挙母城


所 在 地 愛知県豊田市小坂本町7 豊田市美術館地内
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築  城 慶長9年(1804年)、武蔵国から三宅康貞が祖先ゆかりの地である三河国加茂郡衣に入封したのが衣藩1万石の始まりです。その後、領主は何度か代わり天領(幕府直轄)となったりしましたが、陸奥国石川藩より本多忠利が入封して以降は挙母と名前が変わっています。

 寛延2年(1749年)内藤政苗が入封し桜城といわれる城の築城を始めました。この桜城は低地にあったため矢作川の氾濫などに悩まされました。 安永8年(1779年) 内藤家2代藩主・学文は桜城の築城を断念し、近くの小山で三河はもちろん尾張、遠州、信州など七州が見渡せるという童子山(樹木台)の地に場所を変更して築城しました。

 それが現在、挙母城、別名で七州城と呼ばれる城で、天明5年(1785年)に築城工事を終えています。本丸、二の丸、天守閣が築かれたといいます。これ以降、挙母の城下町は旧城と新城を中心として発展してしいきました。

 2万石の内藤氏は幕末まで豊田の地を支配しましたが明治の廃藩置県、廃城により終焉、明治4年にすべての建物が取り壊されました。

遺  構 石垣、堀跡。

 右上の写真は豊田市が昭和53年に再建した七州城隅櫓です。



 左の写真も隅櫓で撮影位置を変えて撮りました。上の写真では石垣が分かりませんが、この写真で見ると今風の石垣で、どの部分が遺構なのか復元の際に積み直したものかが判断に苦しみます。

 挙母城跡は周囲の市街地化が進み、豊田市美術館や高校の建設によっても池は埋め立てられ、地形そのものがかなり変化しています。






埋め立てられた堀跡 右の写真は復元隅櫓の南にある美術館の駐車場です。元々は蓮池といわれる池で、本丸の堀として使われました。池の周囲には西門、二層隅櫓の下には蓮池門があったと駐車場脇の立て看板に説明がありました。



写真は2012年2月17日撮影。
2012年2月25日記す。