
所 在 地 岐阜県大垣市郭町2丁目52
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別 名 巨鹿城
築 城 天文4年(1535年)宮川安定が築城したといわれますが、明応9年(1500年)竹腰尚綱の築城とも伝えられていて明確ではありません。
当時の城は水門川の流れを外堀に利用して造られた規模の小さな城であったとみられます。
天正13年(1585年)豊臣秀吉が一柳直末を城主にして天守閣の造営を命じ、天正16年(1588年)に完成しました。
慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦の前夜に西軍の中心人物・石田三成が大垣城を本陣にしたことで知られます。
合戦後、大垣の城主は、石川・松平・岡部・松平と交代したのち寛永12年(1635年)摂津尼崎から戸田氏鉄が入府しました。
氏鉄は新田の開発、治水事業などに力を尽くし藩政の基礎を築き、戸田家は11代、幕末までの235年間に渡り城主を務め西美濃に君臨しました。
右上の写真は昭和34年(1959年)昔の姿のままに復元された現在の天守、隅櫓などです。本丸跡の公園から写しました。

戸田氏鉄の騎馬像 右の写真は初代大垣藩主戸田氏鉄の像です。上の写真で画面やや右寄りにある騎馬像を角度を変え大きく写しました。

乾 隅 櫓 一番上の写真で画面左端にあるのが乾隅櫓です。その隅櫓を違った角度から大きく写したものが左の写真です。
遺 構 復元天守、櫓、門、石垣、曲輪、掘など。
天守はじめ隅櫓などはいずれも昭和に入ってから復元されたものです。

東 門 城はJR東海道線の大垣駅から歩いて10分足らずの市街地の真ん中にあります。
商店の連なる通りの真ん中に正門への入り口があり、注意していないと通り過ぎてしまいます。
左の写真が天守へのメインゲートになっている東門で、天守復興の時に旧柳口門を移転したものです。
門の一部を遮るように飲食店のビルが建っており、そのビルを避けて門を写すのに苦労しました。

丑寅隅櫓 上の写真で東門の右にある白壁に続いて右の写真のような丑寅隅櫓があります。
立派に復原整備され、訪ねたときも白壁が作られたばかりのようにきれいでした。
たぶん最近になって補修、整備されたものと思われます。
残念ながらこの櫓も狭い路地を挟んでマンションが建っており、興をそがれます。

西 門 左の写真は東門とは反対側にある西門です。
市民の憩いの場所ともなっている本丸跡の大垣公園からの入り口になります。
これも復元された門ですが、最近補修、整備されたのでしょうか真新しい感じの白壁でした。
東門から入っても西門から入っても、入ったらすぐのところに天守があります。

四層四階の天守 右の写真は西門を入ってすぐのところから見上げた天守です。
4層4階建て、総塗り込め様式で、築城以来400年に渡って優美な城として有名でした。
四層四階は死相屍海に通ずるというので幕府などの届け出には三層三階と記さされていたそうです。
明治維新後も廃棄されることなく存続し昭和12年(1937年)国宝に指定されましたが、太平洋戦争の終戦直前・昭和20年(1945年)7月の戦災で惜しくも焼失してしまいました。
城あっての大垣・・ということで昭和34年(1959年)に市民の募金などにより昔ながらの姿で再建されました。

天守内部は郷土博物館 再建された天守は鉄筋コンクリートで、内部は焼失前と同様、左の写真のように博物館となっています。
写真は2006年11月2日撮影。
2006年11月18日記す。
2006年12月27日追加、更新。
大垣城 =その2= に続く。
