大阪城 =その1=




所 在 地 大阪市中央区大阪城1番1号
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

築  城  大阪のシンボル・大阪城は、天下統一を目指す豊臣秀吉が天正11年(1583年)建設に着手、約15年かけて築きあげました。

 元々は石山といわれたこの地に本願寺八世蓮如が明応5年(1496年)坊舎を創建したのが始まりで、石山本願寺といわれる大城郭を形成していましたが織田信長に滅ぼされ焼失しました。その跡地に秀吉が天下人にふさわしい城郭をと建設したわけです。

 この秀吉の大阪城は豊臣・徳川が天下を争った元和元年(1615年)の大阪夏の陣で焼失、しばらくは天守も堀もない大阪城でしたが将軍秀忠の命による大阪城修築が行われ、寛永6年(1629年)に完成しました。

 修築とはいいますが実際には秀吉の築いた大坂城の石垣、堀などの上に盛り土をして徳川幕府の威信を示す新しい徳川大坂城が新築されたのです。

 しかし、この徳川の大阪城も寛文5年(1665年)落雷で大天守が焼け、その後、天守は復興されることもありませんでした。また幕末、明治維新の動乱で残されていた数多くの建物が焼失しました。

 現在の大阪城は昭和6年(1931年)大阪市民の寄付金で再建されたものです。もっとも秀吉の大阪城ではなく、黒田長政が合戦の直後に描かせたといわれ「大阪夏の陣図屏風」を参考に徳川の城の天守台の上に建てられたものです。
 鉄骨鉄筋コンクリート建て、5層8階、地上から約55メートルの高さがあります。

上の写真は2001年11月27日撮影。


平成の大改修 平成9年(1997年)大規模な改修が完成しました。外壁の塗り替えと装飾部品の修復、金箔の押し直しにより白壁と金箔の輝きで彩られた美しい姿になりました。

 天守閣は、震度7の地震にも耐えられるように補強され、エレベーターの延長などにより、車椅子でも展望台へ出られるようになっています。



遺 構 幾多の兵火などにもかかわらず大手門、多聞櫓、千貫櫓、一番櫓、六番櫓、煙硝櫓、金蔵など(いずれも重要文化財)遺構も数多くあります。

 左の写真は大阪城観光客用の乗用車駐車場から眺めた六番櫓と南外堀です。

 マイカーで訪れたときに最初に目にする景色です。満々と水をたたえた外堀、そびえる櫓、天守閣への期待が高まる眺めです。

 観光バス用の駐車場は別にあり、城の北側になりますから、バスで訪れた人たちが最初に目にするのはまた違った景色になるでしょう。

左の写真は2001年11月27日撮影。








 左の写真は大手門へのアプローチで、正面に多聞櫓、左端に二層の千貫櫓が見られます。

 多聞櫓は大手門枡形の石垣の上に建ち、二の丸への出入り口となる大門を組み込んだ構造で、頭上に槍落し装置があります。
















 右の写真は大手門・多聞櫓ですが、大手門枡形に入ったところの正面(写真の右側の部分)の石垣にひときわ巨大な石があります。城内第4位の大きさで重さ約108トンといわれます。





 桜門と空堀 大手門からさらに進みますと、桜門になります。左右には空堀があります。右の写真の中央が桜門ですが、大手門に比べると簡単な門です。

 門に向かって進みますと門越しの正面に天守閣が見られます。











 城内第一の巨石 門を入ったところの正面の石垣には巨大な石があります。

 大阪城は築城の際に諸大名が競って巨石を運び込んで石垣を築いたことでも有名ですが、この桜門枡形にある巨石が城内第一の大きさです。36畳敷き、重さ130トンといわれています。

上、左の写真は2001年11月27日撮影。





写真はいずれも2001年9月30日撮影。
2001年11月3日記す。
2001年12月26日追加修正。


     大阪城 =その1=  現在のページ。
 大阪城 =その2= に行く。
 大阪城 =その3= に行く。