『多極化の中で足るを知る日本』
by スティーブ・モリヤマ
筆者は「人は、人と人のつながりの中でしか生きていけない生き物である」というスピノザの言葉に惹かれる。
これまで様々な媒体で「多極化する世界」 や「グローバル・ネットワーク社会」について発信してきたが、それは正にこの言葉の本質を再認識し、人と人、企業と企業、国家と国家が「つながり」の中で、今まで見えなかったものに気づき、共生・共創していく時代に他ならないのではなかろうか。
◆ “2010年=多極化の中で足るを知る年”
サブプライム問題発生後、「今年と来年は、世界にとってどのような年になるのだろうか」を考え続けてきた。そんな中で、ふと思いついたキーワードが「知足、喜足」である。足るを知り、足るを喜ぶ。我々にとっては、父祖伝来の美徳であり、京都の龍安寺に刻まれている「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)という言葉でも有名なコンセプト。
石庭にある15個の石のうち、一度に見ることができるのは14個のみ。必ず一つは他の石に隠れて見えない。これを不満に思うなかれ、むしろ14個も見ることができる喜びをかみしめたまえ。決して満たされることのない人間の欲望、性(さが)に対して、龍安寺の石庭は沈黙を守りながら警鐘を鳴らし続ける。
◆ 圧倒的強みと圧倒的弱みの狭間で
我々は、幼少時から、直接的、間接的に「知足」の重要性を学び、それはある意味で我々の血となり肉となっている。日本が戦後の焼け野原から世界第二の経済大国になれたのも、正に「知足・喜足」の大切さを本質的に知っていたからではなかろうか。これは、世界的に見ると決して当たり前のことではなく、むしろその重要性を理解している民族は、ごくごく少数である。その意味で、我々日本人は圧倒的強みをもっていることになる。
サブプライム問題というのは、誤解を恐れずに象徴的に言ってしまうと、大金を稼ぐウォールストリートの証券マンが、相対的貧困感に苛まれ、「もっと欲しい、もっと欲しい」と賭博場と化した金融市場で本質的に価値のない証券もどきのババ抜きをやったことに起因する。1億円稼いでも、10億円稼いでいる人を見て自分は貧乏で不幸だと思ってしまう。10億円稼いでも、100億円稼いでいる人と比較して、相対的貧困感に苛まれる。どんなに頑張っても満足できない。もっと、もっと。同じく相対的貧困感に苛まれた頭の回転の速い人たちが、価値のない住宅ローンを証券化というお化粧を使って美人に仕立てあげ、世界中にいる「もっと、もっと」というおカネの好きな人たちに売りまくる。そのうち、音楽は鳴り止み、一気に化粧は剥がれ落ち、反転が始まったのが、正に去年の秋であろう。その後、世界中のリーダーたちも、知足の重要性に気づき、銀行マンのボーナス規制などを導入したものの、市民レベルで知足を理解している国は、世界では少数であろう。多くの日本人は、その凄さに気づいていないように見受けられるが、自信をもつべきだろう。日本が「世界第二の経済大国」という名刺を失った後も、英国に続く「世界第二のグローバル・ネットワーク・ハブ」として、多極化する世界の中で輝き続けられる、と筆者が確信しているのも正にこの点にある。
一方で、我々は、これとは正反対の圧倒的な弱みもあわせ持つ。完璧主義だ。飽くなき改善スピリットと言えば聞こえはいいのだが、何でもやりすぎてしまう。日本における自動車のモデルの多さや携帯電話の機能の複雑さ(及び利便性)については、世界ではなかなか理解されないし、むしろ「足るを知る」を逆行しているのではなかろうか。
これをガラパゴス化と呼ぶ人がいるが、ガラパゴスの生態系は、外の世界との接触がないことから異形化している意味で先述のスピノザの言葉に通じるが、日本の場合、むろん若者の「精神的鎖国」を案ずる声は耳にするものの、企業社会については国内市場飽和状態の中、果敢に海外に活路を求める会社が加速度的に増えている。このため、日本が抱える本質的な問題は、ガラパゴス化ではなく、「完璧主義」といえるのではなかろうか。
先述の石庭の15の石の由来を調べてみると、15という数字に秘密が隠されていることに気づく。古来より15という数字は、例えば十五夜というように、「完全さ」を表象するメタファーである。その15より一つ足りない「14」という数字は「不完全さ」を表すそうで、「15よりも14のほうがいいのです」というメッセージを石庭は送り続けているのであろう。本質的に、物事というものは、完成した時点、完璧と思った時点から反転し、崩壊が始まる。だとすると、我々の完璧主義は圧倒的弱みとなり、圧倒的強みである「足るを知る」力を相殺してしまう。
◆ 守破離と自然体
上述のように、語源というものは、しばしば物事の本質的な意味を教えてくれる。本質的なもの、即ち「ホンモノ」とは、古今東西、時空を超えて成立する普遍的概念である。「知足」(圧倒的強み)と「完璧主義」(圧倒的弱み)で一勝一敗となったが、日本が勝ち越すためのキーワードを考え続けよう。
