
所 在 地 香川県丸亀市一番丁
(上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)
別 名 亀山城、蓬莱城
築 城 生駒親正は豊臣秀吉に信任され天正15年(1587年)に讃岐一国を与えられ播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り高松城を築きましたが慶長2年(1597年)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかりました。6年がかりで慶長7年(1602年)に丸亀平野の小高い丘に城を設けました。今に残る丸亀城はこの親正の築城に始まるといえます。
その後、元和元年(1615年)の一国一城令で丸亀城は廃城の運命に遭いますが、時の高松城主生駒正俊は廃城と見せかけて城の要所を樹木で隠して見えなくし立ち入りも厳しくて城を残しました。
寛永18年(1641年)山崎家治が西讃岐から丸亀城主となり、翌年(1642年)から丸亀城の大修築にとりかかります。この大改修で山麓から山頂まで4段に重ねられた石垣は高さが合計して60メートル、日本一高い見事な石垣になりました。
万治元年(1658年)京極高和が播磨から入り、天守を完成させ第2代高豊が大手を南側から北側に移すなど城の全容を整えました。

上の写真は内堀沿いの道路から内堀と大手門越しに見た丸亀城 @ です。高い石垣の上に天守が聳えています。写真中央は大手二の門 B である高麗門、右側の白壁の櫓門は大手一の門 A です。
本丸に登城、近寄って天守 @ を撮ったのが左の写真です。三層三階、唐破風や千鳥破風に飾られ漆喰で固められた高さ15メートの天守です。現存する三重の天守の中では最も小規模なものです。
JR予讃本線の丸亀駅から北へ徒歩約10分という位置にある海抜66メートルの亀山を中心に内堀と外堀を巡らせて築かれた輪郭式平山城です。外堀は埋め立てられて残っていませんが、内堀、石垣などが保存状態も良く残っています。

丸亀城の案内図 右は城内にあった案内図を撮影したものです。画面の下が北になります。
右の 案内図をクリック すると別のウィンドウに大きい図が表示されます。主要な建造物などには地図の上に番号入りの赤い丸 を付けてあり、解説の中にも同じ番号 を記載しています。
以下の説明は このページと大きな案内図をタブで切り換えながらご覧頂く と分かりやすいでしょう。
遺 構 天守はじめ大手一の門・大手二の門・御殿表門・番所・長屋が現存しており、そのうち天守、大手一の門、大手二の門は国の重要文化財です。
大手二の門から登城 内堀に架かる石橋(下左の写真)を渡り大手二の門(下右の写真)B をくぐって大手道から登城します。



大手一の門 二の門を抜けると枡形で、右側に一の門 A があります。写真のように櫓門で守りを固めています。
見返り坂 大手一の門をくぐって左へUターンするように曲がりますと写真のように少し急な見返り坂 C になります。

坂が急で途中で振り返ってみることから見返り坂といわれています。この坂の右手には写真のように三の丸を守っている高い石垣 D が見られます。

高い石垣・独特の勾配 見返り坂から見る三の丸の高い石垣 D 右の写真)は高さが約22メートルということです。二の丸、本丸と次々と積み上げられた高い石垣の上に本丸があります。

左の写真も三の丸の石垣 D ですが、緩やかなカーブを描いて上に延び、上端近くになると垂直に切り立った見事なものです。
丸亀城は天守などが現存する以外にも見事な曲線を見せる高い石垣が随所で見られるのも特徴です。
写真はいずれも2012年4月10日撮影。
2013年6月28日更新。
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