平戸城
 =その1=


所 在 地 長崎県平戸市岩の上町1473
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

遺  構 曲輪、石垣、堀、復元天守、復元櫓 など

別  名 亀岡城

築  城 平戸城は2度築城されています。平安時代末期から鎮西の水軍として知られた松浦党の26代当主・法印鎮信が慶長4年(1599年)平戸の亀岡に日の岳城をに築き居城したのが始まりです。

 法印鎮信は豊臣秀吉の朝鮮出兵に参陣して所領を安堵された経緯があり、徳川時代に入って幕府の疑いを招かないために完成したばかりの城を焼き捨て、城の代わりに港を挟んで対岸に居館を設けました。

 このあと約90年たって30代雄香棟が幕府の許可を得てかつての城跡に建てたのが今に伝わる平戸城です。

 日本で唯一、山鹿流の縄張りによる平山城です。元禄17年(1704年)に着工、完成したのは享保3年(1718年)です。以後、平戸城は松浦氏12代の居城として明治維新まで続きました。

 現在の城(上の写真)は昭和35年から天守閣をはじめ各櫓の復元に着手し、昭和37年に完成しております。天守は広高時代の慶長様式の城となっていて鉄筋コンクリート造り三層五階です。


遺構・北虎口門 城跡は現在、亀岡公園となっています。遺構としては北虎口門、狸櫓があり、復元された櫓としては見奏櫓などがあります。

 右の写真は北虎口門で、城内で現存する唯一の木造建築物です。門を入って本丸側から撮影しました。櫓渡り門の形式で、二の丸への通用門となっていたとのことです。


復元の見奏櫓、懐柔櫓 下の写真は本丸近くにある見奏櫓です。天守よりやや下がった位置にありました。







 左の写真の見奏櫓の手前から右の方へ降りていったところに下の写真のように懐柔櫓があります。

 見奏櫓からさらに一段低いところにありますが、両櫓とも平戸瀬戸を望む位置にあります。








狸櫓 下の写真は北虎口門を入るとすぐのところにある狸櫓で、正しくは「多聞蔵」です。












 天保年間のこと、ここの床下には狸が棲みついていたのですが、修理のために床板をはがされ棲むところがなくなりました。そこで狸は小姓に化けて藩主の寝所に行き「櫓に棲まわせてほしい。許されれば末長く城を守る」と嘆願して棲まわせてもらったとのことです。

 以来、狸櫓というようになり正式名で呼ぶ人がいなくなったとのことです。

地蔵坂櫓 右の写真の地蔵坂櫓も復元ですが、なかなか立派な石垣の上に築かれています。

 私たちは雨の中、この櫓の下の細い道を通って北虎口門から本丸に入り狸櫓、さらに本丸前門を通って本丸広場に出ました。

 観光団体などのメイン通路のようですが、公園南側の入り口から真っすぐ延びる大手道を進み一の門、二の門などを経て亀岡神社から天守に至るのもよさそうです。






本丸前門 左の写真のこの門は本丸広場に出る直前にあります。

 復元されたものですが、2階は展示室にでもなっているのでしょうか、蛍光灯が明るくついていました。





北虎口への通路 雨の中、傘をさしてのお城見学でした。石垣、城壁の塀、その先には北虎口門・・となかなかに趣のある登城路です。

 振り返ってみると、上の写真の地蔵坂櫓が見られます。石垣は荒々しい感じの野面積みです。


写真はいずれも2007年12月7日撮影。
2007年12月24日記す。   
2008年3月6日追加更新。   


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