
築 城 織田信長が永禄6年(1563年)美濃攻略ために築いた平山城で、完成するとそれまでの居城・清須から移転し新しい城下町も出来ました。
信長が美濃を平定し、岐阜城に本拠を移すと廃城となりました。そして築城から21年後、小牧山城は再び脚光を浴びます。
遺 構 現在の遺構の大半は小牧・長久手の合戦の際のものとみられます。江戸時代は尾張藩、明治以降は尾張徳川家の庇護を受けて保存されていたため建築物こそ見られませんが堀、土塁などの遺構がよく保存されています。
現在残っているのは石垣、堀、虎口などです。
左の写真は大手道です。山の南側の山麓から中腹までまっ直ぐに延びています。信長の築いた安土城も中腹まで真っ直ぐな大手道になっています。防御面からは問題のある道ですが、信長の好みなのでしょうか。

山麓に残る土塁 山麓の北、東側には土塁が残っています。右の写真のように大きな木が茂り草が茂っていますが、高さは3−5メートルで、当時のままに近い姿というこです。
写真は土塁の内側に入ってから撮影したものです。この内側は市民緑地として整備されており、散策路、広い芝生広場などになっています。

搦め手道の入り口からやや東側には土塁の断面が分かるようにした展示物もあります。何層にも盛り土した様子が見て取れるように土塁を切り裂いた形で展示されています。
崩れないように加工もされているようで、さらに写真のようにガラス張りのサンルームのようなものを建てて保護されていました。
写真は2010年11月20日撮影。
2010年11月24日記す。
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