しました.これは先生のホームページでもしっかり生きて いますね.

勝手な読後感ばかり並べてしまいました.大切なことに気付かせていただいたお礼を 何か一言申し上げたかったもので. ありがとうございました.


亭主より

西村より

経営と医療の危うさということ

小池さん(本名でよかったでしょうか?)は、mikakoさんと一所に金沢の講演会に来て下さった方ですね。

私も小なりといながら、診療所の経営者です。

3年前には「赤字だから」と銀行から融資を断られ、倒産の危機に立ったこともあります。

何はなくとも職員に給料を払い、出入りの業者にきちんと支払いをしなければ、どんなえらそうなことをいっても通用しないことを実感しました。

ただ黒字になりさえすればいい、患者がふえればいいのかと、最近つくづく思うようになりました。

インフルエンザの流行はすぎましたが、患者の多くは「注射」「点滴」を期待するというよりは、要求してきます。

「はいはい」といって処置をすれば、経営にはプラスだし、患者も「親切な医者」といってくれる。

たしかに食欲のないひと、ひどい細菌感染をおこしているひとには注射、点滴は有効でしょう。

でも普通に食べられる元気のいい患者にまで、点滴をして、早く直るような幻想を植え付ける。

はっきり言って詐欺ですね。

今年からアマンタジンがインフルエンザの治療薬として認可になったことをきっかけに、これはやめることにしました。

患者さんには

インフルエンザに効く薬は、今処方した飲み薬しかない、注射にも点滴にも入れられない

といって納得していただくことを、これ又「原則」にしています。

「原則」というのは、例外もあるということです。

ただそういいながら、インフルエンザと診断して抗生物質を処方している医療機関が私のところの4倍以上の患者を集めているのを見ると、心穏やかでいられない気持ちにはなります。

悩みつづけるしかないようです。

お返事と言うよりは、愚痴になってしまいました。お許し下さい。

(2月28日記)


お客様より

読者増殖企画提案 バーバラさんより

ドクター 様

ご無沙汰しています。

とはいえ、うさぎや望年会、京都笑福園遊会と、よるとさわると、ドクターの 話題に事欠かない次第でございます。

私の場合、<うさぎや><戸籍はイヤ><みょうがさんち>は、朝。

そして、ドクターのところは、午後一、一仕事 終えて、頭の回転が良くなったところで、伺います。

そうでないと、気持ちの体力がついていけない内容が、多いから・・・。

園遊会で、声を裏返してお話ししていらした、あの<可愛い>一面が、 HPでも見られれば、うさぎさんや、お花の壁紙より、ずうーっと、 魅力的だと思うのですが。あまりの模様替えに、失礼ながら、 「ドクター、ご乱心か!」と、パソコンの前でつぶやいた事もあります。

<うさぎや>に投稿されるような、内容のコンテンツもひとつ、加えて みたらいかがでしょうか?

以上、<読者増殖企画提案>でした。 バーバラ


亭主より

西村より

難しい?

バーバラさんは、うさぎやの園遊会でご一緒した、うさぎやさんの常連です。

う〜〜〜〜ん。考え込んでしまいますね。

壁紙のことなんですが、実は最初に考えていたのは、今よりもっと明るく、それこそ「フラワーチルドレン」と言うような、お花だらけ、蝶々も飛んでいますという、とっても過激なイメージだったのです。

それが、画像ファイルを送り損ねて、試行錯誤の末、今の格好です。今度は春のイメージで、模様替えしようかと思っています。

きまじめな性格でないのはご承知のとおりですが、自分の頁だと、どうも砕けにくいようです。

その分よそで遊ぼうかと思っています。

我が家は長女がお間抜け、長男は生まれついてのほら吹き、次女はあらゆる持ち物に名前を付けないと気が収まらない着ぐるみ少女(今猿の着ぐるみのパジャマがお気に入り)です。

こんな家族のお間抜けな日常でも書きましょうか。


お客様より

薬害エイズのこと、ダイオキシンのこと mikakoさんより

先日金沢の講演で本の注文があったのでさっそく受付したのですが、今手元に「エ イズ患者診ます」「冬の銀河」があります。で早速読んでるのは「エイズ患者診ます」の 方で、最初のはしがきだけで何故か涙ぐむ馬鹿な私です。

医療職というだけでなく民 医連加盟の病院に勤めていることもあってホパテやクロロキン、キノホルム等の薬害 についても学習したことがあります。その起こる原因が製薬会社と国の癒着から生じ ているしくみも一定学びました。とはいえ、効くという評判が立てば患者自身が使い たいと願う心理を巧妙に利用しているところもあり、新興宗教をたたくことはしてて もこういった悪事には人の目をむかせない狡さを感じ、非常に腹立だしく思います。

私たちは医療人でもあり患者にもなるものです。正しく情報をつかみ過ちを正してい く立場を持ちたいと思います。

おはようございます。

不勉強で申し訳ないのですが、薬害によるエイズ患者に対してその治療費は保障され ていないのでしょうか?国や製薬会社どこまで責任を持って患者に対応当しているの でしょうか?

2000年には介護保険が開始されますがさらに5年後だったと思いますが、厚生省は障 害者の介護保険制度も考えているようです。

今私はケアマネージャー実務研修を受け ている途中ですが、県の長寿福祉課の人の話ですと制度のしくみに関わるもの自体未 だ4分の1程度しか作業が進んでいないとのことです。市町村もかなり苦戦しているよ うで、やっつけ仕事のように開始されるとなったら、介護認定されても大変だろう し、まあ認定から外されればなお大変でしょうか。

エイズ患者さんにしても介護を必 要とされる方は多く居ると思うのですが、こういった視点での話題も提供していただ けたらと思います。

今薬害について手元にあるのは「民医連医療」という冊子で96年12月号の薬害につ いての特集なんですが、東京HIV訴訟弁護団の保田行雄弁護士へのインタビュー、 東京医科歯科大学の片平洌彦助教授の薬害の社会的要因と根絶についての論文、製薬 企業労働者の論文などが載ってるのですが、いずれも根絶するにはどうするかという ことが書いてあるのですが、企業が大きくなればなるだけ利潤を生むことに躍起にな るであろうしそこに民主的といっても理想論の夢物語のように聞こえます。またここ の院所でに処方を出す医者が厚生省の認可した薬をうのみに出してる観を受け、患者 となる国民や処方する医者個々がかなり意識しないと現実には根絶しないようにも感 じます。薬害についてもっと一般の人がわかるような正しい情報を厚生省などに頼る こと無く広めていく活動が必要なんでしょうが、では一体誰がするのと言われると んーとなってしまいます。

すいません。

なんか他力本願的文章を送ってしまったようで。うちの院所でも有志で集まって学習 会等を設けて活動しているのもありますが、一般の人のどれだけに今起こっているこ とが伝わっているのだろうかと思うもので。

マスメディアの力は大きいです。とはい え以前は大きな話題であったエイズも下火になって(させられているのでしょうが) 人の関心は他所へ行っています。今度川田龍平さんのお母さんが能登羽咋に講演にい らっしゃるようです。なるべく多くの人が来てくれればと思います。

それでもまだ 個々に関心をもつ人だけの集まりです。どう広めていくものか、関心ないからと言っ てそのまま過す人達にも呼びかけていく地道な努力しかやはり無いのかなと思ってい るのです。

読みかけ途中で質問なんて偉そうな事書いて送りましたが、すいません。

読み終わっ て何が自分にできるだろうかと考えています。とにかく多くの人に読んでもらいたい と思いました。

薬害の存在を真剣に考える人が増え、世論を作り上げることなんです が、とかく大きな力に抑えられてしまう。

民医連医療という一般には出回っていない 雑誌がありますが、今月号(2月)に母乳とダイオキシンについて小児科の医師が書 いています。

母乳がダイオキシンに侵されて危険、ミルクの安全性を唄い企業が大も うけを企んでいるようなことも触れています。

ダイオキシンが存在する環境が問題で あり、母乳だけでないこと、またドイツでも一時問題になった母乳がダイオキシン含 有量は極めて多く、それでも今は量が少なくなってきたことや、母乳のメリットの方 が大きく、母乳を推奨してるのにもかかわらず、日本ではそういった事実を知らさな いでマスコミは母乳が危険と一般の母親を不安に陥れています。

昨年のゴールデン ウィークではダイオキシン問題で断乳した母親がかなりいたようです、

事実を知ろう としない一般も問題ですがやはりマスコミや関わる産婦人科の医者も問題。

立花隆ら の出すダイオキシンに関する本はあまりに事実を誇張して不安だけを煽らせているよ うです。

民医連も偉そうな事言ってないでどんどん正しい情報と思うなら一般の人に 知らす努力をすればいいのにどうも籠からでない。

ミルク会社なんて森永事件からも 私は信用してませんが、ミルクの必要性は認めています。とはいえ、金もうけに走っ てはやはりいけないのです。

今冬の銀河を読んでます。先生の紹介されている本は一応読んでみたいと思ってま す。


亭主より

西村より

健全とは何でしょうか

先日は金沢の講演会に、お忙しいところ足を運んでくださり、ありがとうございました。

主催者団体の中にも、何度か私の頁を見てくださった方がいて、インターネットの、人と人をつなぐ底力を知りました。それにつけても、何やかにやの犯罪と結びつけて、インターネットというメディアを管理しようと言う動きは許せないと思いました。

