岐阜城



所 在 地 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

旧  名 稲葉山城

築  城 鎌倉時代初期の建仁年間(1201−1204年)鎌倉幕府執事の二階堂行政が金華山頂に砦を築いたのが始まりといわれます。しかし戦国時代の永正6年(1509年)に美濃守護代の斎藤氏が築城したとの説もあります。

 その後、のちの斎藤道三が守護職を逐って美濃一国と城を手に入れました。道三は城を改築、城下町の整備にも力を入れました。

 永禄10年(1567年)織田信長が美濃を攻略し道三の孫・竜興を破って稲葉山城を手中にします。信長は尾張・小牧山城から本拠をこの地に移し、地名を井ノ口から岐阜に改めました。

 信長は安土城に移るまで10年間 ここを本拠地とし天下統一へのスタートを切りました。金華山の麓には「千畳敷御殿」といわれる豪華な居館を建て、町割りにも心を砕き「楽市楽座」を設けて繁栄を図り見事な城下町を造ったのです。

 本能寺の変の後は城主が織田信忠、信孝、信秀と代わりましたが関ヶ原合戦後に加納城ができ廃城となりました。

 天守、櫓などは加納城に移されたといわれます。

遺  構 模擬天守、模擬櫓、石垣、一の門跡、上格子門跡、馬場跡、二の丸門跡など



天  守 天守閣は標高350メートルの金華山の頂上にあります。上の写真では天守が小さくて見にくいのですが、山頂にぽつんと点のように見えるのが天守です。

 廃城になった後は300年間、山頂には天守閣がありませんでしたが明治43年(1910年)模擬天守閣ができました。しかし昭和18年(1943年)に火災で焼失しています。

 現在の天守は昭和31年に市民の寄付金を基金として鉄筋コンクリート造り、3層4階建てで復興されたものです。岐阜城から移築されたという加納城天守の記録を基にしています。

 内部は3階までは史料展示室、4階は展望台になっています。左の写真はロープウエーの山頂駅から天守に向かい、まもなく天守というあたりから撮影しました。

 訪れたときが新緑のころで金華山の緑がきれいでした。




ロープウエーで天守へ 山頂にある城にはかつての大手道、水の手道、馬の背道などをたどる幾つかのルートがありますが、ロープウエーで登ればあっという間に山頂です。

 城は金華山の主峰を本丸とし、西南に瑞龍寺山、北は長良川の断崖にのぞんでいます。

 新緑に覆われた金華山からは想像しにくいのですが岩盤が至る所に露出した地形で、山頂に本丸.少し下がって二の丸があり、広い平地が取れないので各所に小曲輪が点在していたようです。

 ロープウエーの山頂駅を降りて天守に向かいますと、次々に遺構の説明板が立っていてかつての縄張りがうかがわれます。



二の丸門跡 二の丸門跡は鍵型に曲がっており、現在は写真のように瓦葺き白壁の塀に冠木門が立っています。

 往時はどんな形だったのでしょうか。門をくぐって左に折れた右側にも瓦葺き白壁の塀あります。さらに登り道が続きます。







隅櫓風の岐阜城資料館 右の写真は天守のすぐ東にある「岐阜城資料館」です。

 かつては武器庫、食料庫があった跡で、昭和50年に隅櫓風の建物として鉄筋コンクリート造り2階建てで復元したものです。

 内部には岐阜城に関連する資料を多数展示しています。


 岐阜城 =その2= に続く。