姫路城
(国宝)
=その1=
所 在 地
兵庫県姫路市本町68番地
(上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)
築 城
南北朝のころの元弘3年(1333年)播磨の守護・赤松則村が姫山に砦を構え、その子・貞範が城を築いたのが始まりといわれます。
室町時代を通 して赤松氏の城で、小寺、黒田の各氏が入っていましたが、その後、信長の命で秀吉が入りました。このとき姫山に隣接する鷺山を含めて本丸、二の丸を設け石垣を築いて天正9年(1581年)3層の天守閣を築きます。
秀吉は天下を取った後、大坂城を居城とし、姫路城には羽柴秀長、ついで木下定家を入れました。
関ヶ原の戦いの後、1600年(慶長5年)徳川家康の娘婿・池田輝政が入封、このときから足掛け9年の歳月をかけて本格的に拡張され、現在の5層6階地下1階の天守閣が築かれ、その後の本多忠正の時代に今見られるような姿になりました。
右上の写真は、今は芝生広場になっている中曲輪・三の丸から見た大天守、小天守、渡り櫓などです。
遺 構
築城以来いまに至るまで戦火にあったことがなく天守閣をはじめ数多くの櫓や門、城壁などが藩政時代の姿そのままに残っています。
主なものとしては大天守、東小天守、乾小天守、西小天守、イ、ロ、ハに始まり、レに至る櫓、渡櫓など、またいの門から、ぬの門に至る各門、菱の門、帯郭櫓など、その他にも土塀、築地塀、堀などで、国宝、重要文化財、史跡などに指定されているものが多数あります。
左の写真は菱の門です。大手門を入り、入場券を買って最初に通る遺構です。この門をくぐって直ぐのとこからの天守群の眺めもすばらしいものです。
千姫ゆかりの西の丸、長局など
観光の順路に従って進むと菱の門の先は西の丸となります。左の写真の芝生の広場が千姫の住んでいた西の丸跡で、写真の左端に見えるのは隅櫓です。
そこから渡櫓の中に入り、写真では右の方へ進むと突き当たりが化粧櫓になります。渡櫓は櫓とはいいますが、千姫付きの女中が住んでいた住居です。
右の写真は化粧櫓を出て直ぐのところから天守を見たものです。写真の右側は、ろの門から来た道、塀に沿ってまっすぐ進み左に折れると、はの門になります。
案内図や順路の標識がないと道に迷ってしまいます。
秀吉時代の油壁
はの門をくぐったところに左の写真のような油壁があります。
姫路城のほとんどの壁は白漆喰壁ですが、この壁は粘土に豆砂利を混ぜ米のとぎ汁で固めたものです。秀吉築城の際のものといわれます。
写真の右側が、はの門ですが、通路は下の方にある抜け穴のようなものです。白鷺城と名前はきれいですが、内部は要塞で迷路のような通路、堅固な門で固められています。
大天守北側の腰曲輪
左の写真は大天守の北側に連なる腰曲輪・多聞長屋です。
内部には井戸があったり、米や塩などを貯蔵する倉庫になっています。裏側の石垣に沿って緩やかなカーブをした建物です。
軒先の雨だれ落ちのところは瓦を縦に並べて埋め込んでいて水はけをよくしています。井戸水の補給にも役立っていたのでは・・と思います。
写真はいずれも2002年3月10日撮影。
2002年4月22日記す。
姫路城 =その1=
姫路城 =その2=
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姫路城 =その3=
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