サブプライムに端を発する世界同時不況からいち早く日本が抜け出すためのキーワードとして、「学ぶ」という言葉に焦点をあててたい。
語源は「真似ぶ」である。真似ること、模倣すること。
歴史的に日本は、異文化の中に自国文化より優れたものを見つけ出すことを得意としてきた。見つけ出すと、それを徹底的に分析して、分解し、新しいものを創り出す。仏教文化にせよ、漢字にせよ、医学にせよ、外を手本として内外の知識や経験を融合させ、日本独自のものを生み出していった。平安時代は和魂漢才、明治維新の時は和魂洋才と、師匠は時代によって変っていったが、それは模倣という言葉だけでは説明しきれない日本独自の学び方に他ならなかった。最初は異文化の教えを「守り」、次に「破り」、最後は日本固有のものを創り出し「離れて」いく。このような芸道にも似た取り組み方(「形」)こそ、日本流と言えるのではないだろうか。
こうした取り組み方は、「無から有を生み出す革新的創造(イノベーション)をよし」とする欧米の観点から見ると、否定的に捉えられがちである。しかも、彼らに「コピーキャット」(人まね猫)などと一方的に批判されると、それを否定するどころか、「そうかもしれない」と同調してしまう。自嘲癖、自虐性向に支配されがちなのか、日本人はすぐに自己否定を始め、自信を失なっていく。しかし、こうした「真似び」方も、一つの文化の形と考えれば、あながち否定できまい。
一方、欧米人、特にヨーロッパ人にとっては、異文化を取り入れることは、学ぶというよりも文化的に相手国に屈服することを意味した。
自国のアイデンティティーの危機、つまり沽券にかかわる問題だったのである。なぜか?
この理由のひとつとして、日本と違い、ヨーロッパの歴史が侵略の歴史だった点が挙げられよう。国境線は常に動かされ、その度に征服者たちに異文化を押しつけられてきたという歴史的背景を無視して、この問題を考えることはできない。物理的、精神的に蹂躪された長い年月を経て、我々の想像を絶するほど強固な自己防衛本能がヨーロッパ人の遺伝子の中に組み込まれていったのではなかろうか。
◆ 「真似び」(まなび)こそ最大の強み
このように考えてみると、我々の「真似ぶ」姿勢は、あながち否定すべきものではない点に気づく。それどころか、この余裕こそ、もしかすると日本人が諸外国に対して持つ圧倒的優位性といえるかもしれない。異文化を前に、ギスギスした気持ちにならない。むしろ素直で、自然な気持ちで接することができる。こうした自然体こそ伝統的な日本の持ち味であり、強みといえるのではなかろうか。
そして良く考えてみると、この力は、先述のスピノザの「つながり」というコンセプトにもつながっていく。諸外国とのつながりの中から自分の立ち位置を決め、新たなものを創造していく力。一方、「余裕、自然体」は、正に「知足・喜足」につながっていく。足るを知る心が、自然体を生む。さらに、真似ぶ力は「三は万物に通ずる」という老子のコトバにもつながっていく。「2と違い、3という数字では、どんな数字もきれいに割ることができない」ということから、これも不完全さの大切さを暗示するコトバである。日本人は「白黒をつけたがらない」というが、そもそも真実は中間の灰色部分にあるわけだから、むしろ白黒つけないほうが幸せなのかもしれない。いずれにせよ、異文化との関係において、曖昧さを重視する日本の姿勢は、場合によっては、強みにもなるわけである。
21世紀に入り、いろいろな意味で日本社会に歪みが生じている今、我々は今一度自分たちのもつ強みを再認識し、真剣に異文化から「真似ぶ」時期を迎えているのではないだろうか。世界を観て、日本を見直してみる。そして、自分自身を見つめ直してみる。そういう基本姿勢を身につけておくと、どこに行っても、どこで働いても、誰と接しても、つまずくことはないだろう。日本では「英語を話せる人が国際人」という神話が定着してしまったようだが、神話は真実ではない。真の国際人とは、きっとそういう自然体のできている人のことをいうのだろう。
ポスト・サブプライムの日本再生のキーワードとして、「多極化のうねりの中で足るを知り」つつ、もう一度真剣に「異文化から真似ぶ」ことを挙げたい。大切なことは、完璧主義で考えないことだ。完璧な国も、完璧な人種も、そして完璧な人間もいないのだから。そう考えてみると、日本のよい面が見えてくる。自分のよい面が見えてくる。そこから、日本の、そして日本人の自己変革の第一歩は始まっていく。これから「世界第二の経済大国」という慣れ親しんだ名刺を失い、中国、(ロシアを含めた)拡大欧州、インド、米国といった複数の超大国の狭間で、自分たちの立ち位置を模索せざるをえない日本。そうした海図なき時代の中で、読者の方々が今後どう生きていくべきか、本書がそれを考えるきっかけとなれば、著者としてこれに勝る喜びはない。
(拙著
「ビジネスに効く英語の名言名句集」研究社より転載)