近江八幡城




所 在 地 滋賀県近江八幡市宮内町
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

築  城 八幡城は急峻な八幡山(標高283メートル)に築かれた山城です。長享年間(1487−1488年)に佐々木氏の家臣伊庭氏が築いたのが始まりといわれます。

 天正13年(1585年)近江.大和を与えられ43万石の大名となった羽柴秀次がその地を整備し巨大な城を築きました。

 秀次は豊臣秀吉の姉・日秀の子です。当時子共のなかった秀吉の後継者とされており、安土城跡に残っていた石垣その他の資材を活用して城を築くとともに城下町も造りました。

 秀次は関白にまでなったのですが、秀吉に世継ぎが出来ると疎まれるようになります。文禄4年(1595年)「殺生関白」の濡れ衣を着せられて自害、近江八幡城も廃城となってしまいました。

 廃城後も城下町は商人の町として江戸時代を通じて栄え、今に至っています。

 左の写真は二の丸跡の石垣です。展望台、売店が二の丸跡にありました。


遺   構 石垣、二の丸跡、西の丸跡、本丸跡、居館跡、大手門跡、大手道、掘など。








ロープウエー 城址へは右の写真のロープウエーで上がれます。登山道からも登れます。










 ロープウエーの乗り場近くに左の写真のような案内図がありました。かなり大きいものなのでよく分かります。

 訪れた日はあいにくと朝からの雨でした。ロープウエーの乗車券の裏面にも同じような案内図がありますので、その図を頼りに雨の中、傘を差して城址探訪をしました。山頂駅までは4分ほどです。

 山頂駅といっても実際は二の丸跡の直下で、そこから二の丸、さらに本丸へは石段を登っていかなければなりません。

 ゴンドラを下りて駅舎を出ると目の前に巨岩を組み上げた立派な石垣があります。このページの一番上にある写真が、その石垣です。


西の丸跡 山頂駅から本丸をぐるりと回るように舗装された散策路があります。

 右回りに進みますと右側には見上げるような高さの石垣が聳えていいます。本丸の石垣です。

 両側には樹木が生い茂っていましたが、やがて前方が明るくなりました。西の丸跡です。

 天気がよければ安土城址のある安土山が眺められるはずですが、あいにくと雨、それにもやが出ていて右の写真のようにまったく視界がききませんでした。

 さらに進みますと舗装は途切れ、ところどころぬかるんでいました。

 北の丸跡の標識のあるところに出ましたが、すごいもやで写した写真は全然使い物になりませんでした。ここからは琵琶湖が一望出来るのですが・・。





本丸石垣 二の丸跡から西の丸跡、北の丸跡とたどって本丸跡を一周したのですが、左の写真のようにきれいに組み上げられた城壁が残っています。

 焼失した安土城の石を運び込んだというのも頷ける大きな石の見られる城壁でした。

 もっとも一部には崩れかかっているような雑な石組みも見られましたが・・。





本丸虎口・石垣 本丸の周囲をぐるりと一回りしたのですが、本丸へは緩やかな石段を上がります。

 入り口は折れ曲がり高い石垣が両側にあります。本丸虎口の名残でしょう。

 天守閣がどのようなものであったかは不明ですが発掘調査で金箔瓦が見つかっています。巨大で豪華な天守であったろうとと思われます。

村雲御所瑞龍寺 本丸跡には昭和37年(1962年)、京都村雲にあった瑞龍寺が移築されています。

 この寺院は秀吉の姉・日秀がわが子・秀次の菩提を弔うために建てたもので、門跡寺院です。




瑞龍寺本堂 右の写真は瑞龍寺本堂です。

 この本堂と向かい合うところに市内が一望出来る展望台があります。天気が悪くて何も見えませんでした。

 本丸跡はかなりの広さがあるはずなのですが、あまり広さが感じられません。本堂の裏あたりはどうなっているのでしょうか。裏に通するような道は見あたりませんでした。

居館跡など 八幡山の山麓には居館跡があります。最近の調査ではすぐ近くで大手門、大手道などもみつかっており、現在も調査が続いています。


写真はいずれも2006年5月7日撮影。
2006年5月10日記す。
2006年5月19日追加、更新