今月のコラム
スティーブ・モリヤマ氏 Steve Moriyama氏。趣味は「異文化ウォッチング」:これまで70か国、延べ300回訪れ、様々な文化や人々を観察してきた。

著書は中国等における訳書を含めると14冊を数え、近著には『拡大欧州投資・税務ガイド』(中央経済社)や『人生を豊かにする英語の名言』(研究社)、『ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ』(ソフトバンク)などがある。著者のURL: http://www.geocities.jp/stevemoriyama/
  
『英語社内公用語化の傾向と対策』の書評(ここをクリック)


☆沈黙のDNA v.s. 議論のDNA☆

  最近、日本の雑誌などで、KY(空気・読めない)というスラングをよく見かけます。このコトバの背後にある考え方を掘り下げながら、異文化コミュニケーションについて考えてみたいとおもいます。

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  大正時代に阿波研造という弓道の師範について弓術を学んだドイツ人がいます。哲学者オイゲン・ヘリゲルです。弓術をスポーツと考えた他の欧米人と違って、ヘリゲルは弓道の精神を学ぶ覚悟で阿波師匠の門をたたきました。

しかし、実際に始めてみると、異文化の壁の高さは想像を絶するものでした。日本の伝統芸の世界ではより一層この傾向が強いようですが、言葉を使って理路整然と技術を教える、という考え方がそもそも根底にありません。
たいてい師匠は無言で、たまに口を開けば「弓を射ることは、弓と矢をもって射ないこと」などという矛盾に満ちた禅問答のような会話を展開します。日本人でも混乱するのですから、おそらくヘリゲルの頭の中は混乱を極めたはずです。
弓道

しかし、ヘリゲルは粘り強い男でした。見様見真似で少しずつコツを掴んでいく過程で、無心、つまり自然体の重要性に気づくのです。

ところが、師匠はそんな彼を一蹴したのです。
  「あなたは無心になろうとしているが、それは故意の無心である。それでは先に進めない」

このエピソードは、異文化の壁を打ち破る上で、重要な示唆を与えてくれます。母国文化と異文化の違いは、頭でわかっているつもりでも、なかなか本当には理解できないものです。悪気はなくても、無意識のうちに欧米の不文律を犯す日本人は後を絶たないのです。


◎ 「言わなくてもわかるはずだ」という幻想

  「この案、なかなかいけそうだね」「そうだね、これでいこう」
腹芸、あうんの呼吸、以心伝心。読者の皆さんの職場でもよく見かける光景ではないでしょうか。伝統的に、日本人は短く伝えることが得意です。ある意味で、細部の論理を第一に考える欧米人よりも、日本人は高い視点から瞬時にものごとを判断することに長けているともいえるでしょう。

一方で、短文化や非文化傾向は、論理の蔑視にもつながっていきました。論理を追求したり、たくさんの言葉を用いてより明確に説明しようとすると、「理屈っぽい」「あからさまだ、ずけずけ言うな」「巧言令色、鮮矣仁」(ルビ=すくなしじん)等とたちまち一蹴されてしまう土壌が日本にはあります。これはビジネスでも決して例外ではなく、契約書ひとつをとっても、この傾向は否めません。

「理屈っぽい」という表現の裏には、「言わなくてもわかるべきだ、わからなければ相手が悪い」と考えがちな日本人の精神構造が潜んでいるのではないでしょうか。何よりも大切なことは、以心伝心、つまり相手の気持ちを察する能力であり、空気を読む力であり、それをせずに「ごちゃごちゃ」言う相手はマナー知らずの鬱陶しい存在として一蹴されがちなのです。「とにかく、やり直せ」「ダメなものはダメだ」と上司に怒られた経験のある方は多いでしょうが、こういう時、案外その上司の頭の中では、具体的に何が問題なのかを明確には把握していないことも少なくないようです。


◎ 80点の仕事も口に出して誉める

  短文化傾向は、言い換えれば、なんでも「自明」として省いてしまう省略志向ともいえるでしょう。「そんなわかりきったことを言わせるな、言うな」という発想です。こうした非言語化は、文化としては大切ですし、その良さもわかるのですが、議論においてはデメリットが目立ちます。先ず、普段から言葉を使って論理的に考える機会が減ってしまいますし、次のように人間関係にも影響してきます。

たとえば、日本人は、欧米人と比較すると身内の人に感謝の気持ちを口にする頻度が少ないようです。人によって程度の差こそあれ、多くの日本人は家でもあまり奥さんをねぎらいません。会社でも、いちいち部下に「よくできている。ありがとう」などと誉めることはありません。省いてしまいます。

これが、欧米人にはこたえます。
家なら離婚話が出てきますし、職場では不満がどんよりと鬱積していきます。
ある仕事を80点のレベルで仕上げても、その80点に対して日本人上司は何のコメントもしません。無言、無表情、ピリオド。そして残りの20パーセントが、どうして問題か、どのように修正すべきか、と注文をし始めます。

良く言えば、出来上がりの品質を100パーセントにもっていこうとする飽くなき改善スピリットともいえるでしょうし、悪く言えば「他罰的な完璧主義」とも言えるでしょう。いずれにせよ、注意や注文に熱中するあまり、ねぎらいの言葉は完全に忘れ去られてしまいます。

しかし、言葉を大切にする文化においては、言わなければ決して伝わりません。「言わなくても分かるはずだ、察することのできない奴が悪い」というのは、思い込みに過ぎません。異文化コミュニケーションでは、役に立たない甘えなのです。

大切なことは、世界には言わないと分かってくれない人たちもいる。そういう異質な人たちとつき合っているのだ、と認識することです。お互いの違いを認めて、寛容の気持ちで接する・・・それが異文化コミュニケーションの基本ではないでしょうか。


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