考えてみれば、薬害エイズの大きな盛り上がりがあったのは、もう3年以上前です。

当時の厚生大臣が被害者の前に頭を下げ、支援者の輪が厚生省を包んだのも、もう遠い昔のような気がします。

昔英語の先生から継続は力なり と言うことを習いました。

「エイズは終わった」という風潮の中で、踏みとどまって訴えつづけることが、たぶん一番大切なことだと思うのです。

薬害エイズの歴史でも、マスコミから相手にもされない状態で、患者の権利を守るために戦った勇気ある人たちの歴史があるわあけです。

9年前、大阪地裁の周りをデモしたのは、ホンの20人ぐらいの人間でした。もう一度そこに戻って、損することはないと思っています。

ダイオキシンのことについては、うねやまさんと言う薬理学の研究者が、疑問を呈しています。

今度は低容量ピルにまで波及しているようで、私も眉唾ではないかと疑っています。

又教えてください。

(2月18日記)


お客様より

バブルと経済学 n.w.さん

バブルの真っ最中、1988〜89年頃、私の周囲は「俄(にわか)株屋」だらけでした。

みな数百万円の利益を株式投資であげ、あつくなっていました。

http://www.din.or.jp/~borgia/book/baburunomonogatari.htmにガルブレイスのバブルの物語のノートがあります。一部引用しますと

p22
価値の増大は、報いられた人の思考と心を虜にしてしまう。投機は、非常に実際的な 仕方で、投機の渦中にある人の知性を買収してしまうのである。

p23
あらゆる人はもっとも幸福な時にもっとも騙されやすいものだ

p29
陶酔的熱病のエピソードは、それに参加している人々の意思によって、彼らを富ましてる状況を正当化するために、守られ、支えられる。また、それに対して疑いを表明する人を無視し、厄介払いし、非難する意思によっても、同様に防衛されている。

と、過去の日本と、現在のアメリカそのものがきっちり記述されています。

この本は、古今東西のバブルの話しをかいた薄くて、おもしろい本です。

この本は、古今東西のバブルの話しをかいた薄くて、おもしろい本です。

バブルの結末は今も昔も変わりません。

それでも「大金持ちになった」とはやし立てられた千昌夫は、ただ借金を増やして いるだけで、資産を増やして >いるのではないぐらいのことは分かりました。

その通りです。

ただバブル退治とその後の大不況の関係は、はじめて納得できる議論に出会った気 がしました。それほど、無知なのだなと、知ったことでした。

これをもう少し書きますと、借金して株を1000万円かって、その株が500万円 に暴落。 そして、株を500万円でうります。そして借金が500万円残ります。

借金を返すためには、今まで使っていた消費を減らして、借金返済に回します。

すると消費が減ります。そしてものが売れなくて不況になるのです。

すると消費が減ります。そしてものが売れなくて不況になるのです。

こういうのをレバレッジ(「てこ」、てこの原理で少しのお金で大きく相場を張る) といいまして、 この前、破綻したノーベル賞学者を抱えたファンドもレバレッジをたくさん使ってい ました。 (なんとウォールストリートジャーナルの12/24日版によると、このファンドす でに復活して利益を出して 利益の何パーセントかの巨額のボーナスを経営陣に出したそうです。 ノーベル賞は転んでもただでおきないということでしょう。)

主流派の教科書では、あまりこのあたりを扱ってなくて、超勉強法で有名な野口悠紀 夫(東大) さんは、資産価格はあまり実体経済に影響しない!なんていっていましたが・・・・ ・。

評論の資格ですが、医療評論の世界では、逆に医師の資格を持たないことがもては やされることもあります。

医者の立場として、あまりにひどい勘違いを指摘すると、すぐに素人は黙っていろ と脅すとヒステリックにいわれます。

これはそれほどききません。

医学と違って経済学は簡単に参入できるが故に、むしろ、プロの経済学者が、評論家 をとがめると、 評論家が「理論ばかりで、現実が分からないくせに!」 みたいな反応のほうが多いです。

学者の意見はやや複雑ですが、評論家はどこで工場を見てきたらどうだとかというふ うに、具体的で すので受けが良いのです。

しかし、この前まで「アジアの奇跡」と評論家+軟派経済学者が騒いでいた94年 に、 「アジア奇跡の幻想」という論文を書いたMITのクルーグマン教授という人がいます (将来はノーベル賞です)

彼が、オーソドックスな手法で、アジアの経済の高度成長はみんなが思っているほど つづかないと 書き、大論争を引き起こしましたが、多くの経済評論家は「アジアの時代!アジアは 活気がある、俺は見てきた!」 式の批判をしていました。

むしろ、医学とは正反対の場合が多いです。

(最近は、アメリカのニューエコノミー批判をして、バブルだよと書いてます。)

私が尊敬するクルーグマンは今もっとも優れた理論家にして時論家でもあります。http://web.mit.edu/krugman/www/にかれのhpがあり、一般雑誌に書いたコラムが読めます (最近、このhpのエッセイを訳した「グローバル経済を動かす愚かな人々」という 本が でたばかりです。)

ひどい場合は同じ医者から、そうした攻撃がくる場合もあります。

言論は事実に立脚しているかどうか、論理的かどうかで決まるはずです。

全くそのとおりです。

ところが、ここで前提として「医者の立場」「患者の立場」を価値基準に据えて、 医者の権威を振りかざす云々と言い始めると、もはやこれは議論ではありません。

います、そういう方も・・・・。

処置なしだと思うことがあります。

確かにそのような、権威主義的な言い方をしたがる馬鹿な同業者もいます。

又経験上、被害者と加害者の言い分が食い違う場合は、被害者の話のほうが確から しいと思います。

ですね。相手が詐欺師でない限りは大抵被害者の意見が正しいでしょう。

しかし本多勝一が大好きな価値の二分法は、立場を越えた共同作業を生み出しませ ん。

又あらゆる種類の山師が跳梁する土壌をも形成します。

経済学、経済評論ではどうなのでしょうか。又教えてください。

経済の世界でもありそうです。むしろ人間の世界のどこでも価値の二分法は蔓延って います。

私の知っている話しでは、「土地を急激に下げるやり方は大変なことになる」、と 言っていた経済学者が雑誌に投稿したら、その雑誌では「バブルを再び望む虚妄」 という特集でその学者の文章を載せてしまいました。もちろん著者には何の連絡もな しにです。

当時はまだバブルがはじけ始めた時期で、バブルつぶしの合唱が続いていた時期でし た。 いい加減なマスコミのマインドコントロールは恐ろしいです。

価値の二分法には孔子の 「君子はその人によってその言を捨てず」 (君子はその人の正しさと、言論の正しさを分けて考える、というぐらいのいみで しょうか?) を肝に銘じる必要があります。

誰が言おうが、正しいことは正しいのです。「相手の人格と意見を分けて考える」と いう 大人の姿勢が、立場を越えた共同作業という成果を生むのだと思います。

さらに、批判もきっちり受け付けるために 「批判とは継承である」 と考える姿勢も大切だと思います。

マルクスは、当時の主流派、リカードの意見を徹底的に批判しながら自分の考えをつ くりました。

つまり、マルクスはリカードの意見を真剣に受け止めることにより、「批判的継承」 をしたと言われます。

こういう視点から考えれば、まともな批判を、受け入れる事ができると思います。

私はマル経ではありませんが、マルクス主義者の訓古学的議論ばかりして、現在の経 済学 を批判的継承しないのはどうかと思います。(このままでは消えてしまうでしょう。 実際、後継者がいなくて 研究者も激減してます。)

では失礼します。


亭主より

西村より

批判は継承か〜

「ウ〜ン」と考え込んでしまいますね。私などは壊滅的批判が大好きな人間で、建設的批判がどうもできないようです。

その意味ではマルクスの弟子ではなく、レーニンの弟子なのかもしれませんね。

私の大好きな言葉に滝沢克己の「ゆがみ」という文章があります。

一つのものの歪みが、他のものの歪みを惹き起す。第二の歪みが第一の歪みと同じ方向に傾くかはりにそれと正反封の方向に動く時、ひとは之を正義と名づける。しかしこの後の場合と難も、歪みは何処までも歪みであつて、それ自身として意味あるもの、許さるべきものであるのではない。それが正義として稱へられるのは、唯それが一つの歪みであるにも拘らず第一の歪みとの均衡若しくは相殺によつて、伸びて行くまつすぐな生命のためにその道を整へるからに過ぎない。之に反し、ひとが若しこの歪みを些かたりともそれ自身として許さるべく誇るべきものと考へるならば、その瞬間最大の正義は忽ちにして最大の不正に―あらゆる歪みの原型である全き虚無に縛化するであらう。之に反して第二の歪みが第一の歪みと同じ方向に傾く時にも、その歪みの歪みであることが最後まで見失はれない限り、消し難い歪みをその眞つ下から打ち貫いて、なほ正常な生命の形づくられることが出来るであらう。―正義の使徒ラスコーリニコフと娼婦ソーニヤとの封照。

私は心密かに(と言いながら公開してしまうのだから始末に負えませんが)日本では、議論の正しさよりも、議論の潔さだの、勇ましさのほうが尊ばれているのではないかと思うのです。

