駿府城



所 在 地 静岡県静岡市追手町、駿府町
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別  名 静岡城、府中城

沿  革 駿府は駿河の国府が置かれたことに基づく名前です。中世は守護大名・今川氏が支配していましたが 天正13年(1585年)今川氏が滅びると、家康はかつての今川氏の居館を修築し駿府城としました。以降江戸城へ移る18年まで(1590年)駿府城を居城としました。

 慶長10年(1605年)家康は将軍職を秀忠に譲り、駿府に隠居し、翌年から城の拡張工事を始め、城域を拡張するとともに天守・御殿を新築しました。

 完成したばかりの天守などが全焼するという不運にも見舞われましたが、すぐ工事を再開し5層7階の天守はじめ櫓、門、御殿などが慶長16年(1611年)に完成しています。

 家康の死後は徳川頼宣、徳川忠長が城主となりましたが、以降は幕府直轄として城代が置かれ明治を迎えました。
 天守は寛永2年(1625年)に焼失、再建されませんでしたし、その他の建造物も明治初年に破却されました。

復興の櫓と門 現在、本丸跡、二の丸跡が整備されて駿府公園となっていますが、二の丸東南角には2層の巽櫓、またそれに連なる形の桝型門の東御門が復興再建されています。

巽  櫓  巽櫓(上の写真)はコーナ部に建てられたL型の二重櫓で、その形状を称した折曲櫓とも言われています。 矩折三層ニ重入母屋造り、木造本瓦葺き、外壁白漆喰仕上げで、美しい外観です。内部は見学できるようになっています。



東 御 門 東御門は二の丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多門櫓で構成される桝形門です。

 右の写真は、堀に掛かる橋を渡って入るようになっている高麗門です。

 下の写真は高麗門をくぐって入ったところ、巨大な桝型です。 要所に石落とし、 鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実践的な門で、戦国時代の構造を残しています。







 東御門は再建されて間もないため木部も石垣も真新しく、徳川家康の隠居城のイメージからはかけ離れていますが、大御所として君臨した家康の居城にふさわしい規模の大きさが随所に見られます。





発掘された本丸堀 本丸、二の丸を分けるあたりにあった本丸堀が一部発掘されて、石垣(写真右端)なども姿を見せています。

 向こう正面にある高層ビルは静岡県庁です。



鷹狩り装束の家康 本丸跡は広場になっていますが、その一隅には鷹狩りが好きだったという家康を偲んで鷹狩り姿の銅像が建っています。

 近くには家康お手植えというミカンの木もありました。






写真はいずれも2001年5月18日撮影。
2002年9月3日記す。