
所 在 地 滋賀県長浜市公園町10−10
(上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)
築 城 湖北を支配していた浅井家三代は織田信長に滅ぼされ、その居城・小谷は浅井攻めで功労のあった豊臣秀吉に与えられました。
秀吉は天正3年(1575年)当時今浜といわれていた長浜に城を築き三層の天主閣を造りました。また小谷から城下町も移しました。
長浜は琵琶湖の水運によく、また北国街道もすぐ近いという水陸両路の要衝で、小谷の山城から湖北支配に適した長浜に移ったと見られます。
秀吉の後、柴田勝豊、山内一豊、内藤信成が城主となりましたが、その後は廃城となりました。石垣、櫓などは彦根城に使用され、彦根城の天秤櫓は長浜城を移築したものといわれます。
現在の城は昭和58年(1983年)に市立長浜城歴史博物館として秀吉時代の城を想定して再現されたものです。
上の写真は豊公園から写した天守です。
遺 構 石垣、井戸跡、内堀跡、外堀跡など。

鉄筋コンクリート造りの天守 復興天守へは幅の広い緩やかなわずかばかりの石段を登っていきます。
天守入り口前の広場から写したのが右の写真です。逆光のために細部がよく写っていません。
発掘調査などは部分的で、また築城当時の資料もあまりないようで全体的なことはまだ解明されていません。
天守の外観は、2層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で、天正期の城郭を想定し築城されたとのことです。

歴史博物館 天守は歴博物館で、内部は5階になっています。
2−3階に長浜を中心とする湖北地方の文化、宗教、秀吉の作った城下町の様子などが分かるようになっています。
また刀剣、弓槍など武器の展示をはじめ火縄銃の展示などもあります。
長浜は堺と並ぶ鉄砲の2大生産地で、国友村(今の長浜市国友町)には鉄砲鍛冶集団といわれるほどの鍛冶職人がいました。

天守からの展望 天守の最上階・5階は回廊付きの展望台になっています。
天気がよく風も少しありましたので、さぞかし眺めもよいだろう・・と思いましたが期待したほどではありませんでした。

西
写真は真西ではなく、やや北よりの方を向いて撮影したものです。
画面中央から大きくカーブして右に延びているのは湖岸道路です。琵琶湖が一周できます。
真西を見ると、モヤさえなければ琵琶湖に浮かぶ沖の島、その先の遠くには比良山脈が見られるのですが。

北
この写真も真北ではなく、やや西に振って撮影しました。
画面左端に琵琶湖が少し見えます。湖岸近くから山側に向かって人家、ビルが連なっています。
画面の中央・遠くが賤ヶ岳の合戦場跡、また右側のビルの向こう遠くには小谷城址があります。

東
画面手前の広場、それに連なる幅広い通路が天守への通路です。
緑濃い樹林は天守の東、南に広がる豊公園で、こちら側には日本庭園、児童遊園などがあります。
画面中央の大きなマンションの向こう側をJR北陸線が南北(写真では左右)に走っており、マンションのちょうど向こう側が長浜駅です。

南
画面のほとんどを豊公園が占めており、噴水のある池(真ん中)などがあります。
少し向こう側にある大きなビルは2つともホテルです。
画面の左端から中央に掛けて琵琶湖が少し見えますが、その湖岸沿い、右側のホテルの向こうあたり・遠くに彦根城があります。

豊公園から 右の写真は豊公園の噴水のある池越しに天守を見たところです。
豊臣秀吉の建てた長浜城跡に整備された公園ということで豊公園と名付けられています。
公園内には遺構、遺跡は全く見られません。湖岸に・・・といっても湖岸から少し離れた湖中に太閤井戸というのがあるくらいです。築城当時からの井戸と伝えられています。
写真はいずれも2006年11月3日撮影。
2006年11月18日記す。
2006年12月30日追加、更新。