再び本多勝一のことを引き合いに出しますが、彼の文章には、人の言うことを鵜呑みにしない、対立する人間から取材をする、裏付けをとるという、ジャーナリストの基本が欠如しているように思えます。

むしろ彼はそのことをカウンターブローとよび、誇りにまでしてきたと思うのです。

困ったことには、彼の基本的な欠陥をいさめ、指導できるまともなジャーナリストが日本にはいなかったのです。

彼ら当時の新聞記者には「大本営発表」を書き写す過去から決別する、真剣な反省が欠如していたのだと思われます。当然ながらそれを読む側にも同じ反省がなかったのでしょう。

しかも本多氏の「ゆがみ」が、ある時期真実にたまたま近かったのだと思われます。

こうして相手陣営の「偏向」「極論」をいいことに、自らも極論を吐くことが正当化されると思いこむゆがみが、「戦闘的ジャーナリズム」の名で正当化されました。

右にしろ左にしろ、多くの評論家の口吻には、ある種自分の言葉に「酔う」気配があります。

意見を同じにする読者には「かっこいい」とうつるのでしょうが、反対派にはただがなっているだけにしか聞こえません。

互いに同じ舞台にあがることを怖れていないのだろうかと思います。

私は今ある若いジャーナルストに読売新聞に投稿をしないかと誘われています。

これは私が約1年前まで朝日新聞の「声」欄の常連で、投稿魔だったからです。

この人は、讀賣新聞の中で自分の立場(少数民族出身)を生かすべく努力しています。

私などこの人に比べれば、苦労が足りないと言うところでしょう。

英語圏で行われているディベートについては、確かにゲーム化していますが、意見を戦わせる習慣づけという意味では優れているように思います。

NHKの衛星放送の”THIS WEEK”などのニュース番組を、一時一所懸命見ていたことがあります。 

現職の国防長官や国務長官など閣僚のインタビューもありましたが、よく国会議員のディベートがあり、おもしろく見ていました。

日本では「朝まで云々」という番組がありますが、アレはやかましいだけで、司会者の無能ばかりが目立ち、何のトクにもなりませんが、アメリカの番組のほうは、司会者が論点をよく整理してくれるし、討論をしている人間も人格攻撃したり、相手の話を遮るなどのマナー違反がありません。

こうした場であれば、極論を吐けば、自分があほに見えてくるだけですから、自然と勇ましいだけの「論客」は姿を消すことになるのではないでしょうか。

マル経の現状はおっしゃるとおりでしょう。

「歴史のくずかご」に行くはずの資本主義国が、それなりに生き残っているときに、レーニンのうち立てた国が自壊したのです。今こそ真摯な議論が必要なはず。

にもかかわらず、死んだふりをするか、「それでもマルクス・レーニン主義は不滅だ」などと、どっかの野球選手のようなことを言っている(佐佐木力東大教授など)かどちらかです。

現状をかえることのできない議論はいらないと思うのですが。


お客様より

ホロコースト、ガス室のことについて 木村愛二さん

元旦払曉に週刊『憎まれ愚痴』を創刊するなど物好きの無茶していたので、超忙 しく、貴兄のHPを覗く暇がありませんでした。

1999.1.2.拝見。またまた宣伝して頂 いて、感謝に耐えません。  

私は何度も、読売新聞ナベツネなどの悪口を書いているのですが、その度に「か えって有名にする」と皮肉を言う友人が多いのです。それは事実でしょう。私も「 悪名」を恐れないことにしました。

 さて、今度もまた並べて掲示して頂けることを前提にして、簡略に「拝復」しま す。

「あの」には感心しました。週刊誌のお得意さまです根。しかし、印刷屋が週刊誌 の広告で「あの」を抜かしたら、もう仕事はこないでしょうね。

 私は、そんなに冷たい人間ではありませんから、もう一度、注文します。

 私の最大の趣味は日曜大工なので、ぜひとも「あのガス室」の設計図を送って頂 きたいのです。これは諸説紛々でしてね。事件でいえば、検察側の不一致といった ところでしょうか。今の状態では、造る前に大工同士の喧嘩が始まってしまいます 。どうかまとめて下さい。

「証明されない推論」の特に「推論」を土台にして論理展開されていた点は、軽視 していました。最早「推論」ではないと言うべきところを、うっかり見逃しました 。

 私の頭の中の「証明」という用語には、もともと問題の『マルコポーロ』の基本 的なきっかけとなっていた『ロイヒター報告』が貼り付いていまして、拙著、拙訳 書を御覧頂ければお分かり頂けますが、マトモな頭で考えれば、すでにアウシュヴ ィッ・メインキャンプの「あのガス室」は偽物だということが証明されているので す。

実際、昨年現地に行った友人は、「説明が変っていた」と報告してくれました 。「あの」たった一つのショウインドーの「実物」を「一時的な実験に使っただけ 」と称しているそうです。

 なぜかというと、本当は、『ロイヒター報告』抜きの議論は空しいのですが、簡 単に言うと、「毒ガス」のシアン化水素の痕跡が一般の「消毒」(チクロンBは殺虫 剤)程度でしかないということです。

 そこから、また新しい「嘘」がこねられ始めて、「あの」ではなくて、この「一 時的」とか、「一杯詰め込んで全部死体に吸い込まれたから」とか、ニュルンベル グの裁判官が聞いたら目を回しそうなデタラメ本が大量に出回っているのです。

「あの」死体の灰は、「川に流した」という「告白」があったりしますが、実際に は、記録も写真も、どこにもないのです。

よく使われる写真の死体は、発疹チフス などによるものです。

唯一、アメリカ軍の医者が検死していて、「毒物および毒ガ スによる死亡例は一つも無い」と報告しているのです。

 その医者の名前は、チャールズ・ランソン、伝記『Crime Doctor』があるようで すから、医者仲間として研究して下さい。

 逆に、『ロイヒター報告』による決定的な「証明」を記した本は「発禁」です。

そんなことをするドイツなどの「イスラエルへの拝跪」状況を無視する自称平和主 義者が多いのは、なせでしょうか。

 これは、おそらく、心理学の問題でしょうね。  

フォ−リソン博士の実在を疑うのでしたら、つい最近にも、『アンネ・フランク の日記』偽作説の本に関して、日経(98.12.10夕)に名前が載っていますから、確 かめて下さい。

ただし「作家」とあるのは、不勉強の上に裏取りをサボった共同通 信記者の翻訳の間違いです。

おそらく、ブリュッセル発ですからフランス語の ecrivainなのでしょうが、日本語では小説家が中心の「作家」というよりも「執筆 者」「著者」の意味の方が多いのです。

   上記の本も実質的に発禁ですが、およそ、タブーの裏に、醜い権力の謀略が潜ん でいなかったことがあるのでしょうか。

「問診」の例も逆手に取られたようで、これは失敗でした。馬鹿にしてしまったの は、私の患者としての経験が運の悪い方だったのでしょう。

しかし、「問診だけ」 で良いのなら、高額の検査付け医療産業、いや、この点も、また揚げ足を取られて はいけませんから、止めます。  

もう今度は余計な例はだしません。なお、そちらで反論を入れた時には、mail下 さい。 とりあえず以上。


亭主より

西村より

質問を整理する

あ〜あ〜どうしてこの人は、人から聞かれたことにまじめに応えようとしないのだろうか。

いやいや、別に木村愛二さんの知性を疑っているわけではない。むしろ論点をずらすテクニックの華麗さには、舌を巻いているところだ。

ディベートの天才という称号を捧げたいともおもう。

しかし論議する姿勢に誠意がなければ、議論の相手にはすべきではない。

木村氏にはもう一度最初の質問を繰り返す。ホロコーストの嘘が成立するためには、被害者側のユダヤ人に加えて、加害者側のドイツ人も、過去半世紀にわたって、ことごとく嘘を突き通したということになるのではないか。それは無理ではないかということだ。

さらに付け加えるならば、もしそれが虚構ならば、アメリカ、ドイツ、ソ連、イスラエルという、政治的にも対立する諸国家が、一糸乱れずに、当然緊密に連絡を取り合って、國際的・国家的な嘘を構築したということにもなる。

そもそも自国の歴史に加えられた陰謀に立ち向かうのではなく、自ら虐殺者の末裔としての汚名を積極的におい、その批判を憲法で封殺しなければならないという、そのような歴史上かつてない奇妙な行動に、ドイツ及び誇り高きドイツ人を駆り立てるものは何なのか。そのようなものが、存在しうるとは考えようもないのだ。

こんなだぼらを信じるくらいなら、ネッシーの存在を信じたほうがよほど現実に近い。

つぎに。第二次世界大戦中、直接の軍事行動にも巻き込まれなかったユダヤ人が、400万人以上亡くなっている。これは誰の責任なのか。

腸チフスなどの感染症でなくなったといいたいのかもしれないが、これは答えにはならない。

では同じ時期にドイツ人はどれだけチフスで死んだのか。ほとんどあるまい。

強制収容所の劣悪な生活抜きにして、400万人のユダヤ人が死ぬのか。

強制収容所という存在そのものを問うのではなく、一人一人の死因を喋喋する。なんていうお利口さんだろう。

アンネ・フランクがガス室で死ななかったからといって、彼女の青春がナチによって無惨にも破壊された事実まで消えはしないのだ。

アンネの日記を偽書だという人までいるとは初耳だが、アンネ・フランクの運命に涙もできないような理性なら、私はいらない。そんな理性を持つくらいなら、犬にでもなったほうがましだ。

