犬山城(国宝) =その1=



所 在 地 愛知県犬山市犬山字北古券65−2
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別  名 白帝城

築  城 犬山市の木曽川を見下ろす三方が断崖の丘陵の上に天文6年(1537年)、織田信長の叔父である織田信康が天守を築きました。

 関ケ原合戦の後、小笠原吉次が入城し、現在の犬山城の形が整いました。その後、尾張徳川家の家老職の成瀬隼人正正成が城主となり、以降、成瀬家が世襲して明治まで続きました。

 明治4年、廃藩置県で廃城となり天守を除いてほとんどが取り壊されました。明治中期の濃尾大地震で天守などの一部が損壊しましたが、旧藩主の成瀬家が修復を条件に譲り受け、その後現在に至っております。全国ただ一つの個人所有のお城です。

 右の写真は木曽川越しに眺めた犬山城です。現在は道路になっている写真のほぼ中央あたりとそのやや右寄りの河岸に二つの櫓がありました。




構  造 現存する天守は慶長4年(1599年)頃、石川光吉が城郭を修復するとともに築造したものが基本になっているといわれ、戦国時代の天守櫓の様相をしています。木造、3層4階で、左の写真の右端にあるように急傾斜の段梯子で登るようになっており、畳式の居住性のある部屋を持っています。

 1階は納戸の間といわれ、中央に4室あります。西南部が一段高い部屋で創建当時の城主の居間です。2階は武具の間で、武具棚があります。3階は破風の間で、文字通り破風が取り付けられており、4階は高欄の間で四方に回廊があり展望台になっています。




登城口 右の写真は表門、そして天守へと通ずる石段で、これをあがっていくと左側に「成瀬」の表札が掛かった白壁土蔵づくりの家があります。現在の当主は東京住まいのようです。

 石段を上がって鍵の手に進むと下の写真の表門になります。










 この門をくぐると本丸です。下の写真のように、すぐ目の前に天守がそびえています。


天守閣 左の写真は本丸から見た天守です。

 3.6メートルの天守台石垣の上に建っており、高さが23メートルあります。

 昭和36年に修復工事が行われましたが、そのときの報告書によると天文初年(1532年)に天守の1、2階の大入母屋を掛けた部分が建てられ、慶長5年(1600年)に3、4階の望楼部分が増築されたということです。

 さらに元和6年(1620年)に南北面の唐破風を付け、4階の回廊部分が設けられたといい、これが現在に伝わる姿です。

写真はいずれも1999年2月23日撮影。
1999年5月18日記す。
2007年7月19日追加更新。



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