本證寺城


所 在 地 愛知県安城市野寺町野寺26
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歴  史 上宮寺、勝鬘寺と並んで三河国三ヵ寺の一つで、その筆頭に上げられています。戦国時代には三河一向一揆の拠点となり徳川家康と戦ったことで知られる城郭寺院です。

 1206年(建永元年)ころ親鸞門下の慶円により開設されましたが徳川家康が一向宗を弾圧したために永禄6年(1563年)から一向一揆が起こりました。

築  城 この一揆で三河三ヵ寺の盟主となり一揆の拠点として戦います。このときに二重の堀や見張りに使われたという右の写真のような重層の櫓が設けられたとみられます。

 正面に山門、その奥中央に本堂、本堂を取り囲むように堀があり、外堀も一部残っていて全国でも珍しい戦国時代の城郭寺院です。愛知県の史跡に指定されています。

 5ヵ月に渡る徳川家康との戦いに敗れて廃寺となったのですが、天正11年(1583年)家康が門徒の禁制を解いたために再建されました。




遺  構 右上の写真が現在の本證寺です。画面右端に見張り櫓があり、左端に山門(左の写真)があります。

 堀は本堂を中心にした広い境内の周囲をほぼ一周する形で残っていますし、外堀も一部が残っています。















 右の写真は約2万3千平方メートルという広い境内と本堂(画面左端)、見張り櫓も画面の中央・奥に小さく見られます。

 画面右端の木立のさらに右側からカメラ位置の後ろ側にまで境内の西側を守る堀が残っています。





 右の写真は境内東側の堀です。画面中央奥に見えるのは庫裏です。

 庫裏は本堂とは別個に塀で囲まれているようで、内部までは入れませんので実状はうかがい知れませんが、幾つかの建物が見られ、かなりの規模の庫裏です。














 左の写真は本堂裏側の堀です。木立越しに本堂が見られます。

 現在も残っている堀は水深がわずか50センチくらいに見えますが、往時のものは城郭寺院を守るに足る深さがあったのでしょう。


写真はいずれも2009年3月17日撮影。
2009年3月28日記す。
2009年5月4日追加、更新。