つぎに。私は前回こう書いた。

「嘘つき動物」(木村氏によれば、人間のこと)にあなたご自身は入っていないのか。自分は「嘘つき動物」でないと言われるのかもしれない。ではあなたはご自身を、人間以上の何物かであると思いこんでいるのか、と。

この質問に対する答えももらっていない。

賢明な木村氏は先刻ご承知のように、私は「フォ−リソン博士」なる人物の実在を疑っているわけではない。

人をことごとく嘘つきだと断じるあなたは、いったい何様ですか。どうすればあなたの話、及び「フォ−リソン博士」の証言だけは信じよというのですか、とお聞きしたのだ。

一度も顔も会わせたことのない人間を馬鹿にし、診察を受けたこともない医者の資格を断じることまでできるのだから、よほど大したお方なのだろうが、どうもその理性も、私には笑いの種でしかない。

さらに木村氏は、様々な歴史修正学派の人物の偉大な発見や「証明」やらを取り上げてくれるのだが、それが私が前回出した質問に対する答えにはなっていないことを理解いただけないようである。

私はこう書いた。

私の目には彼らの主張は、物的証拠ではなく、あくまで一つの推論、仮説の範囲をでない。

いくら木村氏が○○は立証された、証明済みだ、といわれてもそのままでは信用ならない。何せ木村氏は「人間は最高の嘘つき動物」だとおっしゃる方だ。

現物を見せていただかなければ、彼の言説を信じられないのだ。

どうぞあなた達がお好きなように設計図を引き、まともな毒物、薬物の専門家(間違ってもあなた達の「信頼のおける」いかがわしい(?)人物でなく)を、立ち会わせて実験を行ってください。

もしそれを行えないのなら、犠牲者の魂を汚す言説を振りまく暴挙を、これ以上繰り返さないで欲しいのだ。

(2月9日)


お客様より

Mさんから

あの、西村かい?

小生は豊前からそう遠くではない田川郡○○町と言うところに在住しているMと申すものです。

数年前か?新聞(小生は毎日ではなく朝日ですが)で、貴兄の記事を見、記憶の片隅にあったのですが、もしかしたらホームページがあるのではとおもい、検索してみたところやはりありましたので、ぼちぼち閲覧させていただいているところです。

 さて、その記憶に残った原因というのが、貴兄はもしかすると、九大の教養部にいた西村氏かな?....と思ったからです。

小生は70年に理学部の化学科に入り、70、71年を教養部ですごしましたが、その間、同じクラスのK、S、E、Fらとつるみ、また数学科のYらと赤地に白い線がはいったものをかぶっていた者です。1年先輩のF氏、(確か医学部の)Fさん(女性)らが同じグループで、学生会館の2階に巣食っていた事を思い出します。

 もし小生の記憶の中にある西村氏と別人の場合はこのメールのことは、わすれて、また無視してくださってけっこうですので、なにとぞ失礼のほどはお許しください。

 貴兄のホームページの中の好きな歌手、浅川マキ、山崎ハコ でもあの頃のことが思い出され、又 松下竜一氏の名前から先年なくなられた伊藤ルイさんのことなどが次々と思う出されてきます。

小生は51年生まれで今年48才の年男、人間 死期が近づくと若い頃のことを回想するなどといわれているようですが、まだまだ、その時期ではないつもりです。

ただ20数年間、生活することに追われて(自己に対する言い訳)きましたが、今一度、自己のこれからを考え直す一助として、貴兄のページを見させていただく所存です。

   もし、貴兄があの西村氏と、別人だったとしても、それはそれとして、閲覧させていただき、又知己、友人らに紹介していくつもりですのであしからず。

 おいおい、感想等、寄せていきたいと思いますので、よろしくおねがいします。


亭主より

西村より

どうも、素性がばれてしまいました。確かに私はMさんと同じ年に九大に入学した西村です。

別に隠していたことではないのですが、それでも私の旧悪(笑)をご存じの方が読んでくださるとなると、いい加減なことは書けませんね。

これは冗談ですが、どんどん感想を教えてください。ただただ過去を振り返ることもしたくありませんし、昔のことに口を拭って生きることもしたくはありません。

どうぞ今後ともよろしく。


お客様より

n.w.さんから

テストも終わりましたのでようやくお答えできます。

まず、大前研一ですが、近年では消費者主権とかレーガノミックス(レーガンの経済 政策)を持ち上げていました。

消費者主権というのはかなり怪しい物で、 消費者(買い物するとき)=生産者(働いているとき) と一人の人間を二面に分け ただけ なので、消費者主権のために、規制緩和をして競争が激しくなり安くてよい物が出て きて消費者が得をする といいますが、同時に競争が激化し、失業する人が増えて、物価も下がります。消費 者が得をするといっても 失業しない限りということになります。(PL法はもちろん重要ですが)

レーガノミックスは、税率を減らせば、みんなの手取りが増えるから、税収が増える というすごい話しで 実際、税収は増えませんでした(当然まともな経済学者は大反対しました)。

今の米 国は、レーガノミックスとの相関関係は薄いにもかかわらず、日本でもレーガノミッ クスを!という論を張っていました。

バブルに関しては、長谷川慶太郎と佐高信を比較して見るとよくわかります。

バブルを極端に、新しい時代とあおったのが、長谷川慶太郎です。バブル期の本で彼 が、 「どんどん自動車が売れる、道が車であふれてもまだまだ、若い人が見栄などのため にかう」 という、当時中学生だったわたしがよんでも「????」な内容でした。

バブルというのは、熱狂がおこり、大恐慌の直前の時に、世界でも有数の経済学者 だった フィッシャーは「アメリカの証券市場は永遠に下がらない高原状態になった」 と暴落直前にお墨付きをしてしまいました。優れた経済学者も熱狂に負けたと言うこ とでしょう。

長谷川慶太郎が熱狂に飲まれたのもしかたないかというと、そうではなく、歴史から 全然まなんでない というこです。(とても以外なことに、うさんくさい竹村健一は、バブル末期に警告 していました)

佐高信は、バブルにに対して激しい攻撃をし、極端に金利をつり上げた日銀の三重野総 裁を 「バブル退治の平成の鬼平」と絶賛しました。

しかし、ものすごい勢いで景気が強いときに急激に金利を上げるというのは非常に危 険です。 当たり前ですが、教科書レベルでもソフトランディングをするように書いてありま す。

入門レベルの経済学の本を読んでいれば、極端に金利を上げた人間を持ち上げること はなかったで しょう。

当時は、「バブルつぶせ」の大合唱でその時代に悪のりしたのです。 彼が、いま熱心に財界、政界、のインチキぶりを攻撃しており、それはただしいので すが、自分自身が いかにいい加減なことをしてきたかを一切触れません(長谷川も同罪です)。

イェール大学の浜田宏一は 「日本の金融政策は、猛スピードで高速を走っている車が急ブレーキをかけたような もの」 と書いていましたが、その通りです。

別の例としては、どんどん肥満していく人に、「もっと食べろ!」と言ったのが長谷 川で、肥満はだめだ(これは正しい)「今すぐ断食しろ」と言ったのが佐高です。 肥満している人にもっと食べろと勧めて病気にしてしまうにしろ、肥満を治すため に、医師が計画性のない断食を勧めて拒食症にしてしまうにしろ、訴えられるのでは ないでしょうか?

メディアで経済について発言する人間は最低限度の経済学を学ばずに、その場の状況 に迎合するように 発言するのは犯罪だとわたしは思っています。

特に、この手のアジテーションは、世 論に影響して、政治に 影響して、経済政策に影響してしまいます。落ち着いた意見よりも、ばかげた意見の 方が 現実を動かしてしまうのです。

医学の世界は発言するため最低限、医師の資格を必要とされるようですが、経済は誰 もが景気について 感じることができます。したがって、経済について語るには、資格は一切いらないの です。 その結果、おそらく、医学の世界よりもはるかに、程度の低い言論が流通していま す。

正直言ってわたしは怒ってます。


亭主より

西村より

バブルの真っ最中、1988〜89年頃、私の周囲は「俄(にわか)株屋」だらけでした。

みな数百万円の利益を株式投資であげ、あつくなっていました。

私もすすめられましたが、こんなばくちのような相場は必ず崩れるといって断りました。

もちろん投資するだけの資金がなかったからでもありますが(酸っぱいブドウ【笑】)。

それでも「大金持ちになった」とはやし立てられた千昌夫は、ただ借金を増やしているだけで、資産を増やしているのではないぐらいのことは分かりました。

ただバブル退治とその後の大不況の関係は、はじめて納得できる議論に出会った気がしました。それほど、無知なのだなと、知ったことでした。

評論の資格ですが、医療評論の世界では、逆に医師の資格を持たないことがもてはやされることもあります。

医者の立場として、あまりにひどい勘違いを指摘すると、すぐに素人は黙っていろと脅すとヒステリックにいわれます。

ひどい場合は同じ医者から、そうした攻撃がくる場合もあります。

言論は事実に立脚しているかどうか、論理的かどうかで決まるはずです。

ところが、ここで前提として「医者の立場」「患者の立場」を価値基準に据えて、医者の権威を振りかざす云々と言い始めると、もはやこれは議論ではありません。

処置なしだと思うことがあります。

確かにそのような、権威主義的な言い方をしたがる馬鹿な同業者もいます。

又経験上、被害者と加害者の言い分が食い違う場合は、被害者の話のほうが確からしいと思います。

しかし本多勝一が大好きな価値の二分法は、立場を越えた共同作業を生み出しません。

又あらゆる種類の山師が跳梁する土壌をも形成します。

経済学、経済評論ではどうなのでしょうか。又教えてください。

(1月31日記)


