
別 名 千亀利(ちぎり)城、猪伏山縢(ちぎり)城
築 城 建武元年(1334年)和泉国守護に任じられた楠正成が甥の和田高家を代官としてこの地を治めさせ城を築いたのが始まりです。
この城は現在の城の東方約500メートルの照日(てるひ)山に築かれ、堺に本家の和田氏の城があったことから「岸の和田城」といわれました。現在「古城址」といわれているところです。
以降室町時代には城主もしばしば変わりましたが、永禄・元亀年間(1558−1573年)から天正三年(1575年)までは松浦肥前守が城主になり、現在地への移転はこの頃だといわれています。
天正13年(1585年)小出秀政が入封し天守閣を築きました。慶長2年(1597年)に完成したのは5層5階の大天守であったといわれます。
徳川幕府のもとでは城下町の整備が進められ、伏見城の櫓、門などを移築して城郭の大改修もされましたが、文政10年(1827年)の落雷で天守閣は焼失しました。明治に入り、本丸、二の丸の石垣と水堀を残して取り壊されましたが、昭和29年(1954年)天守閣が再建されました。
遺 構 堀、石垣など
天守復興に続いて1969年(昭和44年) 城壁と角櫓(すみやぐら)が造られ、さらに平成4年(1992年)には天守の大改修、二の丸多聞櫓も完成しています。
右の写真は満々と水をたたえている堀、再建された本丸隅櫓、その隅櫓と城壁に守られた向こうに天守がそびえていて、なかなかの偉容です。



岸和田城の模型 天守の中は資料館になっていて武具、古文書や美術品などを展示しています。
あちこちの資料館でよく見られる城の模型もありました。いつごろのものをモデルにしたのかメモしてくるのを忘れましたが、なかなかに立派な城だったことが分かります。
写真の中央が本丸、その本丸の右端に天守が見られます。また模型に見られる外堀は残っておらず、内堀だけがいまに残っています。
写真は2002年9月19日撮影。
2003年6月15日記す。
2004年5月4日追加、修正。
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