唐津城
 =その1=


所 在 地 佐賀県唐津市東城内
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

遺  構 曲輪、石垣、堀、模擬天守、模擬櫓 など

別  名 舞鶴城。城を胴体に、東西に広がる松原を両翼に見立てています。

築  城 文禄4年(1595年)朝鮮出兵の拠点名護屋城の後詰めの城として豊臣秀吉が近臣寺沢志摩守広高に命じて造らせたのが始まりです。

 その時は仮の城のような城でしたが、関ヶ原の合戦で功を立て12万8千石となった寺沢広高が慶長7年(1602年)から7年掛けて築城しました。

 この築城資材には名護屋城の解体資材が活用され、九州諸大名の普請で完成しました。

 城は海に突き出していた満島山を掘り割りで陸地と切り離して本丸が作られ、二の丸、三の丸があります。現在は二の丸には高校、三の丸はすっかり市街化されて往時の面影はありません。

 本丸には天守台がありますが明治時代の廃藩置県になるまで天守閣が築かれたという記録はありません。二の丸に御殿と藩庁がありました。



縄  張 城跡は現在、舞鶴公園となっています。昭和41年(1966年)に右上の写真のような鉄筋コンクリートの五層五階、地下一階建ての模擬天守が建てられました。

 寺沢広高は名護屋城を移築する予定だったのでは・・ともいわれますが広高時代の慶長様式の城となっています。

 右の写真は公園入口にあった案内図ですが、城跡はよく保存されているので縄張がはっきりと分かります。


復元の一の門、櫓など 本丸には天守の他に櫓門である一の門、化粧櫓などがあります。



 左の写真は中段広場から上段に上がる石段で、その先に一の門があります。

 中段か上段へはかなりの高さがあり、立派な石垣で固められているのが写真でもお分かりになるでしょう。


茶室櫓 右の写真は一の門をくぐって(写真の左端)上段に入り、Uターンして櫓門である一の門を振り返ってみたところです。

 撮影位置の後ろ右に天守があります。

 櫓門の上の階は茶室、会議室になっていて有料で市民に開放されており茶室櫓といわれています。櫓前の立て札にそのような説明があり、料金も書かれていました。


化粧櫓 天守の直ぐ近くに付け櫓のような形で2階建ての櫓がありました。化粧櫓の表示があり、収蔵庫だそうです。

 さらにその先に櫓風の建物がありましたが、トイレとエレベーターの乗り場でした。このエレベーターは天守のある上段広場に直接上がってこられるようになっているのです。確か65歳以上は無料だとか、案内板にありました。








本丸石垣 中段から上段に上がるときに、右の写真のように立派な石がみられました。高さもかなりあり頑丈な構えということが分かります。

 石垣の修復工事が行われているようで、訪れたときは雨模様のせいか作業はお休みでしたが、トラサクや測量杭がたくさん見られました。






正面登り口 入り口にあった公園案内図には正面登り口としか書かれていませんが、大手道なのでしょうか写真のように緩やかですが幅の広い立派な石段です。

 中段まで176段、上段まで231段ということです。上段広場は海抜43メートルですから特に高いというほどではありませんが、玄界灘を望む海岸に立っていこともあってかなりの高さを感じます。


写真はいずれも2007年12月6日撮影。
2007年12月22日記す。   
2008年3月4日追加更新。   


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