
所 在 地 三重県津市河芸町上野、本城山青少年公園内
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築 城 三重県の中勢地方には鎌倉時代から長野氏が勢力を張っていました。その長野氏の一族・分部氏が拠点にしていたのが伊勢上野城一帯です 。
織田信長が伊勢侵攻を始めると長野氏は信長の弟信包を養子として和睦します。信包は分部光喜に命じて高さ30メートルから30数メートルの階段状の丘になっている現在地に城を築き元亀元年(1560年)に完成すると五万石の大名、伊勢上野城主として入城しました。
信包は伊勢上野城をあくまでも仮城としており安濃津城(後に津城)の築城にかかります。この城が完成し信包が津城に移りますと伊勢上野城は津城の出城となり光喜が城代になりました。
豊臣秀吉の時代に入り光喜は1万石の大名、伊勢上野城主となります。さらに関が原の合戦の功により徳川家康から加増され2万石の大名になりました。1608年(慶長13年)に藤堂高虎が津藩主として伊予国から転封されると上野城主光信(光喜の娘婿)は近江国大溝へ転封され上野城は廃城となりました。
左上の写真は今は本城山青少年公園になっている伊勢上野城の本丸跡と天守台跡に立つ展望台です。
遺 構 天守台跡、本丸跡、二の丸跡、土塁、空堀など。
上左の写真は本丸跡の土塁の端に立って下を見降ろしたところです。まるで切り立った崖のようになっています。眼下の遊具のある広場は二の丸跡です。
上右の写真は同じ本丸跡ですが、上左の写真からカメラ位置を後退させて土塁を見たところです。真新しい看板が立っていました。

二の丸跡ほか 右の写真は本丸東南にある二の丸跡で、現在はアスレチック用具などが備わった広場になっています。画面の左端、崖のように見えるのは本丸を取り囲む土塁の一部です。
この他に、本丸、二の丸を囲む南、北、西の平坦地は、家中の侍屋敷が建てられていたようです。現在はグラウンドや駐車場、庭園化していました。
資料室・展望台 天守台跡には写真のような鉄筋コンクリート3階建ての展望台があります。2階にはお決まりの資料室があり、3階は展望台です。

資料室には城の歴史、模型などとともに信長の妹・市の娘お江の晩年らしい肖像がありました。2011年のNHKの大河ドラマの主役がお江であり、市とともに3人姉妹が信包に預けられ一時期住んでいたことから城を訪れる人も増えたとのことです。
大河ドラマのご当地として目下売り出し中で、ほとんど訪れる人のなかった城跡に多いときには1日400人もの観光客といいます。TVでの宣伝価値は高いようです。

右の写真は資料室に展示されていた城の復元模型です。画面の左側一番高いところが本丸です。その手前が二の丸になります。

展望台から 左の写真は3階の展望室から東の方を見たところです。あいにくの曇り空、それに風がないためもやっていて遠くが霞んでいます。
天気がよければ市街地の向こうに伊勢湾が見えるはずです。対岸の知多半島、中部空港なども見られるとのことです。
写真はいずれも2011年2月5日撮影。
2011年2月11日記す。