お客様より

n.w.さんから

与太記事の話しがありましたが、中臣氏の本よく見たら持っていました。

ブルーバックス「利己的遺伝子とは何か」

いわゆるいい加減な評論家なのですね。

経済の世界にも右左問わずうんざりするほど、やた記事を書かいている人があふれています。

大学一年でやるテキストすら読んでない人間が雑誌や、テレビで世論に影響している状態です。

(代表的な実名を出すと、右ならば大前研一、左ならば佐高信など)

ところで、「メールに答えて」のページがどうも更新されていないようです。

では、失礼します。


亭主より

西村より

どうもありがとうございます。

liveさんからも教わりましたが、結構有名な人らしいですね。

医者の場合困るのは、専門分野や仕事の内容が違っていても、同じ「医者」としてひとくくりされることです。

たとえば、建築ということを例に挙げれば、大学で建築学を教えている人に家を建ててくれと頼む人はいません。

中にはそそっかしい人がいて、大学の経済学者が金儲けがうまいと思いこむ人がいないとは限りませんが、医学の世界ではそうした勘違いが著しいのです。

一部の医者は、こうしたマスコミにもある勘違いを利用して、無責任な放言を繰り返すこともあります。

大前研一、佐高信両氏のものは読んだことがありませんから、何とも申し上げようがありません。いつか具体的に偽物ぶりについてご教授ください。

メールに答えてのコーナーは、これを含めて、更新します。申し訳ありませんでした。

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お客様より

質問なのですが、

実は、性行為(初めてだったので、これ以前に感染するようなことはないと思いま す、なおコンドームなし)から3ヶ月後、6ヶ月後にhiv検査を保健所で受けました (どちらも陰性)が、3ヶ月後の検査の翌日から、

@36.8から37度ぐらいの微熱(夕方に高いみたいです。)
A下痢(はじめは水みたいでしたが、今は軟便、か普通、時々下痢する)
B胃のもたれ
C運動していないのに、体のあちこちに軽い筋肉痛、関節痛
Dのどの腫れ(良くなったり悪くなったり)
E体調が悪くなってから4ヶ月ぐらいして口内炎が繰り返しでたので、耳鼻科に行ったところヘルペスにかかっているとのこと
F変な咳が出る、タンがでることがある。

という症状が約1年続いており、大学病院でみてもらいましたが、血液検査で膠原 病、肝炎、もなく、レントゲン検査で結核もありませんでした、さらにRI検査(?ガンなどを見つける放射線科の検査、名前はうろ覚え)などもうけましたが、異常なしでした。

医師には「わからないし、特に問題ないからこなくていいといわれました」

偶然、hivの症状を知り、抗体検査で出ない例があるとか、まれに無症候群でも間欠 的症状がある場合もあり、何となく自分に似ているとしってしまい、恐ろしくなってしまいました。

抗体検査以外の検査を受ける必要があるのでしょうか?

東京在住なので直接そちらの医院にお伺いすることは難しいのですが・・・・・。

正直言って症状があるのに、手の打ちようがない状態で、一番悪いケースだけが頭に、こびりついてしまっている状態です。

よろしくお願いします


亭主より

西村より

まずHIVの抗体検査を、感染の機会があって、3ヶ月後、6ヶ月後と受けているのは、至極妥当だと思われます。

6ヶ月までは、感染しているのに、抗体検査で陰性に出る場合があるからです。

ここで感染しているのに、抗体検査で陰性に出る場合、すなわち偽陰性とはどんな場合なのかを考えてみます。

まず感染してから、抗体ができるまでの期間です。これには個人差がありますから、早い人では3週間で抗体が陽性になる場合もあります。

もちろん検査のシステムや、使用する薬でも細かな違いが出てきますが、おおよそ現場で使われている検査試薬では、6ヶ月経っても検出できないような場合はないと思われます。

また、ウイルスが変化して、通常の検査では引っかからないような種類のHIV抗体ができるという場合がつぎに考えられます。

こういう種類のウイルス(変異株)が日本国内で検出されたという報告はまだありません。

どうしても心配だということであれば、ウェスタン・ブロット法というHIV抗体の確認試験を使えば、この変異株があるかどうかは分かります。

最後に感染しているのにいつまでたっても抗体ができない場合もありますが、この場合、HIVが体の中で暴れるのを防ぎようがありません。そのため非常に早い経過でエイズを発病します。

少なくともいまの症状はエイズではありませんから、この可能性はゼロです。

列挙された症状は、コンドームなしのセックスをしたということを除けば、どれもHIV感染症と結びつけることができないものばかりです。単純な疲れ、勉強・仕事のしすぎ、不摂生などであると思っていいものです。

医学の世界で、ひづめの音がしたら馬なのだと言うことをいいます。

確かにひづめの音がしても、馬ではなくシマウマである可能性もゼロではありません。しかしその音を聞いたのが、動物園かアフリカでなければ、馬でしかないのです。すなわち合理的に疑える条件がなければ、最もありふれた原因を考えるべきだと思います。

こういっても「やっぱり心配なのだ」というかたも多くいます。そうした場合、私はCD4値をはかります。

つまりHIV感染者が何かの症状を持つ場合は、ただHIVをもっているだけでなく、免疫の力が落ちていることが必要だからです。

抗体も陰性で、免疫の力も落ちていないが、症状だけあるような感染者は、論理的に存在しないと断言できます。

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お客様より


mikakoさんより

今日はじめて見させて(というのが普通なのかわかりませんが)もらいましたが、すごいの一言。

私は金沢の病院で理学療法士をしている人間ですが、昨今の介護保険制度を初めとした医療全般の進められていく方向を見ていると、果たして自分を含めこの日本そのものの医療だけでなく、生活そのものが破綻していくのでないかといった危惧を感じます。

それでも行政に無関心(無関心にさせられている?無関心になりたくなるような報道の難解さは、報道している人がわかってるのかといいたくなります)な人々を見ていると、全く平穏な日本を感じます。

青森の弘前病院の産婦人科の先生が作っているページに、ゆでガエル症候群という言葉が載ってるんですが、まさしくみんなそうなんだろうなと思います。

話しがそれましたが、こう威勢の良い話し口調は読んて気持ちの良いものです。

多くの人がこのページに来てくれることを願います。がんばって下さい。


難しいことは言えませんが、全体を見て思ったことになりますが、すべて自分はどう今を見て考え生きてるのだろうと思ったことです。

自分を振り返ってみれば、やはり安易に物事を考えているかもしれません。

以前学生だった頃、道で「アンケートに答えて下さい」とあなたは友達がいますかとか色々身辺について聞かれ、面白がって一応真面目に答えてたら、では一緒に行ってみませんかとビルに連れて行かれました。

そこではパソコンを使って、ヘッドホンをつけた若者が、画面を見て学習していました。恐いと思って帰りましたが、当時は田舎から上京して寂しさを持っていた一学生でした。

そうですね。寂しさを紛らす個々が居て、そこに入り込んでくるそういった集団。そしてうつうつとした思いは、その集団のエネルギーになるんでしょう。

私はまだ自立した人間と思ってません。自立とは何かと考え悩んでいる段階です。

人間としてもまだ未発達で、短絡的に物事を捉えるようなものであれば、簡単に集団に入ってしまう可能性を持った若者がどれほど居るだろうかと考えます。

いえこれはオウムといった宗教団体だけでなく、企業、病院でも、集団になるから個々の責任が薄れ行動ができるんでしょうね。

個の確立もできずに、為されずに社会に放り出される、放り出す、この教育過程もまた問題かと思います。


亭主より

西村より

あんまりほめられると図に乗りそうで怖いものがあります。

私はこのネット上で自分がやっていることは、医療を担っている普通の人間のホンネを出していくことだと思っています。

お医者様でもなく、医療を告発する殉教者でもない普通の人間が、医療という仕事をやっているのだというメッセージを出していきたいと思っています。

どうぞ今後ともよろしくお願いします。

介護保険の件は私も不勉強です。おいおいお教えください。介護保険制度がらみで、どの人にどのような介護をするかを決定する「ケア・マネージャー」の試験を、全国の開業医が一斉に受けたという話しも、何となく納得できないことです。

私は受けませんでしたが、高い批判精神のためではなく、試験の日が日曜だったので、受けられなかっただけです。

それから第二の手紙の件ですが、私は自我の確立と一緒に、自立した人間の必然的な結びつきというものを私たちが忘れているのではないかと思うのです。

そこが、私たちが、オウムを含めた新興宗教に足下をすくわれる根拠があるように思うのです。

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お客様より


みょうがさんより

みょうがです。

ドクターも毎日新聞の購読者だったんですね。投稿、拝見しました。

 うちでは、ずっと日経ばっかりだったんですが、ふつうの新聞も取ろうかと言うことで、毎日になりました。

朝日と読売はセンセが嫌がったのです。ドクーも毎日を、信念をもってお選びになりました?


