亀山城


所 在 地 三重県亀山市本丸町
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

別  名 胡蝶城といわれる。白壁の櫓、門、土塀などが連なり蝶の群が舞う姿に似ているところから付けられた。

築  城 天正18年(1590年)岡本下野守宗憲によって築かれた。高石垣の上に3層の連結天守閣が作られたが、1620年代に幕命により取り壊されている。

 のち正保年間(17世紀)に本多俊次が天守閣跡に東西14.4メートル、南北10.8メートルの平屋建て白壁、入母屋造り、東西に破風を持つ多聞櫓を建てた。

遺  構 明治に入り廃藩置県で城の大部分が取り壊さるのですが、この多聞櫓(左上の写真)だけが残された。その当時、士族救済のための授産場として使われていたためといわれる。三重県下でただ一つ、残されている城郭の遺構です。



見  所 10数メートルの高石垣と多聞櫓はなかなかに見応えがある。

 上の写真は南側の亀山中学校グラウンドから眺めたところ、左の写真は城の東側、亀山城跡の石碑があるところから見たところです。

 もっとも見どころといってもこれだけのことです。他に遺構はありませんし、亀山公園の一角になっているのですが、縄張りも分からないのでどれだけの規模の城だったのか想像がつきません。





 右の写真は多聞櫓のわきから亀山市街を眺めたところです。天守閣のような眺望は望めまんせんし、町自体もそれほど大きくはありません。
 写真の手前にある道路を左に進むとすぐ市役所になります。

 亀山公園に隣接するくらいの近いところに亀山古城跡があります。1264年(文永元年)関左近将監実定(平重盛の曾孫)が築いた丹陵城で、それらしいものは見られませんが、城跡を示す標識が建っています。

写真はいずれも2000年2月21日撮影。
2000年8月14日記す。