
所 在 地 長野県小諸市古城
(上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)
別 名 酔月城、鍋蓋城、乙女坂城、白鶴城
築 城 長享元年(1487年)、大井伊賀守光忠が築城した鍋蓋城が始まりとされます。
武田信玄の信濃攻略によって天文23年(1554年)に落城。信玄は山本勘助、馬場信房に命じて整備し、以降、武田氏が滅亡するまで武田の武将が城主でした。
武田氏滅亡のあと織田信長、徳川家康の領有となりますが、天正18年(1590年)小田原征伐ののち仙石秀久が豊臣秀吉から五万石で小諸の地に封ぜらました。
仙石秀久は入城すると中世的な城であったのを大改築しました。主要部は石垣を築いて現在遺構として残る近世大名の居城としたのです。

上の写真は三の門で、城址公園の入り口でもあります。
縄 張 左の案内図をクリック して下さい。大きい図が見られます。
この図から往時の縄張りの概略をうかがうことが出来るでしょう。
図は駐車場から城址公園に向かう途中にあったものです。訪れた人に分かりやすいようにとの配慮で、普通の地図表示とは違って南北を180度回転させています。
三の門を入り西に(図では右に)向かいますと直ぐ右側に二の丸、北の丸、左側には南丸、続いて本丸となり、本丸の一角が少し出っ張っていて天守台となっています。
三の門から本丸、天守まで一直線に連なる並郭式の平山城です。もっとも城全体が城下町よりも低いという特殊な形をしており、穴城ともいわれるゆえんです。

遺 構 曲輪、天守台、大手門、石垣、土塁、堀など
島崎藤村が「小諸なる古城のほとり」と詠んだ古城が小諸城です。
城址は市営公園の小諸城址懐古園として整備、公開されており藤村記念館をはじめ郷土博物館、小山敬三美術館、動物園、児童遊園地などの施設があります。
二の丸跡 右の写真は二の丸跡です。
三の門を入って直ぐの右側にあります。ここに鍋蓋城を築いた大井光忠の子光安が築城した乙女坂城、別名白鶴城がありました。

南丸石垣 二の丸を過ぎると左右対称で右に北丸、左側に南丸があります。
左の写真は南丸の石垣です。大小様々な自然石の野面積みです。
この間を通ってさらに西に進むと黒門橋になります。

黒門橋 右の写真が黒門橋で、南丸、北丸と本丸との境いにある堀に掛かっています。
堀の両側に木が茂っているために見にくいのですが、画面中央には本丸の石垣が見られます。その下から橋の下へと空堀があります。
天守台石垣 本丸石垣より少し張り出して高さも一段と高い石垣が天守台です。下左の写真のように野面積みながら立派な石垣で要害堅固さ示しています。

天守台 天守台に上がってみたところが下の写真です。
この天守台には仙石秀政が築いた三層の天守閣がありましたが、寛永3年(1626年)落雷で焼失しました。
その後は徳川幕府の政策により再建されなかったといわれています。

本丸脇の馬場跡 上右の写真の天守台石垣に沿って画面右側の道を西(画面の奥の方)に進みますと天守台下の左側に馬場跡が広がっています。左の方に細長い馬場跡で、今では桜の名所です。

本丸・懐古神社 左の写真はこの馬場跡から本丸、天守に入る道です。左側が天守、右は本丸で、今は懐古神社があります。

不開の門跡と水の手展望台 三の門からまっすぐ進んできて城の西北端になるところにあるのが不開の門跡と水の手展望台です。
左の写真が不開の門跡で、画面右側の石垣が水の手展望台です。
石垣の下は断崖絶壁で、画面の右側の方にぐるりと回り込むように崖は続いています。

水の手展望台から千曲川を望む 小諸城は千曲川の流れによって出来た河岸段丘の上に建っています。
この段丘は火山灰で出来ていて崩れやすく、それがまた防御面にも役立っていたようです。
それはともかく、かなりの高さがある断崖のため、その断崖の上にある展望台からの眺めは抜群です。千曲川がよく見えました。
写真は2001年11月5日撮影。
2001年11月15日記す。
2007年7月25日追加更新。
