金沢城  =その1=


所 在 地 金沢市丸の内
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別  名 尾山城、金城

築  城 天文15年(1546年)に建てられた本願寺の別院・尾山御坊が始まりです。その寺院城郭は織田信長の配下の佐久間盛政に攻め落とされ、その城跡に盛政が新しく城を建て尾山城と名付けました。

 その後、天正11年(1583年)に加賀国は前田利家のものとなり、城は金沢城と名を改めました。利家は前田家の客将だった高山右近に縄張りさせて城郭の拡張整備をし、以後加賀百万石の本拠地として徐々に近世城郭としての形を整えていきました。

 それと合わせて城下町の整備も進められましたが、百万石の城下町として一応の完成をみたのは寛文期(1661−1673年)といわれます。

 上の写真は平成10年から3年4カ月の歳月をかけて復元再建され、同13年7月に完成したた五十間長屋(画面右端、以下左へ)、橋爪門続櫓、橋爪門、鶴丸土塀です。

 画面の手前、きれいな緑の芝生広場は三の丸跡、画面奥の小高いところ、石垣の上に樹木の茂っているところは本丸跡です。



遺  構 現在残っている建築物では石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫などです。

 そのほかに本丸跡、二の丸跡、三の丸跡、石垣、堀跡などが残っています。

 左の写真は金沢城の搦手門になる石川門です。

 国の重要文化財に指定されていて、鈍く光る鉛瓦、なまこ壁に独特の味わいがあります。





 左の写真は石川門の一の門から二の門を見たところです。一の門の高麗門、二の門の櫓門を組み合わせた枡形門になっています。

 一の門の正面に当たる石垣はきれいな切り込みはぎになっています。




 2つ上の写真に見られるように兼六園側からは橋を渡って石川門を入ることになりますが、この橋の下は元々は百間堀といわれた大きな堀でした。

 右の写真のように、いまは片側2車線の道路となっていてお堀通りといわれています。その道路の幅からも広い堀の幅がうかがわれます。写真の右側が東の丸になり、写真の中央の少し高くなったあたりが丑寅櫓跡です。

 さらにその少し先が辰巳櫓跡になります。







 左の写真は辰巳櫓跡の石垣です。

 上の写真のお堀通りの歩道を石垣に沿って歩き、振り向いて撮った写真で、上のものとは反対方向を見て写したことになります。
  (この写真のみ2000年4月19日撮影)





 左の写真は石川門とともに国の重要文化財に指定されている三十間長屋です。

 二の丸から極楽橋を渡って本丸に向かう途中、本丸付け段にあります。二層二階の多聞櫓で、白漆喰となまこ壁、屋根は鉛瓦ぶきとなっています。

 この長屋を右手に見て進みますと鉄門跡を通って本丸跡に入ります。



 右の写真は鉄門跡の石垣です。

 訪れたのがちょうど新緑の頃、樹木が緑濃く茂っていて石垣の細部がよく分かりませんが、丁寧な切り込みはぎの石垣で、本丸への入り口の面影がしのばれます。







 鉄門を抜けると本丸跡ですが建築物は何もなく園地として整備されてます。

 うっそうと樹木が茂り、昼なお暗き・・・、とまではいきませんが、木洩れ日が差し、いい散歩道になっていいます。

 鉄門を入ってすぐ左への曲がる道を進みますと戌亥櫓跡になります。そこからは復元再建された五十間長屋、橋爪門続櫓などが一望できます。(その3に写真があります)

写真はいずれも2003年5月29日撮影。
2003年6月15日記す。   


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