高岡城


所 在 地 富山県高岡市古城
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築  城 前田家二代利長が隠居後の居城としていた富山城が焼失したため利長はいったん魚津城に入り、慶長14年(1609年)、高岡に城を築き町を興して移りました。

 縄張りはキリシタン大名として知られ築城家でもあった高山右近といわれています。

 当時の利長は禄高16万石、家臣も400人いたといわれ、隠居城とはいえそれに見合った広さ約21万平方メート、本丸に二の丸、三の丸などを配し幾重もの水堀が設けられた立派なものです。

 利長は足掛け6年在城して慶長19年(1614年)没し、城は翌元和元年(1615年)の一国一城令によって、廃城となり、建物類は取り壊されました。

 右の写真は広い芝生広場になっている本丸跡です。


遺  構 石垣、水堀、土塁、井戸、郭跡など

 廃城後も城跡は加賀前田家の管理におかれていたため遺構はよく残されています。

 現在は高岡古城公園として水堀を幾つも持つ広大な緑地として整備されており、体育館・動物園・美術館・市民会館・図書館・弓道場があります。春は桜、夏は緑、秋は紅葉など市民に親しまれている公園です。

前田利長の銅像 前田家2代目・加賀藩主・利長は家督を異母弟の利常にゆずり、隠居して高岡城に移ったわけですが、高岡城は城としてはわずか6年ほどの寿命で廃城となり、利長一代限りの城でした。

 右の写真は、その利長の銅像です。上の本丸跡の写真の右の方に進むと立っています。この銅像の後ろがかつての天守跡です。













本丸井戸 建物は全く残っていませんが、最上段の本丸跡の写真の芝生広場の外周の通路に沿って左に進みますと遺構の1つである本丸井戸が見られます。左の写真がその本丸井戸です。






水堀 高岡城は本丸はじめ二の丸、三の丸など各郭が広い水堀を周囲に巡らせており、その形を今によく伝えています。

 左の写真は公園内にある城の案内図ですが、総面積の3分の1近くが水堀の広さになるといい、その広さが案内図からもうかがわれます。


















 右の写真は、その堀にかかる朱塗りの朝陽橋です。





 幅の広い堀は今も満々と水をたたえており、ところどころ噴水なども設けられています。

 右の写真は長陽橋から堀を眺めたところですが、ちょうど新緑のころで樹木が鬱そうと茂り、石垣で固められているのか土累作りなのかは分かりませんでした。




写真は2003年5月28日撮影。
2003年6月15日記す。
2004年4月29日追加、修正。