甲府城 =その1=



所 在 地 山梨県甲府市丸の内1丁目
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

別  名 舞鶴城、府中城

築  城 天正10年(1582年)武田氏が滅んだあと甲斐・諏訪は信長が支配、ついで徳川家康がそのあとを継ぎました。

 家康は天正11年(1583年)家臣の平岩親吉に命じて甲府城を築かせています。これが甲府城の始まりでしょう。

 小田原の役後、家康は関東に移封、豊臣秀吉は羽柴秀勝を甲府に入れ築城を命じました。その後、加藤光泰・浅野幸長に引き継がれて慶長5年(1600年)ころにほぼ完成したといわれます。

 関ヶ原の役後、家康は西の抑えとして甲府を重視し、城も何度かの改修を経て形を整えました。

特に柳沢吉保が城主の時代には大規模な改修が行われ、城下町も整備されました。しかし城郭は享保12年(1727年)の火災でほとんど焼失しています。


遺  構 城址は甲府駅の近くで、舞鶴公園として整備されていいます。現在、曲輪、水堀、石垣(穴太積み)、天守台などが残っており、塀、門、櫓などの復元工事が進んでいます。

 上の写真は南側の堀に架かる遊亀橋を渡ってすぐのところから天守台を見上げた様子です。何度かの改修で石垣が下から上へと順次積み上げられていった様子がうかがえます。

 右の写真は中の御門跡から本丸に向かうところです。緩やかな石段を上がり左に折れると本丸跡になります。写真中央の一番奥に見えるのが天守台です。













 左の写真が本丸跡と天守台です。本丸跡はご覧のようにきれいな芝生の広場になっていました。


復元工事
 現在、大規模な復元工事が進んでいます。下の写真のように白壁の塀などが完成していますが、鶴舞城公園展望舎として稲荷櫓を建設するそうです。



 左の写真は城址の南側の堀越しに出来たばかりらしい白壁の塀を見たところでする。

 写真の左端、上の方に天守台が少し見えます。















 右の写真は復元された内松陰門です。「甲府絵図」「甲府城絵図」や発掘調査の状況などから構造を検討、江戸中期ごろの姿を復元したとのことです。

 このほか稲荷門、鍛冶曲輪門の2つの門も復元されています。すべて木造、切り妻屋根の高麗門と呼ばれる形式で。

 改修工事が完成した段階で案内図なども新しくされ、それぞれの門、塀などにも表示板が立つのかもしれませんが、現在は表示板とか説明書きが全くありません。何とも不親切なものです。


写真はいずれも2002年2月13日撮影。
2002年2月18日記す。   




 甲府城 =その2= に続く。