
遺 構 石垣
沿 革 天正3年(1575年)朝倉氏を滅ぼした織田信長は柴田勝家に越前国を与えました。勝家が同国支配の拠点として築いたのが北ノ庄城です。 発掘調査 平成10年度から福井市によって柴田神社一帯で福井城、北ノ庄城の発掘調査が進められており、調査の後に神社を含めた一帯が城址公園として整備されるそうです。 写真は2003年5月30日撮影。
福井駅からほど遠からぬ商店街の路地を入ったところにある柴田神社の境内が本丸天守跡といわれます。
この城には秀吉の手紙によると九層の大天守があったということですが、秀吉に破れた勝家が城に火を放ち、お市の方とともに自刃したので、わずか九年で城は焼失しました。
右の写真は商店街の裏手にたたずむ柴田神社です。
とはいっても市街地の真ん中で人家、商店、ビルが密集しているところですから大規模なものではなく、市街地の中の小公園程度のもののようです。訪れたときも、そそれらしい工事が進められていました。

これまでの調査で北ノ庄城の石垣の礎石の一部と見られるものが見つかっていますし、その少し前には近くで銀行支店の建て替えの際に堀跡と石垣も見つかっています。
神社本殿の前に、写真のように発掘で見つかった石垣の礎石が見られるように周囲をコンクリートで固めた穴が作られていました。深さは2メートル近くもあります。
礎石の上にあった石垣は、福井城を築く際の資材に使われたそうです。
この他に北の庄城をしのばせるものは何もありません。


鳥居をくぐってすぐ左手のところに写真のようなお市の方、その隣に勝家の銅像が建てられています。
勝家・お市の菩提を弔って出来た神社ですから、何はおいてもこの二人がなくては・・というところでしょうか。
本殿の右手には、そのお市の子供・よく知られている淀君ら3姉妹を祭る小社もあります。
2003年6月15日記す。