亭主より


西村より

投稿とは毎日新聞の9日付「みんなの広場」に載った、アスピリンの副作用についてのものですね。

ご賢察の通り毎日の購読者ですが、実はとってもいない朝日新聞の「声」欄の常連でもあります。

私はずっと朝日新聞だったのですが、一昨年とんでもない虚報(医療費の三分の一が不正請求)を朝日新聞がやってから、頭にきてとるのをやめました。

販売員の態度がでかかったと言うこともありましたが (笑)。

その前から朝日新聞の特に医療問題の扱いが、厚生省べったりだったのも嫌いでした。

読売にしなかったのは、地元の読売の記者が嫌いだったというきわめて私的なことです。

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お客様より


読者より

木村愛二です。

 早速の御返事、有難うございました。HPでも私を宣伝して頂き、感謝この上ありません。

 お名前は確かに、幽かな記憶に残っていました。しかし、本多勝一批判とは結びつかず、その点、わが脳ミソの検索不十分でした。

 ところで、「シャワー室」の件も、来年元旦から開始する「ガス室」連載での「症例」の一つとして予定していますが、とりあえず貴兄の思い込みの誤りを指摘しておきます。

 貴兄は、次のように書かれました。

「実物大のシャワ―室を造り、再現実験を全世界の歴史修正主義者を被験者にして、ぜひ行うべきだ。これは脅迫ではない。証明されない推論よりも、当事者の証言のほうが資料的価値が高いという常識を指摘したいだけである」

 この文章には、非常に残念ながら、本多勝一の水準の非論理的部分が、いくつかあります。

 第1は、「シャワー室」です。

 これは「絶滅論者」の主張に合わせると、「シャワー室に偽装したガス室」とすべきところです。単なる「シャワー室」なら拙宅にも造って頂きたいところです。

 それはそれとして、フランスの歴史見直し論者、フォーリソン博士は、正月にパリで会った時、力を込めて教えてくれました。「絶滅論者には、ガス室を見せよ、さもなくば描け、と要求せよ」

 いかがでしょうか? 凶器の具体的構造の説明ができない殺人事件などは絶対に存在しませんよ。

   第2は、「当事者の証言のほうが資料的価値が高いという常識」です。

 最近、著者から献呈を受けた『特捜検察』(岩波新書)には、初代特捜部長として名高い河井信太郎の「口癖」が、次のように引用されています。

「人に聞くよりモノを見よ」「捜査に行き詰まったら証拠品を見よ」

 デカ長部屋の刑事語録では、「ブツに聞け」と言います。物的証拠が一番大事なのです。

 貴兄の理解は全く逆です。古今東西、「証言」と称する人語ほど、欺瞞に満ちたものはないのです。人間は最高の嘘つき動物なのです。貴兄が医者なら、このことは一番重要です。患者の問診だけで診断ができるのなら、医者は廃業すべきでしょう。

 私には「笑い」などと入れる軽薄な習慣はありませんので、以上。


亭主より

西村より

「神アダムに言ひたまひけるは『汝は何処にをるや』 」(創世記三・九)

おやおや困ったことだ(笑)。一面識もないひとから、「医者は廃業すべきでしょう。」などといわれてしまった。こんなおせっかいを「軽薄」と言わずに、なにを軽薄と呼べるのだろうか。第一今更この年で、医者をやめて、何の仕事をせよとおっしゃるのだろうか。このお方は。

冗談はさておき。まず木村氏の誤解を解くことからはじめよう。古今東西の医師が徹底的にたたき込まれていること、それは

患者に尋ねよ

ということである。あらゆる偏見を廃して、虚心に患者の訴えに耳を傾けよ。患者の訴えの中にある<病のロゴス>を探り当て、病んだ人のために自らができることを判断せよと言うことである。

事実九割以上の病は(木村氏のご期待を裏切り申し訳ないが)、注意深い問診だけで診断することができる。これは「黙って座ればピタリと当たる」などというたぐいのこととは何の関係もないことだ。

逆に、患者の痛みに対する同情・共感のできないもの、総じて患者の訴えを信じられないものに、医師の資格はないと言い切っていいのだ。

木村氏にお尋ねしたい。あなたは訳しりがおで

古今東西、「証言」と称する人語ほど、欺瞞に満ちたものはないのです。人間は最高の嘘つき動物なのです。

とおっしゃる。ではその「嘘つき動物」にあなたご自身は入っていないのか。自分は「嘘つき動物」でないと言われるのかもしれない。ではあなたはご自身を、人間以上の何物かであると思いこんでいるのか、と。

そうでもなければ、いかにしてあなたは言論という、人間にしか駆使できないはずの意思伝達手段をもって、自説を主張し、人の世で自らの身を処すつもりなのか。

なぜあなたは信じる価値なき「嘘つき動物」に向かって、言葉をかけ続けているのか。それでもむなしくはないのか。

あなたのおっしゃる「フォーリソン博士」が、実はあなたの想像上の産物、全くの虚構でないという保証はどこにあるのだろう。

私は木村氏の言葉に、冒頭引用した、エデンの園の物語にでてくる、真実の言葉に耳を傾けられなくなったアダム(=木村氏)が陥った、底なしの混迷、無明を見る気がするのだ。

木村氏は私が批判したことのごく一部にしか、しかも部分的にしか答えてくれていないが、こちらは批判に答えようと思う。

まず第一点。

第1は、「シャワー室」です。

 これは「絶滅論者」の主張に合わせると、「シャワー室に偽装したガス室」とすべきところです。単なる「シャワー室」なら拙宅にも造って頂きたいところです。

もちろんここで言う「シャワー室」は、「あの」シャワー室である。アウシュビッツの生き残りのユダヤ人が口々にその恐怖を語った「あの」シャワー室であり、ナチの医師たちが、プラットホームで、収容所内で、「シャワー室送り」にする人を選別する事に、深い苦悩と恐怖と絶望感を覚えた「あの」シャワー室である。

私は歴史的固有名詞として「シャワー室」という言葉を使ったのだ。これを「シャワー室に偽装したガス室」と呼び変えて、私の不明を糾弾し、「本多勝一の水準の非論理的部分」と、鬼の首でもとったように得意がる人の、知恵の深さには感嘆するしかない。

第二点である。

フランスの歴史見直し論者、フォーリソン博士は、正月にパリで会った時、力を込めて教えてくれました。「絶滅論者には、ガス室を見せよ、さもなくば描け、と要求せよ」

 いかがでしょうか? 凶器の具体的構造の説明ができない殺人事件などは絶対に存在しませんよ。

木村氏には「本多勝一の水準の非論理的部分」などという前に、改めて私の文章を読み直してほしい。私はこう書いた。

証明されない推論よりも、当事者の証言のほうが資料的価値が高い

と。

ここでいう「証明されない推論」とは何か。もちろん「あの」シャワー室では人が殺せないと言う、より木村氏寄りに公平に言えば、歴史修正主義者の間でしか通用していない、「あの」推論のことである。

木村氏は「物的証拠が一番大事」という。しかし私の目には彼らの主張は、物的証拠ではなく、あくまで一つの推論、仮説の範囲をでない。

ではこの論争に決着をつけるにはどうすればいいか。それは私が書いたとおりだ。

実物大のシャワ―室を造り、再現実験を全世界の歴史修正主義者を被験者にして

行えということである。

私は、この提案から、木村氏が逃げまどっている理由がわからない。

シャワー室に人を殺す能力はないというのが、木村氏たちの主張である。では何も怖れることはないではないか。

再現実験をしても、被験者である木村氏たちは、ピンピンしてシャワー室から出てこられるのだろう。

そんな「無害」な実験をためらっているのはなぜなのか。

もし木村氏たちが、この私が提案する「無害」な実験を受け入れるならば、そしてその結果確かに「ガス室」の無理が暴かれるならば、譬え「驚天動地」の主張でも、私は信じる。わたしだとて科学の徒の端くれだ。実験が公平に行われれば、そこで証明された事実の重みの前には従う。

木村氏には、私のこの提案に対する誠実な返事を要求する。

それがない限り、私は多くのユダヤ人被害者、及びドイツ人加害者の苦悩に満ちた、そして時と時代を隔てながら、論理的に破綻しない、証言の重みをこそ信じる。(12月12日記)

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お客様より

初めまして。木村愛二と申します。

1937年生まれ。61歳。著述業。武蔵野市西久保1-49-16.TEL&FAX:0422-54-7476.

