
別 名 深志城
築 城 天正19年(1591年)に着工、文禄2年から3年(1593から1594年)ころ完成したというのが定説となっている。
築城主 永正元年(1504年)小笠原貞朝の臣・島立貞永が城を築き、深志城と名付けたのが始まり。その後、小笠原貞慶が入城して松本城と改称している。
豊臣秀吉の臣・石川数正が大改修に着工、その子・康長が引き継ぎ、城とともに城下町も建設した。現在の天守などが完成したのはこの時代である。
構 造 天守は木造、5層6階。小天守、辰巳付櫓、月見櫓を伴う4基複合結合型の天守である。この天守は古い様式の建て方で、下見板張りの部分が多く、一般的な白亜の天守とは趣を異にしてる。
特 色 女鳥羽川の下流の平坦地に建てられている平城で、本丸は三重の水堀で守られていた。
天守には数多くの矢狭間、鉄砲狭間、石落としを設けており窓が少なく、居住性よりも戦国時代の実戦的な武備を重視した構えになっている。

展 望 天守閣最上階から西の方を眺めると常念岳など北アが一望できる。撮影した日はあいにくもやが掛かっていて見られなかった。
内堀にかかる赤い橋は埋めの橋です。

右の写真は月見櫓から見た本丸御殿跡(画面中央より斜め左上)で、ここには主要な建物が5棟、部屋数は60余あったようです。

その他 左の写真は二の丸から本丸に通じる黒門枡形一の門で、櫓門の形をしている。昭和35年に復元されたものです。平成11年には太鼓門も復元されている。