松代城 =その1=




所 在 地 長野県長野市松代町松代
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別  名 海津城、待城、松城

築  城 松代城は甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が戦った川中島の合戦の際、武田方の前線基地として築かれた海津城が始まりです。

 信玄が山本勘介に命じて築城したとの説もありますが、普請が完了したのは永禄3年(1560年)のころです。

 永禄4年の第4回川中島合戦では信玄以下の武田軍が入城して本陣とし、川中島で激しい戦闘が展開されたことで知られます。

 武田滅亡後は、織田、上杉、徳川と支配者が変わり、城主もめまぐるしく変わりました。





 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、城主となった森忠正のころに二の丸、三の丸が整備れ、土累も石垣に築き直されたようです。


真田家の居城に 元和8年(1622年)に真田信之が上田城から初代松代藩主として入城し、以来、真田氏10代の居城となりましたが、明治になって廃城、建物なども取り壊されました。

遺  構 曲輪、隅櫓台、石垣、土塁、堀

復  元 平成7年(1995年)から7年あまり掛けて発掘調査が行われ、平成14年に調査結果に基づいて堀、石垣、土累が復元され、本丸の太鼓門、不明門も復元されました。

 上の写真は本丸南側の大手にある太鼓門と水堀です。
 右の写真は復元、整備された城の全体図で、復元工事に合わせて設置された遺構表示・説明案内板です。








 左の写真は二の丸の土累を背に太鼓門を見たところです。画面の左右にあるのが復元された土累です。

 本丸には太鼓門を含め3つの櫓門がありました。

 大手の門に当たる太鼓門は高さ12メートル近くもある堂々たる櫓門と櫓詰門といわれる高麗門から出来ており、高麗門に連なる続塀も復元されています。







 復元された高麗門と続塀です。

 内堀に架かる橋を渡って高麗門をくぐると枡形になり、その右手に櫓があります。








 右の写真は櫓門です。

 復元間もないために白壁もきれいで、見栄えがします。




 


 下の写真は櫓門の下から見た本丸です。






 左の写真の中央、緑濃い樹木に隠れて見えませんが、本丸北側の搦め手門・不明門があります。

 さらに画面の左の方に、これまた画面では見られませんが、下の写真のような隅櫓台があります。

 本丸の中には御殿があったわけですが、調査では数回建て替えられていたことが分かりました。

 御殿は復元されず、礎石などは保護のため埋め戻されています。






隅 櫓 台 左の写真は本丸の北西角にある隅櫓台です。

 天守閣というものは武田時代、真田時代を通じてなく、隅櫓があっただけです。

 石垣を築いた森忠政は、天守を建てるつもりだったかもしませんが・・・。



写真はいずれも2004年9月11日撮影。
2004年10月5日記す。   




 松代城 =その2= に続く。