 E-mail,HP関係は最後に署名。

 本日、佐佐木さんのamlMLへのmailで貴兄のことを知りました。

 私は株式会社金曜日と執筆者を名誉毀損で訴えています。裁判の状況はホームページに入れてあります。

貴兄のホームページを見ましたが、本多勝一のところで、佐佐木論文、カンボジア1-11章などのリンクをクリックしても「見つかりません」と出るのですが、どうなっているのでしょうか。

 私の裁判の本人陳述書では、別途の情報をも得て、本多勝一が初期の出世作でも経歴詐称の上に、デッチ上げをしていた事実を暴露しました。全く呆れた大手新聞記者なのですが、これが大手メディア典型なのです。

 御連絡を待ちます。以上。

 木村愛二:ある時は自称名探偵。
 ある時は年令別世界新記録を夢見て励むマスターズ生涯水泳選手。
 ある時は『メディア批判:取って換わる国際電網情報基地』 編集・管理人。
 ある時は武蔵野市と地方自治を自由に語るML: musacity管理人。


亭主より

西村より

このメールをくださった木村愛二氏をご存じないかたが多いと思うが、かれは「ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺はでっち上げだった」というふざけたことを、臆面もなく主張する「歴史修正主義者」の大物(笑、笑)である。

私は彼が「週刊金曜日」誌上で自説を開陳していた際に、すでに以下のような文章を発表している。

木村愛二氏にひとこと。

 肉親をナチに奪われた多くの人々の証言や、自責の念に駆られている元SS隊員の告白よりも、みずからの「仮説」が正しいとうぬぼれるのならば、実物大のシャワ―室を造り、再現実験を全世界の歴史修正主義者を被験者にして、ぜひ行うべきだ。

 これは脅迫ではない。証明されない推論よりも、当事者の証言のほうが資料的価値が高いという常識を指摘したいだけである。

 木村氏の議論には仮説が必要である。つまり「すべてのユダヤ人は生まれつきの嘘つきだ。そればかりかSS隊員までが、全員一流の俳優以上の嘘つきだった。その嘘に五〇年間とらわれ、みずから犯しもしなかった罪のために、良心の呵責に苦しみ続けている」と信じよという。それは無理だ。

アンネ・フランクは「病死」ではない。彼女を含む多くのユダヤ人が罪もなく強制収容所に閉じこめられ、横死したという事実は消えない。奴隷労働に使役され、生命を維持するに足る栄養も、必要な薬も、休息も与えられなければ、どんな健康な人でも早晩死ぬ。死因は虐待死である。

 ナチズムはその出発から、優性思想と民族衛生学という似非医学をバックボ―ンとしていた。多くの障害者、同性愛者、戦病者があるいは断種術の対象になり、「安楽死」という名の殺人の対象になった。片々たる妄説ではこれは消せない。

みずからの反ユダヤ主義・人種差別を隠すイチジクに、パレスチナ問題をもちだし、片方でソ連の陰謀説を唱えなから、ドイツ基本法が反共だと非難する。木村氏の友人=ネオナチが、今アラブ人相手に何をしているのかを見れば、主張の意味は明らかだ。こういうのを、信念のない、もっとも下劣な政治的レトリックという。

この文章は珍しく「週刊金曜日」で改竄されることもなく掲載されたので、木村氏も目に入ったはずなのだが、「初めまして」と言われるように、私のような小者の名前も記憶されてはいないようだ。

ついでに、木村氏と同じ主張をして、「マルコポーロ」という、どうでもいい雑誌の息の根を止めたのは、どこかのオッチョコチョイの同業者(この青年医師の名は思い出せない【笑】)だった。彼に対しても、問題が表面化した直後、私は朝日新聞の「声」欄で真っ先に批判をしている。縮刷版ででもごらんありたい。

まず質問にお答えしておきたい。本多勝一論の頁は正常に機能しているし、きちんとそれぞれの頁にいけることは確認済みである。「どうなっているのでしょうか」といわれても、逆にそう伺いたいのはこちらのほうである。少なくともこの症状に関しては、管理者である私の責任ではないと思う。

話は脱線するが、木村氏と「週刊金曜日」が裁判で争っているという話は知っていたが、この話を聞いたとき、正直びっくりした。

これは歴史修正主義者にも、本多氏にもお詫びしておきたいのだが、私は長い間、両者が裏でつながっているのだと、邪推していたからである。

というのは、本多氏が「週刊金曜日」に執筆した「『マルコポーロ』を廃刊して『諸君!』は廃刊せぬ文春を嗤う」という文章では、本多氏自身が、歴史修正主義者に対してどのような態度をとるのかが明らかでないからである。

株式会社文藝春秋が発行する月刊誌『マルコポーロ』二月号が、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は作り話だった、とする記事を掲載し、ユダヤ人団体などが抗議した。これに対して文春側は、刊行まもない段階の一月三〇日に、記事に間違いがあったとしてこの月刊誌の廃刊を決定し、花田紀凱編集長を解任した。(ただし「廃刊」にすれば「解任」などしなくても居場所がないのだから当然のこと。「解雇」ではない点に注目を。)

 なるほど。まことにすばやい措置である。すば やすぎる。「作り話」や「間違い」について、詳 細に検討した結果とは思われない。検討したので あれば公表すべきであろう。何のための記事だっ たのか。

 しかしながら、ともかくホロコーストやガス室 を「作り話」とする記事が間違いだから―とい う理由で廃刊したのであれば、それ自体は歓迎す べきであろう。本当に「間違い」だとすれば、ナ チ=ドイツがやった現代史上稀有の残虐行為に対 するあまりにも軽率な、まともなジャーナリズム とはいえぬ行為なのだから。
(本多勝一編著「大江健三郎の人生」毎日新聞社、221〜222頁)

さてカンボジアで、ポルポトによる民族の根絶やしという「現代史上稀有の残虐行為に対」して、これをかばい立てするという、「あまりにも軽率な」ことをやったのは、どこのどなただったかという茶々を入れたくはなるが、それはさておき。

この導入部のあと本多氏は、南京大虐殺を巡って、彼と雑誌「諸君!」との間のやりとりを紹介して、

ともあれ、「南京」を否定した文春は完敗した。アウシュビッツを否定した文春の今回の態度が、もし本心からの反省であるなら、『諸君!』こそ廃刊にすべきであろう。(同上223頁)

と述べている。私はこの文章にざらざらした、何ともいえぬ不快感を覚えるのだ。

あるいは人は、私の読後感を、ある種の偏見に捕らわれた、過剰反応であるように非難されるかもしれない。

「本多氏は文春のアウシュビッツ問題の背景に、南京大虐殺問題があることを鋭く指摘しているのではないか。どこが不快なのか」と。

詳しく説明をしよう。私が最初に引っかかったのは、

まことにすばやい措置である。すばやすぎる。「作り話」や「間違い」について、詳細に検討した結果とは思われない。

というくだりである。

かの「マルコポーロ」の文章を読んだ方なら知っているが、あの文章は、欧米の歴史修正主義者の主張を、ただオウムがえしに述べているだけのものであって、著者は執筆に際して、当時の手紙や日記、刊行物と言った一時資料に直に当たっていない。だから私は朝日新聞への投稿で「無価値な論文」と非難したのだ。

こんなくず論文の真贋も見抜けなければ、まずジャーナリストとして失格である。

ところが本多氏にかかれば、これが、「詳細に検討した結果」でなければ、真偽が確かめられないものに格上げされるのである。あたかも「アウシュビッツの嘘」に何かとるべきもの、検討すべきものがあるかのような印象をしか与えないのだ。しかもその言葉のあとで

ナチ=ドイツがやった現代史上稀有の残虐行為

を非難する言葉をちりばめるのだ。「マルコポーロ」の文章の結びが、恥知らずにも、ユダヤ人犠牲者の霊への献辞になっていた。これと同じ罪深さを、私は本多氏の文章に感じる。

この文脈の中に、「本当に『間違い』だとすれば」という言葉があるのだ。私にはこれは、「自分は専門的に研究していないから、真贋については保留している」という、謙虚な態度だとはどうも映らないのだ。

「マルコポーロ」論文ほどの社会的影響はないが、同じように根拠も責任もないくず論文が、本多氏の主催する「週刊金曜日」誌上にあふれているのも、偶然ではあり得ない。

ただ以上のようなことはあくまで状況証拠にすぎない。名誉毀損で訴えられた「週刊金曜日」と木村氏が裏で密かに気脈を通じているというのは、ユダヤ人とナチが密通していたという、歴史修正主義者のだボラのたぐいでしかあるまい。

ここで私の誤解をお詫びするが、それでも本多氏の歴史修正主義にたいする態度は、不明だとしか言い得ないことは、強調しておきたい。(12月10日記)

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お客様より

読者より

はじめまして。

最近熱っぽい症状が数日続いています。といっても、36度後半くらいなのですが。特に顔・頭だけががほてっている感じです。

リンパ節は別にはれているようにおもえません。(いまいちどこがリンパ節かさわってもわからないのですが)大丈夫とは思いつつ、1ヶ月ほど前、初めての風俗だったのでなんか悩んでしまっています。悩みすぎているのかわかりませんが。

悩むことにより、風邪でもないのに、頭・顔がずっと熱っぽくなることはありますか?

コンドームも最初から最後までつけていて、口でのSEXもしていないのですが、それでも感染の可能性はあるのでしょうか?

初期症状の発熱と風邪の違いはどんなところにあるのでしょうか?

