
上の写真は本丸に付属した出丸で水堀に囲まれています。出丸にはもともと櫓はありませんでしたが、平成3年(1991年)に本丸の櫓を模して模擬櫓が建てられ水口城資料館となっています。
平 面 図 左の図は築城当時の平面図です。資料館で配布しているリーフレットを写真に撮りました。
本丸はほぼ正方形で四隅に櫓があります。北西(乾)の櫓が他と比べてやや大きかったことが分かります。本丸と出丸に橋が掛けられ出入り口になっていました。

別 名 碧水城。水堀には注水口、排水口はありませんが、近くを流れる野洲川の伏流水が湧き出て枯れることなく、いつもきれいな水をたたえています。
初代水口藩主加藤明友が水のきれいなことから碧水城と名付けました。
遺 構 石垣、掘、出丸跡、本丸跡、櫓台など。
出丸入り口 右の写真は出丸への入口です。堀に架かる橋を渡ったところに門を構えています。橋、門などが往時のものを復元しているのかどうかは分かりませんでした。
出丸の模擬櫓 下の写真は出丸に入ってから写した模擬櫓です。ここにはもともと平屋の建物しかありませんでした。内部の資料館の模型にも櫓はありません。

復元するなら史実どおり平屋建てで、櫓台も残っている本丸跡の北西角に・・といっても、もう出来ているのではどうにもなりません。残念です。

資 料 館 右の写真は模擬櫓内部の資料館で、お決まりの城郭模型、水口藩の資料などが展示されていました。

出丸から本丸への門 左の写真は出丸から本丸への通路にある門です。模擬櫓の二階から写しました。
門がどの程度、資料に基づいて復元されているのか・・は分かりません。内部はトイレになっています。
櫓のないところに櫓を建て、それも水口城には存在しなかった2階建てにするなど無神経なところの多い当地の文化財関係者のことですから。
門の向こう側が今はグラウンドになっている本丸跡です。

本 丸 跡 広い本丸跡は右の写真のように学校のグラウンドになっています。生憎の雨で写真の出来がよくありませんでした。
本丸をぐるりと取り囲んで水堀がありますし散策路も設けられているのですが、雨が降ってきて探索をあきらめました。
本丸周囲は現在は石垣ではなく土塁で固められ、隅櫓のある四隅だけが石垣です。もともとは石垣だったのですが、明治の廃城に際して石垣の石は売却され近江鉄道の敷石に使われたとのことです。

本丸石垣 上の写真を撮った位置からカメラを左に向けますと左の写真のように本丸と出丸の間に石垣が見られます。往時の遺構なのかどうかは分かりません。
雨が降っていましたし傘も持っていなかったので雨の当たらない大きな木の下で撮影しました。
もう少し前に進めば一つ上の写真にある門の反対側になるのですが、雨が強くなってきて撮影が出来ませんでした。

出丸の堀と橋 上の写真のカメラ位置から少し後退して左を見ますと右の写真のように出丸を囲む堀、出丸に入る橋が見られました。生憎の雨でちょっとぼやけてしまいました。
水口岡山城 下の写真は模擬櫓から東の方にある大岡山を見たところです。水口に最初に築かれた城・水口岡山城址があります。

この城は京への入り口の守護と伊勢、伊賀、美濃などの押さえとして豊臣秀吉の命により天正13年(1585年)に中村一氏が築きました。水口岡山城とか水口古城(水口町岡山)といわれています。
関ヶ原の合戦で西軍に属したため廃城となり石材の一部は水口城の築城に使われました。現在は古城址として整備され石垣なども一部残っているようです。
いずれ別項としていろいろな写真とともに記事を掲載します。
写真はいずれも2008年11月7日撮影。
2008年11月9日記す。
