岡山城
 =その1=

所 在 地 岡山県岡山市丸の内2−3−1
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築  城 岡山城は安土桃山時代に宇喜多直家が旭川のほとりに築城したのが始まりです。それ以前には現在の城跡の西の丸あたりに金森宗高が城を築いていたのですが、直家がこれを滅ぼし天正元年(1573年)に修築して入城しました。

 直家の後を継いだ秀家は豊臣秀吉の信任厚く50万余石の大大名となり、城を現在地に移すことにして文禄3年(1594年)から築城を始めました。慶長2年(1597年)完成した天守は安土城に似た5層6階の堂々たるものです。

 関ヶ原の役の後、小早川秀秋が入り、城も改修されます。ついで池田忠継と代わり江戸時代は池田氏が世襲して明治に至りました。

特  色 北と西を旭川の湾曲部で天然の堀として固め、河岸の小山を本段(本丸)とし中段(二の丸)、下段(三の丸)という3段構造の土地に三重の堀がありました。

 右上の写真は旭川の対岸(北側)から見た天守です。河岸側がふくらんだ不等辺の五角形をしており、下の写真は城内の御殿跡(南側)から見たところです。南北からは堂々たる眺めですが、これとは対照的に書院跡(西側)からの眺めは少し変わり、下左の写真のように薄ぺったい感じがします。

別  名 別名を烏城といいます。天守壁面が黒漆塗りの下見板張りのためで、右上と右の2枚の写真からその様子がよく分かります。

遺  構 本丸部分は現在もほとんど昔の姿のまま残っており月見櫓なども戦火を免れました。しかし国宝に指定されていた天守、石山門は第2次大戦末期に空襲で焼失しました。現在の天守は鉄筋コンクリート造りで昭和41年(1966年)に外形は昔のままに復元されたものです。












 上の写真は本段の奥向御殿跡からみた天守、左は中段の書院跡から見た天守です。

 左の写真の左端には廊下門が樹間に見え隠れしています。





旭川と水堀 天守の北と東は旭川が天然の堀になっています。南と西は今も残る内堀が満々と水をたたえています。

 左の写真はその内堀の南側部分で、右から中央に延びて堀を区切っているようなのがかつての内下馬橋、その先に内下馬門(大手門)があり下段に続いています。






後楽園 わが国の3名園の1つといわれる後楽園は旭川を挟んで岡山城の北西にあります。

 6代藩主・池田光政が貞享3年(1686年)家臣に命じて作らせた大名庭園で、完成には14年の年月を要しました。

 池泉回遊式の庭園の素晴らしさはもちろんですが、右の写真のように池を配して天守を借景とした眺めもまた格段のものがあります。





写真はいずれも2002年3月13日撮影。
2002年7月7日記す。   




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