岡崎城 =その1=



所 在 地 岡崎市康生町561
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

沿  革 15世紀前半、明大寺の地に西郷頼嗣(稠頼)によって築城されたのが始まりです。

 享楽3年(1530 年)、徳川家康の祖父・松平清康が現在の地に移転、築城しました。

 家康はここで天文11年(1542年)誕生、織田、続いて今川の人質となっていましたが、永禄3年(1560年)今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に敗れて自由の身となり、岡崎城に入ります。

 その後、三河地方を平定し、岡崎を拠点に活躍して天下統一への道を歩みました。

 元亀元年(1570年)家康が本拠を浜松に移したのに伴い嫡男信康が城主となりましたが、織田信長の怒りに触れ信康は自刃させられます。

 この後は重臣の石川数正、ついで本田重次が城代なるなどの変遷を経て、家康が江戸に幕府を開いてからは石高こそ5万石前後と少なかったですが、譜代大名がここを守りました。

 右の写真は本丸から天守を見上げたところです。大きい松の木がたくさんあり、全体をすっきり見渡すことが出来ないのは残念です。取り壊し前の古い写真を見ても同様に大きい松の木がありました。

別  名 竜城、竜ヶ城

縄張・構造 当初は砦程度のものであったと考えられますが家康が本拠としてからは近世城郭の形が整えられていきました。



 元和3年(1617年)本多康紀のときに三層三階地下一階で、東に井戸櫓、南に附櫓をもつ複合天守閣が建てられました。

 明治の廃藩置県、廃城により城郭のほとんどは取り壊され堀と石垣が残るだけになりました。現在の天守は鉄筋コンクリート建て3層5階、昭和34年(1959年)にほぼ昔通りに復元されたものです。

 左の写真は岡崎公園に隣接すシティホテルの最上階・スカイレストランから撮影したものです。



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石 垣・堀 下の写真は本丸、二の丸、天守を囲む石垣、堀などです。公園としてはよく整備されていますが、これららの石垣などが遺構なのか復元されたものなのかは現地に立て札などの説明がなく分かりません。

 上の段の左は本丸から二の丸の堀へと降りていく途中の石垣、右は本丸を囲む空堀です。
 下の段の左は本丸を囲む石垣、右は二の丸から本丸に入るところの石垣です。



心柱の礎石 天守閣の中は歴史資料館になっており、江戸時代の岡崎、城と城主などのテーマに沿って資料が展示されています。

 1階を入ったところに右の写真のように心柱の礎石が展示されています。天守の心柱が見つかっているのは全国でも珍しいとのことです。



ミニチュア 絵図を元に再現された江戸時代の城郭模型が展示されています。






 写真ではちょっとわかりにくいのですが、右端に天守閣があります。

写真はいずれも2012年2月17日撮影。
2012年2月27日記す。


 岡崎城 =その2= に続く。