名前の掲載は避けてください。


亭主より

西村より

まず、コンドームを最初から最後まで使ったセックスをしたのであれば、コンドームが破れていない限り、エイズに感染することはないと思います。

HIVに感染する可能性のある危険な性交渉は、コンドームを使わない、経腟性交、経肛門性交、口腔性交です。

このうちオーラルセックスはほかの二つよりはリスクは低いと考えられますが、この経路で感染した人がいますから、完全に安全とはいえません。

だからあなたが感染しているとは考えられませんが、この頁を読んでいるほかの方のために、HIVの初期症状のことを述べます。

HIVに感染すると、全員ではありませんが、約六割の人が、急性感染症状といわれるものを経験します。これは一言でいって「風邪」です。発熱、のどの痛み、リンパ腺の腫れ(首の下や脇の下、股の付け根をさわってみてください。そこに小指の先ほどの「ぐりぐり」としたものが触れます。これがリンパ腺です)が、普通の風邪よりやや長め(1ないし2週間ぐらい続きます)だという以外に、これといった特徴がありません。

また、昨日感染の機会があって、今日すぐに発病するというものではありません。普通2〜4週してから症状がでます。

この時期HIVの抗体検査を受けても意味がありません。最近のガイドラインでは、感染の機会があってから6ヶ月後に検査を受けてでなければ、感染しているかどうかの診断ができません、ただ不安が強い場合は一度医師に相談されることをおすすめします。この方のおっしゃるように、不安だけでいろいろな症状がでる場合があるからです。(11月28日記)

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お客様より

読者より

こんにちは。ページ「『金曜日』問題を考える」(http://www.coara.or.jp/~pwaaidgp/kinyoubi.html )を読みました者です。私も、週刊金曜日を創刊から百数十号まで定期購読で読んでいました。今は止しています。

西村さんのページ( http://www.coara.or.jp/~pwaaidgp/ )すべてを読んだわけではなく、前記「金曜日」と「本多勝一論」(http://www.coara.or.jp/~pwaaidgp/honda.html )だけです。本多勝一氏の示した行動・思考法を好んでいるものですから、それらを示した本多氏がそのとおり に行動しているか気になったのがきっかけです。

で、西村さんのお書きになった文章が多量なのに、私の気になった部分がほんの少量で申し訳なく思いつつ、気になる部分があるので“批判”いたします。それは「『英語帝国主義』か『言語国粋主義』か」です。(他にもあるけれど、面倒なので(^_^;)今はよします。)

本多氏が「ティーム」を罵った理由については、日本語での会話に英語風の発音を持ち出す「家畜」をブッ叩きたかったからでしょう。カタカナ語として「チーム」が日本語の単語になっている現状で、なぜ英語風の「ティーム」なのか、と。なので西村さんの「母国語でない言葉を…呼びかければよかったのですか」は的外れであるように思えます。

また、別の場面で本多氏は「日本には日本語の辞書が存在しない」と題してブッ叩いています。さらに、日本語をローマ字書きにしたい気持の一部を「日本語の作文技術」に匂わせていますね。“私の著作を読んでくれ”と書くのを面倒がっての黙殺(ボツ)だったと言えば言えるでしょう(これは勝手な好意的解釈ですが) 。書きたい事を書きたい時に書くのが本多氏の仕事ですから、量のバランスがとれないのは仕方がありませんね。

「公開質問状」の回答はまだないのでしょう。ないとしたら、いつになるのでしょうね。『内外タイムス』という新聞の1998年10月10日号<17336号>にも「本多勝一氏激高の裏」という記事で「(取材の申込み文書に)1週間経っても回答が ない」とありますから、ゲリラ的に急襲でもしてじかに会って事を質すしかないのかもしれません。

物理学者ニュートンの人格と万有引力の法則とを区別しているように、本多氏の人格と行動・思考法とを区別していくことになるのですね。私は、本多氏の示した行動・思考法が好みであるだけで、本多氏の行動・思考法がどうであってもよいのです。ずるい“いいとこ取り”が好きなもので、本多氏への批判はおまかせします(^_^;)。

この電子メイルの文をWEBページに掲示されても私は文句を言いません。もちろん、書き換えなどはしないでください。もし西村さんから返事をいただけたとしたら、それを私のWEBページに掲示するかもしれません。その点をご了承下さい。長々と失礼しました。それでは、また。


亭主より

西村より

まず「本多氏が『ティーム』を罵った理由については、日本語での会話に英語風の発音を持ち出す『家畜』をブッ叩きたかったからでしょう。カタカナ語として『チーム』が日本語の単語になっている現状で、なぜ英語風の『ティーム』なのか、と」と言う部分はその通りだと思います。ただし彼の場合「家畜語」に対して反感を持つ基準が、きわめてご都合主義的であり、たとえば「ノー・ゴルフ・国際フォーラム」のほうは素どおりすることも指摘したとおりです。

さらに、いわゆる「カタカナ語」と「家畜語」の間の境界線も、本多氏の基準が揺れていることからもしれるように、必ずしも明瞭ではあり得ません。たとえばNHKはかなり以前から「レポート」を「リポート」というようになっています。私たちが子供の頃は「globe」は「グローブ」でしたが、いまではより家畜度の高い「グラブ」になっています。

しかも日本語という言語に及ぼす英語の影響は「チーム」と「ティーム」のようなわかりやすい例にとどまりません。私たちは日本語の音は、「ん」をのぞき、必ず子音+母音で構成されると信じてきました。しかし必ずしもそうではなくなっています。たとえば「スチーム・アイロン」のスチームは訓令式のローマ字ではsuti^muですが実際の発音はsti^mになっています。母音が落ちているのです。また「キング・コング」の「コング」は鼻音の「ng」として発音している人が多くなっています。

おそらく古代の日本人も、このようにして、中国大陸の言葉や音を身につけていったのだろうと思います。

元々言語は政治的経済的文化的に優勢な集団が話し書くものが、より勢力の弱い集団に流れる傾向があります。端「ハシ」という言葉は、すでに半ば以上、東京方言である「ハジ」に取って代わられています。

ここで話題の中心になっている帝国主義言語=英語そのものが、「家畜語」の固まりのような成り立ちをしていることを指摘しておくのも、意味があるでしょう。

英語発祥の地であるイングランドは、また強国の支配を次々に受けてきた歴史でも有名です。古代ローマから始まり、たびたびフランス、バイキングなどの侵略を受けてきました。そのたびに植民してきた民族の言葉が英語に加わってきています。未だにアメリカのインテリは、文章の中にフランス語をはさむことを好みます。一方誇り高きフランス人にとって、英語の単語の流入でフランス語が汚れることが大問題にもなっています。同じようなことは韓国・朝鮮語と日本語、中国語と日本語の間でも観察できます。

言語は生き物であり、より多くの情報を持つ言語の影響―現在ではその最右翼がアメリカ英語であることを否定できる人はいないはずです―を、国粋主義の立場で、単純に排除しようとしても無理があります。

もう一つ私が本多氏の文章で許せないと思ったのは、彼が何気なく使ったであろう「本当のイギリス語ではない」という下りです。この言葉にはイギリスで話されるクイーンズ・イングリッシュだけが本当の英語で、それ以外はにせものだ、家畜語だという考えがあると、私には映りました。今世界に白人主体の国家ではないが、英語を公用語にしている国は10カ国以上になるでしょう。多くの国は英語を話す白人の植民地支配を受けました。しかしそれだけではなく、多くの国が多民族国家で、一部の幸運な例外をのぞいて、共通語を持っていないと言う、厳しい現実があります(ついでながら、これらの新興国で一国も共通語にエスペラントが採用されなかった理由をどう考えておられるのか、エスペランチストの本多氏に伺ってみたいものだと思います。これは余談)。

アフリカにはアフリカ英語があり(国によってすこしや違いがあるでしょうが、アフリカ諸国で話される英語には特有の癖のようなものがあります)、アメリカにもオーストラリアにも、特有の英語があり、当然「ティーム」の発音にも違いがあります。日本が公用語に英語を採用する可能性はまずないでしょうが、もしそうなれば日本英語があって良いのです。

日本に住んで立派な共通語である日本語がありながら、英語を使いたがる連中は植民地主義に毒された家畜だと憤る心の底に、「下手な英語を使いやがって」というさげすみの心がないのか。「俺は正しい英語を知っている」という倒錯した植民地主義が本多氏に潜んでいるのではないか。本多氏に確認したいところです。

なおここからはあくまでも私の憶測の域を出ませんが、本多氏が、しつこく繰り返しますが、「ノー・ゴルフ・国際フォーラム」に反対せずに、ティームに憤った裏の理由が、あるのではないかと私は考えます。

よく知られているように本多氏は日本語のローマ字表記には訓令式を用いること、ヘボン式は採用しないことを繰り返し述べています。その訓令式の最大の弱点はチとティの区別、及びあえてヘボン式を用いればsiとshiの区別ができないということです。

本多氏には悪いですが、多くの日本人はすでに「チ」と「ティ」の区別がたたき込まれています。両方を<TI>で一くぐりする事はできません。それからこれは「チ」「ティ」ほど私たちの意識の上に上がっていませんが、SIとSHIの区別はあります。たとえば健診と謙信の二つの「し」は、前者がよりSIに近く、後者がよりSHIに近い関係にあります。

訓令式は、そしてその基の考えをなすいろは50音図は、日本語にある多様な音を乱暴にまとめた欠点を持っていると私は考えます。私は自分の名前をローマ字ではNISHIMURAと書き、NISIMURAとはよほどのことがない限り書きません。つまり私の西村は第一音「に」により強勢があり、「し」には強勢がないことを、私は主張しているのです。

日本語は英語と出会うことで、多くの音を輸入してきています。これを表現するにはもはや訓令式では不可能になっているのです。本多氏は訓令式を守るために「ティ」を使うものを「家畜」「植民地主義」と呼び、SHIを罵倒しているのではないか。どうお考えでしょうか。

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