掛川城
=その1=
所 在 地
静岡県掛川市掛川1141
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築 城
戦国時代の文明年間(1469−86)に今川義忠が遠江の拠点として重臣朝比奈泰煕に築かせたのが始まりです。今川が倒れたあと徳川家康が領有し重臣石川家成が入城しました。
家康の関東移封後、安土桃山時代の天正18年(1590年)豊臣秀吉が配下の大名山内一豊を入城させました。一豊は城の整備をするとともに初めて天守閣を築き城下町も整備されました。
左の写真は四足門から見た現在の天守閣です。3層4階、漆喰壁の白い天守が印象的ですが、平成6年に正保城絵図や発掘調査に基づいて本格的な木造建築で復元されたものです。
四足門は本丸に通じる重要な門で、発掘調査では位置の確認が出来なかったとのことですが、正保絵図に基づいて復元されました。
右の写真は本丸を取り囲む漆喰壁です。壁を延長した向こうに太鼓櫓が見えます。また写真の左端にあるのが四足門です。
遺 構
徳川時代は徳川親藩の松平氏らが居城しましたが、嘉永7年(1854年)の大地震で天守閣はじめ大半の建物が崩壊、その後部分的には再興されましたが明治時代に廃城となりました。
左上の写真の太鼓櫓はじめ、石垣、堀、二の丸御殿などが現在も往時のものが残っていて、御殿は国の重要文化財に指定されています。
太鼓櫓は、正保城絵図にある荒和布(あらめ)櫓と呼ばれる見張りの櫓で、家臣に登城を知らせるために鳴らす太鼓が置かれていました。この太鼓は二の丸御殿に展示されています。
二の丸御殿
左の写真は天守閣から見た二の丸御殿です。7棟からなる書院造りで、嘉永7年(1854年)の地震で倒壊したものを安政2年(1855年)から文久元年(1861年)に掛けて時の城主大田資功が再建したものです。
廃城の後は学校、市役所、消防署などいろいろと使われましたが、昭和47年から4年掛かりで保存修理が行われ、現在一般に公開されています。
右の写真は次の間から対面の儀式などが行われる大書院を見たところです。玄関を入って左に進むと三の間、続いて次の間、廊下を右に折れてさらに進むと次の間に続いて大書院となります。
大書院の奥は藩主の執務室である小書院、さらに奥には居間である長囲炉裏の間などがあります。
玄関からまっすぐに伸びる廊下の右側は藩政を司る諸役所の部屋で、目付、奉行など役職の部屋、警護の詰め所、書類の物置などがあります。
大手門と城下町
天守閣から東南に約250メートル離れたところに復元された大手門があります。木造瓦葺き入母屋造りで偉容を見せています。
この大手門一帯は商店街ですが、白壁に瓦屋根、江戸時代の城下町の風情を再現する町づくりが進んでいます。
写真はいずれも2000年12月2日撮影。
2000年12月21日記す。
掛川城 =その2=
に続く。