その他の雑文集


ここには、いままで私が折に触れて書きためた、様々な原稿を収めました。原則的にすべて「ボツ」になったものですが、一部には送ろうと思いながら送ることの出来ない手紙のたぐいもあります。


死刑制度とテロリズムを考える1
オウムを森に帰すために

概要

 オウム真理教事件の背景には、終末論とそれに基づく熱狂があることを指摘し、この熱狂こそが、若者をテロに導いたものであることに言及。これは四半世紀前の若者が全共闘運動の中で腐敗し、ついに連合赤軍事件に至った躓きの大本であることを指摘した。

 この躓きは、また原理的には滝沢克己が警鐘を鳴らし続けた現代人の病そのものである「存在の哀しみ」と「おごり」に基づくものであることを指摘し、滝沢哲学の再検討を呼びかける。


オウムを森に帰すために第1章
オウムを森に帰すために第2章
オウムを森に帰すために第3章
オウムを森に帰すために第4章
オウムを森に帰すために第5章
オウムを森に帰すために第6章
オウムを森に帰すために第7章
オウムを森に帰すために第8章
オウムを森に帰すために第9章


死刑制度とテロリズムを考える2
永田洋子さんへの手紙

概要

これは永田洋子著「続一六の墓標」の読書感想文であり、著者への手紙という形で書きました。

実際に手紙を出そうとすると、現在死刑囚は大幅に通信の自由が奪われており、獄中の彼女と意見を交換することも、そのために手紙を出すことも、ほとんど不可能です。

反論の機会を奪われた人物を一方的にたたくことは(相手が超有名人であり、こちらが名無しの田舎医師であっても)、私のもっともやりたくないことです。

ただし、連合赤軍事件は同時代人としての私にとって、さけて通れないことです。出来る限り個人攻撃にならないように配慮したつもりですが、多くのみなさんのご批判をお願いします。

永田洋子さんへの手紙、本文へ


死刑制度とテロリズムを考える3
官僚と武装レーニン主義者に通底すること
浴田由紀子氏の意見陳述を読んで

(新作 5月6日)

死刑制度とテロリズムを考えるシリーズの第三弾です。今回は連続企業爆破事件で逮捕され、その後日本赤軍のダッカ事件=ハイジャック事件で釈放された浴田由紀子さんの法廷での意見陳述書を取り上げます。

今回はレーニン主義と官僚制度の通底という課題を、「超法規的釈放」問題と絡めて取り上げました。


・浴田意見陳述を読んで第1章へ
・浴田意見陳述を読んで第2章へ
・浴田意見陳述を読んで第3章へ
・浴田意見陳述を読んで第4章へ
・浴田意見陳述を読んで第5章へ
・浴田意見陳述を読んで第6章へ
・浴田意見陳述を読んで第7章へ


死刑制度とテロリズムを考える4
私たちの足下にある腐敗

東アジア反日武装戦線の頁という頁へ私が投稿した内容を転載します。内容はしつこく反日武装戦線の総括を巡ってです。

・私たちの足下にある腐敗の頁へ


死刑制度とテロリズムを考える5
被害を直視すること

うえと同じく東アジア反日武装戦線の頁へ私が投稿した内容を転載します。論争の相手から転載の許可を貰っていませんから、ここでは私の書いたもののみを掲げます。是非関連した頁も参照ください。

被害を直視することの頁へ

バブル評論家がオウムを笑えるか

私はもともと不勉強で、暇もなく、いわゆる文芸評論や政治評論のたぐいを、広く読み込んだ経験はありません。時々折に触れて斜め読みした範囲という、はなはだ危うい経験からは、どうも40代後半から50代前半の、いわゆる団塊の世代の評論家には、まともに世界に切り込む批判の力も、人の心を動かすだけの分析力もないと思ってきました。

そんな中でオウム真理教問題で「オウムと全共闘」という本を上梓した小浜逸朗をある期待をもって読んだのだが、残念ながら、オウムを論ずる上で必要な、基本的な時代認識が欠如していることを感じずにはいられなかった。

バブル評論家がオウムを笑えるかの頁へ

クーデターという官僚の思い上がり

(新作 7月21日)

旧稿ですが、左翼レーニン主義と国家官僚の思考構造の相似という意味で、かつて「現職自衛官のクーデター計画」という文章を発表した人物への批判を掲げます。

クーデターという官僚の思い上がりの頁へ

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