春日山城
 =その1=


所 在 地 新潟県上越市中屋敷字春日山
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 戦国時代の名将・上杉謙信の居城で、壮大な山城です。建築物は何も残っていませんが、遺構からは山全体が城郭であった様子がよく分かります。

 右の写真は山頂にある本丸跡から天守台跡を見たところです。
 本丸跡と天守台跡は人一人が通れる程度の浅い掘り割りで区切られていて、写真の中央奥の方、土留めをした段を上がったところが天守台跡です。

別  名 鉢ヶ峯城

築  城 室町時代初期に越後守護代の長尾氏が築城したのが始まりといわれています。永正年間(1504−1521年)に長尾為景が戦国の城として大改修し、続いて景虎(謙信)、景勝の三代に渡り普請が加えられ、全山に渡る大規模な要塞となりました。

 景虎は天文17年(1548年)兄・晴景に代わり長尾家を相続し、以降越後統一の拠点として春日山城に在城します。この間に小田原・北条氏に追放された関東管領の上杉憲政から名跡を譲られ上杉景虎・のち剃髪して謙信と号しました。

 慶長3年(1598年)に上杉景勝は越後から会津へ転封となり、その後に堀秀治が入封しました。その子忠俊の時に山城で不便な春日山城から行政に便のいい平城の福島城に移ったため慶長12年(1607年)に春日山城は廃城となりました。

遺  構 現在残っているのは土塁、空堀、井戸などです。麓の林泉寺にある惣門は春日山城の城門を移築したものと伝えられています。
 標高180メートルの山頂にある天守、本丸は山頂を削って平らにしたところに建てられたような感じで、石垣で固められた城といったものではありませんが、それを中心にいくつもの郭、砦、支城があり、また重臣、家臣の館などもあって山全体が城郭そのものです。



三の丸 春日山神社の鳥居を右に見て、少し車を進めると右手に「本丸への登り口」という小さな標識があります。この標識に従って細い山道をあがっていきますと、三の丸、二の丸などを経て本丸、天守台に至ります。

 左の写真が三の丸跡です。山腹のちょっとした平地で、説明の立て札がないと分からなかったでしょう。













二の丸 続いて右の写真の二の丸となります。

 当時の姿そのままではないでしょうが、三の丸が大きな杉の木で林になっているのに対して、二の丸は空が広がっている広場になっていました。

 この二の丸は本丸のすぐ下にあり、本丸を取り囲むように帯状に造られていて、まさに本丸の警護のためのものであることが分かります。









米倉跡 三の丸と二の丸の間に米倉跡がありました。

 左の写真のように土累に囲まれているのがはっきりと分かります。











縦堀跡 右の写真は縦堀跡です。自然の沢を利用して掘ったり削ったりして深くし各郭を独立させて守りを固めたもので、写真のものは山裾の対馬谷から二の丸下にまで続いていたものという説明の立て札がありました。

 現在は時代を経て樹木、草が生い茂っていますが、写真の右下から中央に向かって沢筋が見られます。これの建造当時は岩盤が露出していて堅固な守りになっていたということです。





大手道 右の写真は「大手道」の標識がある山道です。ときおり小雨のぱらつくあいにくの天気の登城でしたが、春日山神社から大手道をたどって15−20分くらいで天守台に到着します。

 大手道は写真のように土留めをした階段状のところが一部にあり、それほどの苦労もなく登れます。あるガイドブックには山道を30分ほども登るようなことが書いてあったのですが、それほどのことはありませんでした。

 大手道の途中には「御成街道・景勝屋敷へ」などと書いた標識があり、時間さえあればそれぞれの屋敷跡、郭跡などが見られたのですが、残念ながら割愛しました。


写真は2003年6月24日撮影。
2003年9月21日記す。   


 春日山城 =その2= に続く。