二俣城


所 在 地 浜松市天竜区二俣町二俣
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

築  城 文亀年間(1501−1503年)に遠江守護の今川家の臣・二俣昌長によって築かれたとされています。遠江の徳川氏と信濃の武田氏の間で激しい攻防、争奪が繰り返された城です。

 天竜川と二俣川の合流点の台地上にあり自然の要害の地に築かれていました。

 東西100メートル、南北350メートルの縄張りに北曲輪・本丸・二の丸・蔵屋敷・南曲輪がほぼ直線上に配置されています。





遺  構 現在残っているのは天守台(上の写真)、本丸(上の写真の手前にある芝生広場)、二の丸、南・北曲輪、石垣、空堀などです。

 天守台は右の写真で分かるように野面積みの石垣で出来ています。高さ約5メートル、天守台の上は約12メートル四方で、こじんまりしたものです。





 現在、旭ケ丘神社のある北曲輪に沿って緩やかな坂道の本丸への登り口があります。

 登り始めるとセンサーが働いて自動的にスピーカーから城の沿革が流れ始めたのにはびっくりしました。

 左の写真がその登り口ですが、正面に見える橋を渡って左に行くと旭ケ丘神社、右に進むと本丸になります。
 


 4−5分ほど歩くと右の写真のように本丸入り口の枡形虎口の石垣が現れ、本丸の広場越しに野面積みの天守台が見えます。

 訪れたのが新緑のきれいな頃とあって、緑いっぱいで小鳥の鳴き声も聞こえ、すがすがしい気分になりました。

悲劇の城 二俣城の歴史の中でよく知られた悲劇が徳川家康の長男・信康の切腹です。

 信康が武田側に内通しており謀反の疑いがあるということで織田信長の怒りにふれ家康は信康に切腹を命じ、信康はこの城で21歳の生涯を閉じました。近くの清滝寺に墓地があります。


天 竜 川 二俣城は天竜川と二俣川の合流点にあるのですが、天守台からは樹間越しに天竜川が真下に見られ(左の写真)、要害堅固ぶりがうかがわれます。

 急流で知られる天竜川は観光の川下りも有名ですが、天守台からもその川下りの模様が遠望されるそうです。

鳥羽山城・笹岡城 二俣城の南、歩いて10分ほどのところに鳥羽山公園がありますが、ここが二俣城に対峙した鳥羽山城の跡です。武田方に取られていた二俣城に対して奪回を目指す徳川方が本陣を置いたところとのことです。

 さらに現在、市役所のあるところに中世の山城の笹岡城址があります。

写真はいずれも2001年5月17日撮影。
2001年5月21日記す。
2007年7月17日追加更新。