大洲城 =その1=


所 在 地 愛媛県大洲市大洲903
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

築  城 鎌倉時代末期、伊予国守護宇都宮豊房が地蔵ヶ岳に築いた城が始まりといわれています。大洲は港を意味する「津」という文字を用い大津と称していましたが、宇都宮豊房が築いた城は建設地の名前から地蔵ヶ岳城といわれました。

 戦国時代に入り宇都宮氏は滅亡、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐後、小早川隆景は伊予35万石を与えられ湯築城を主城とし大洲城は枝城となりました。

 隆景が九州に転封となった天正15年(1587年)、戸田勝隆が大洲城に入り、ついで藤堂高虎が城主となりました。さらに慶長14年(1609年)には淡路洲本から脇坂安治が5万3,500石を領して城主となっています。

 この戸田、藤堂、脇坂の3代の間に城には改修が加えられ近世城郭となっていきました。脇坂安治は天守を州本から移築し地名を大津から大洲(おおず)に変更したといわれます。元和3年(1617年)大阪の陣の戦功により加藤貞泰が米子から6万石で入封し、それ以降、明治まで続きました。

 明治維新により城内のほとんどの建築物が取り壊されましたが本丸の天守、櫓は一部保存されました。明治21年(1888年)老朽化により天守は解体されますが平成16年(2004年)市民の寄付などを基に木造で4層4階複合連結式の天守(上右の写真)が復元されました。

大洲城の案内図 下の図は「城下町大洲 町並ぶらり散歩帖」という案内図にあったものを引用させていただきました。この図をクリックすると別のタブ・ウィンドウに大きい図が表示されます。

 以下の説明は タブでウィンドウをこのページと概略図、地図とを切り換えながらご覧頂く と分かりやすいでしょう。



 上の写真は絵図をクリックして大きくした図の下側中央にある @ から撮影しました。石垣の上にひときわ高く聳えているのが復元天守 H です。その左は高欄櫓(現存)F 、天守の右、石垣の上に屋根が少しだけ見えているのが台所櫓(現存)G になります。

 画面の右端に大きく写っている建物は下台所(現存)A です。本瓦葺の土蔵造で台所というよりは食料の貯蔵庫として使われていたようです。壁の下側には床下の換気用にたくさんの穴が開いています。

 天守の立つ本丸の石垣の下、画面を横切るように延びている白漆喰の塀は二の丸を囲んているものです。塀に沿って右に進みますと苧綿(おわた)櫓(現存)I に行けたはずですが写真を撮る時間がありませんでした。

別  名 地蔵ヶ岳城、大津城、比志城

遺  構 台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓、下台所、石垣、曲輪、堀、井戸など




二の丸・御殿跡 登城路はなだらかな坂道で登るのに苦労はいりません。石垣に沿って登ると左の写真のような二の丸の御殿跡 B が見られます。

 御殿跡はきれいに整備され芝生広場になっていて、その奥まった一部に天守跡から発掘された天守の礎石が展示されていました。

















天守と高欄櫓 登城路は途中で大きくUターンしますが、そのまま進みますと本丸下段に入り右の写真のように高く聳える天守(左側)H と高欄櫓(右側)F が見られます。

 この角度から見た天守と高欄櫓は美しく、それでいて堂々としていて威圧感もあります。



本丸下段・井戸丸 上の写真の天守と高欄櫓の下の広場を角度を変えて写したのが左の写真 C です。

 ここには本丸にただ一つの井戸があったことから井戸丸といわれています。写真ではちょっと分りにくいのですが、広場のちょうど中央あたりに井戸が残っています。また今はありませんが、この井戸丸には二層の櫓もありました。

















暗り門跡 高欄櫓の石垣を左に見て進みますと右上の写真の暗り門跡 D になります。本丸上段に至る最終関門ですが今は画面の両端に見られるように石垣の一部が残っているだけです。重要な防御線ですから高い石垣に渡櫓が跨る櫓門となっていたといいます。

 現在は右上の写真のようになだらかな坂で本丸上段に入れますが、かつては門の正面に石垣が立ちはだかり、折れ曲がって石段を登ると台所櫓の前に出るようになっていたとのことです。通常の櫓門と異なり、折れ曲がり部分の上に渡櫓が覆いかぶさり、文字通り内部は「暗り」になっていました。仮に門を破られても、突き進んできた敵兵の勢いをそぎ、暗りの中で混乱しているところを攻撃する仕掛けになっていたようです。






本丸の天守と連立する櫓 暗り門を抜けると右の写真のように本丸上段 E になります。画面左側の坂道が登城路で暗り門のあったところです。

 本丸上段はそれほど広くはありません。御殿などは二の丸にありましたから広さはさほど必要がなかったのでしょう。

 復元天守を中心に左に高欄櫓、右に台所櫓を従えた複合連結式天守群はなかなかに見応えがあります。

 本丸上段からの眺めはどうなのだろう、すぐ下にあるはずの苧綿(おわた)櫓は見えるだろうか…下城の際に確かめるつもりだったのですが忘れてしまい写真はありません。

写真はいずれも2012年4月9日撮影。
2012年4月19日記す。
2013年3月21日追加、更新。



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