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最近、日本の雑誌などで、KY(空気・読めない)というスラングをよく見かけます。このコトバの背後にある考え方を掘り下げながら、異文化コミュニケーションについて考えてみたいとおもいます。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 大正時代に阿波研造という弓道の師範について弓術を学んだドイツ人がいます。哲学者オイゲン・ヘリゲルです。弓術をスポーツと考えた他の欧米人と違って、ヘリゲルは弓道の精神を学ぶ覚悟で阿波師匠の門をたたきました。
しかし、ヘリゲルは粘り強い男でした。見様見真似で少しずつコツを掴んでいく過程で、無心、つまり自然体の重要性に気づくのです。 ところが、師匠はそんな彼を一蹴したのです。 このエピソードは、異文化の壁を打ち破る上で、重要な示唆を与えてくれます。母国文化と異文化の違いは、頭でわかっているつもりでも、なかなか本当には理解できないものです。悪気はなくても、無意識のうちに欧米の不文律を犯す日本人は後を絶たないのです。
「この案、なかなかいけそうだね」「そうだね、これでいこう」 一方で、短文化や非文化傾向は、論理の蔑視にもつながっていきました。論理を追求したり、たくさんの言葉を用いてより明確に説明しようとすると、「理屈っぽい」「あからさまだ、ずけずけ言うな」「巧言令色、鮮矣仁」(ルビ=すくなしじん)等とたちまち一蹴されてしまう土壌が日本にはあります。これはビジネスでも決して例外ではなく、契約書ひとつをとっても、この傾向は否めません。 「理屈っぽい」という表現の裏には、「言わなくてもわかるべきだ、わからなければ相手が悪い」と考えがちな日本人の精神構造が潜んでいるのではないでしょうか。何よりも大切なことは、以心伝心、つまり相手の気持ちを察する能力であり、空気を読む力であり、それをせずに「ごちゃごちゃ」言う相手はマナー知らずの鬱陶しい存在として一蹴されがちなのです。「とにかく、やり直せ」「ダメなものはダメだ」と上司に怒られた経験のある方は多いでしょうが、こういう時、案外その上司の頭の中では、具体的に何が問題なのかを明確には把握していないことも少なくないようです。
短文化傾向は、言い換えれば、なんでも「自明」として省いてしまう省略志向ともいえるでしょう。「そんなわかりきったことを言わせるな、言うな」という発想です。こうした非言語化は、文化としては大切ですし、その良さもわかるのですが、議論においてはデメリットが目立ちます。先ず、普段から言葉を使って論理的に考える機会が減ってしまいますし、次のように人間関係にも影響してきます。 たとえば、日本人は、欧米人と比較すると身内の人に感謝の気持ちを口にする頻度が少ないようです。人によって程度の差こそあれ、多くの日本人は家でもあまり奥さんをねぎらいません。会社でも、いちいち部下に「よくできている。ありがとう」などと誉めることはありません。省いてしまいます。 これが、欧米人にはこたえます。 良く言えば、出来上がりの品質を100パーセントにもっていこうとする飽くなき改善スピリットともいえるでしょうし、悪く言えば「他罰的な完璧主義」とも言えるでしょう。いずれにせよ、注意や注文に熱中するあまり、ねぎらいの言葉は完全に忘れ去られてしまいます。 しかし、言葉を大切にする文化においては、言わなければ決して伝わりません。「言わなくても分かるはずだ、察することのできない奴が悪い」というのは、思い込みに過ぎません。異文化コミュニケーションでは、役に立たない甘えなのです。 大切なことは、世界には言わないと分かってくれない人たちもいる。そういう異質な人たちとつき合っているのだ、と認識することです。お互いの違いを認めて、寛容の気持ちで接する・・・それが異文化コミュニケーションの基本ではないでしょうか。
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