大津波その後

2011年の4月から、私SHIBAは再び仙台での生活を始めました。その1か月前に起こった大地震と大津波。当時横浜にいた私は無事でしたが、引っ越しが1カ月延期になったほか、東北在住の仲間に連絡がつくまで、暫く不安な日々が続きました。

以下の写真は、私が津波の被害を受けた場所に直接行って見てきた「現実」です。直接被災していない人間が、被災地を写真に撮ることには賛否両論あるでしょうが、震災から100日以上が経って、徐々に震災から原発事故などに関心が移ってしまいそうなこの時期にこそ、ぜひ見ていただきたいと思いました。(2011年7月)

4月17日〜多賀城市〜

 私が地震後初めて仙台を訪れた日が4月17日です。引っ越し前にライフラインの状況を確認しておこうと1泊2日の訪問でした。当時はまだ新幹線が福島までしか復旧しておらず、東京駅から高速バスで乗り入れることに。途中屋根が青色ビニールシートに覆われた家がちらほら見えましたが、内陸部は見た目大きな被害はなさそう・・・ところが駅前でバスを降りて唖然。仙台市の顔ともいえる西口の駅舎がスッポリ工事用の足場に覆われていたのでした。みるとペデストリアンデッキにもあちこちひび割れが。やはりここで起きた事はただ事ではなかったのだと改めて実感する光景でした。
 


まだホテルのチェックインまで時間があったので、仙石線で津波被害のあった多賀城へ。仙石線も当時は途中の小鶴新田駅止まりだったので、そこから多賀城駅まで4駅分の距離を歩くことに。 国道45号線沿いにひたすら歩くと、やがて多賀城市の看板が見えてきました。ここまで特に津波の被害は見当たらず、安心していたのですが、多賀城市に入った途端、恐ろしい光景が目に入ってきました。

 

 
 大きな松の木があり得ない場所に転がっていたり、沢山の車があり得ない向きになっていたり・・・・窓の割れたお店の中からは、ほんのり磯の香りが。しかし海でバーベキューをしているような心地よい香りではなく、紙や布、畳、金属などあらゆるものが塩水に浸かり、痛み腐った、非常に不快な臭いでした。
さらに右下の「柵」の写真。この柵は津波で横倒しになっていますが、ポキっと折れたのではなく、根元から大きく折り曲げられてしまっているのです。水の勢いがいかに強かったか解ります。
国道を折れて住宅街に出ると、道の両端には大量の家庭ゴミが。


地元のおばちゃん曰く、これでも1度ゴミ屋さんに出してもらったそうです。「この街でも大ぜい亡くなってねぇ。この団地と多賀城駅との間に川があるんだけどね、津波はそこで止まったのよ。だから駅側は天国、あたしたちの側は地獄よ・・・」
 幸い無傷だった多賀城駅の前には、自衛隊のキャンプが設けられており、「入浴できます」などの看板が立っていました。まだ水道やガスは復旧していないようです・・・
←奥にある高架線が多賀城駅。

4月18日〜仙台空港〜

 翌日はヘリの中継で水浸しの映像が流れていた仙台空港を訪れました。空港アクセス線は運転できる状態ではないので、名取駅からバスに乗車。海に近づくに従って瓦礫が増えてきました。
 
仙台空港も上の階は無事でした。しかし1階部分はご覧の通り。ドアの上、「国際線到着」の文字より更に上にまで泥が付着しています。入り口の自動ドアは、ガラスがほぼ完全に失われています。

 空港の前には小さな川があり、それを渡ると、元は住宅街だったと思しき場所が広がっていました。その場所を歩いてみる事に。
 

動画も載せました。こちらからどうぞ。

ここに生活の場を置いていた人達の気持ちは、家も知人も無事だった私などには決して解らないと思います。しかし、3月10日までは、いや11日のお昼までは当たり前だった暮らしが、何の前触れもなく失われた。もし自分がそうなったらその現実をどう受け止めればよいのでしょう。

5月26日〜名取・閖上〜

最後は、引っ越しの後訪れた名取市閖上(ゆりあげ)地区の様子です。名取川の川沿いに位置し、大津波に襲われた瞬間がNHKの中継で流れた場所です。震災から2か月半の後も、再建の目処は経っていません。

 
傾いた電柱。ここは閖上に向かう途中の道ですが、こうした爪痕があちこちに見られました。


衝撃を受けた光景。大きな船が歩道にまで乗り上げています。しかしここは海から1〜2km離れた場所です。


中継された名取川・閖上大橋の上。この橋は無事だったようです。遠くに海が見えますが、小さな白波が立っているだけでビクッとしてしまいます。


殆ど建物は残っていません。

現在



 7月の仙台駅。修復作業はだいぶ終わったようです。しかし沿岸部はまだまだ瓦礫が残っており、復旧にはまだ長い時間が必要です。

 あとがきに替えて
1923年の関東大震災、48年の福井地震、95年の阪神淡路大震災、04年の新潟中越地震。日本は多くの地震に襲われてきました。しかしその度、免震構造の建物開発や、防災訓練の徹底、緊急地震速報の実施など、多くの技術開発や災害対策が行われてきました。日本は地震の度に強くなって来たのです。今回の地震を乗り越えて、日本が再び強くなるため、私たち若い世代がもっと頑張らねばなりませんね。