福井城
=その1=
所 在 地
福井県福井市大手町1丁目
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築 城
柴田勝家が築いた北ノ庄城が始まりです。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601年)、徳川家康の次男結城秀康が北陸の押さえとして越前61万石に封じられ入封、北ノ庄城に代わる新城を築きました。
これが福井城で、慶長11年(1606年)に完成しました。家康の命により全国の大名が手伝普請にあたり、雄大な大天守と足羽川を外堀として利用し、三重・四重の堀と石垣を巡らせ、多くの櫓や城門をもった巨大な城となりました。
三代藩主忠昌のとき北の庄の「北」は「敗北」に通ずるとして福井と改められ、約270年、幕末まで越前松平家の居城となりました。
この間、寛文9年(1669年)の大火で天守など大半の建造物は焼失、その後、天守閣以外は再建され、巽櫓と南西の「未申(ひつじさる)櫓」を天守閣の代わりに使ったといいます。
遺 構
内堀、本丸石垣、天守台など
上の写真は大手門から本丸に通ずる御本城橋から南の方、本丸西側の内堀、石垣を見たところです。
四方を水堀に囲まれた本丸内には現在、3つの鉄筋コンクリート建て高層ビルがあります。福井県庁はじめ同県議会議事堂、同県警本部ですが、立派な堀、石垣の残った城跡だけに、もっとほかの使い道・・文化遺産としての活用が出来なかったのか・・との感じがします。
天守台跡
左の写真は天守台の石垣で、数少ない遺構の1つとしてよく保存されています。
昭和20年、米軍の大空襲で市街の95%が破壊され、戦後は復興まもない昭和23年の福井大地震で 再び福井市街は壊滅的打撃を受けました。
福井城も例外ではなく石垣などが崩れたり傾いたりしました。
右の写真は天守台跡に上ったところです。かなりの広さがある天守台跡で、地面かうねっているのは福井大震災の後遺症でしょうか。ここに4層5階の大天守閣が建っていたのです。
天守台跡への登り口には天守の設計図が描かれた左の写真のような掲示板がありました。
残されている天守の絵図に基づくもので、天守の高さは28メートル、天守台を含めると37メートルあったそうです。
左の写真は天守北側の水堀です。幅の広い堀が城の規模の大きさを物語っています。画面右側に見える石垣が天守を支えている北側の石垣になります。
傾いた控え天守台の石垣
右の写真は控え天守台の石垣ですが、福井大震災で大きく傾き石積みは隙間だらけになりました。傾いたままの状態で保存されています。
写真は2003年5月30日撮影。
2003年6月15日記す。
2004年6月29日追加、修正。
福井城 =その2=
に続く。