足助城 =その1=
所 在 地
愛知県豊田市足助町宮ノ後
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築 城
戦国時代、愛知県西三河の山間部には鈴木一族が勢力を持っていましたが、そのうち足助の鈴木氏は15世紀後半、忠親を初代として5代続いて足助城主をとなりました。
この間、岡崎の松平氏と離合集散を繰り返しており、城も整備、補強されたようです。
標高301メートルの真弓山の山頂にあるところから真弓山城ともいわれますが、松山城、足助松山城とも呼ばれていました。16世紀末には廃城になっています。
鎌倉時代に足助氏が居城したといわれる足助七屋敷(足助七城)の一つともいわれますが、発掘調査では遺構が見つかっていません。
特 色
全国的にも珍しい戦国時代の山城で、綿密な発掘調査に基づいて復元されています。
上の写真は本丸と長屋(手前、右側)です。発掘調査では掘っ建て柱の2階建て以上の高櫓(江戸時代の本丸に相当する建物)のあったことが分かっているそうです。
この復元山城は、1989年の足助町制100周年の記念事業として計画され1992年から3年掛けて総工費5億4千万円で築かれました。本丸ばかりでなく山頂一帯には望楼など周辺の建物、防護柵などが再現されています。
厨、望楼など
左の写真、右側は台所に相当する厨で、その左の小屋にはカマドがあります。
左側の高台にあるのは望楼で、このほかにも幾つかの物見台、望楼があります。
右の写真は本丸のある山頂から望楼を見たところです。渡り橋の左下にあるのが上の写真の厨です。
周囲は山また山、その中のひときわ高い山頂に足助城が築かれています。厨から一段高いところに望楼、さらに高いところに本丸があります。
本丸は渡り橋とか急な坂道を上がっていかなければなりませんし、頑丈な防護柵で囲まれていることがよく分かります。
左の写真は現在の正面入り口から入ってすぐのところから、厨、物見台などのある南曲輪を見上げたところです。
急な斜面の上に厳重な防護柵が築かれています。柵の丸太は直径30センチ余はあります。
堀は通路としても使われており、その中間にははね戸を設けた防護柵があります。
また山の斜面からわき出た水をためた井戸もあります。
写真はいずれも2000年10月5日撮影。
2000年11月5日記す。
足助城 =その2=
に続く。