高天神城  = その1 =


所 在 地 静岡県掛川市上土方
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

築  城 室町時代、駿河の守護大名だった今川氏が戦国大名として勢力を広げていく中で遠江の攻略、支配のために築かれたとする説が有力です。

 今川義元が桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られた後は今川方に属していた小笠原長忠が永禄12年(1569年)徳川方に鞍替えしてそのまま城を守りました。

 元亀2年(1571年)武田信玄が遠江に侵攻し2万5千騎を率いて高天神城を攻めましたが、守りが堅く撤退しています。信玄の死後、天正2年(1574年)に跡を継いだ武田勝頼が2万の大軍で攻め、ついに落城させました。

 長篠の戦いで、織田・徳川連合軍が武田氏に大勝したあと、徳川家康は横須賀城、諏訪原城などで高天神城を包囲し、天正9年(1581年)に高天神城を陥落させます。城は陥落と同時に破壊され、廃城となりました。

 右の写真の中央に見える小高い山を中心に左右に伸びる低い山を含め山全体が城です。

立  地 城は遠州地方を太平洋に向かって流れる菊川下流域の平地部からやや離れた標高200メートル前後の低山地にあります。

 周囲との標高差は100メートル程度で城郭全体の広さもそれほどありませんが、山自体が急斜面で囲まれており地形を生かした効果的な曲輪の配置などもあって堅固な中世城郭となっています。



遺  構 戦国時代真っ盛りの山城のことですから石垣は築かれていません。曲輪のぐるりを多くの土塁が取り囲み、掘割が設けられていました。

 保存状態はよく史跡として整備されています。要所に説明の立て札などがあって曲輪の様子なども分かり見学の助けになりました。通路もそれほど登りりにくくはありません。


高天神城の案内図

 左の図をクリックしてください。別のタブ・ウィンドウに大きい図が表示されます。


 以下の説明は タブでこのページと大きい案内図とを切り換えながらご覧頂く と分かりやすいでしょう。








追 手 門 追手門近くにある駐車場に車を止めて山道を登り始めると直ぐ右の写真のような追手門跡に到達します。立て札があるだけでどんな門が建っていたのか・・うかがい知ることは出来ません。

 それにしてもコンクリートブロックとか人造の切り石風の石段は興ざめです。登城路が崩れたので応急処置で積んだのでしょうか。それにしてもせめて自然の丸石を積んでほしいものです。











崖沿いの登城路 追手門跡を過ぎてしばらく登ったところから振り返ってみたのが左の写真です。急峻な山腹に登城路が設けられているのがよくわかります。












この先は通行禁止 三の丸、本丸への分かれ道に来たところでロープが張られ通行禁止の柵が置かれていました。三の丸への登城路が崩落していて危険だとのことです。仕方かありませんので本丸に直行です。

 実は、ここに来る前に搦め手門前に行ったのですが、先日の大雨で崖が崩落し危険なので登城は大手門から・・との張り紙がありました。

 追手門側も登城ルートが限定されていて結局は探訪できたのは城址の東半分・・というか、3分の1くらいになってしまいました。  

本 丸 跡 下の写真は2枚とも山頂にある本丸跡です。さほど広くはなく、左の写真の中央、奥の方に見える盛り土部分は遺構の土塁です。





本丸土塁跡 土塁に近づいて撮影しましたが、風雨に崩れていて子供遊び場の土盛り程度になっています。
















  右の写真は別の場所にあった土塁ですが、これもほとんど形をとどめない程度に崩れていて標柱でそれと分かる程度でした。

 土塁はもともとは本丸を囲むように四方にあったのでしょうか。残っているのは所々、しかも判別出来ないような状態になっているのは残念です。



写真はいずれも2012年2月16日撮影。
2011年12月10日記す。
2013年2月17日写真追加、解説更新。


 高天神城 =その2= に続く。