富山城 == その1 ==


所 在 地 富山県富山市本丸1−62
  (上の地名をクリックして下さい。地図が表示されます)

別  名 神通川の河口にあって河で囲まれていることから浮城の別名があります。さらに安城、安住城ともいいわれます。

築  城 富山城は越中国の古くからの豪族・神保氏の家臣水野勝重が天文12年(1543年)に築いたのが始まりといわれますが諸説があって確証はありません。

沿  革 戦国時代の越中は上杉、武田両氏はじめ織田信長、それに地元の神保氏、椎名氏、また一向一揆も加わっての抗争の地となり、富山城主も入れ替わり立ち替わり、めまぐるしく変わりました。

 天正9年(1581年)、織田信長の部将・佐々成政が入封し、富山を平定、富山城にも大改修を加えました。神通川などの河を改修して天然の堀とし、堀も深くするなど堅固な城にしました。
 このあと秀吉、家康の対立の際、佐々成政は家康側に付いたことから秀吉に追われ、越中は前田家のものとなります。


富山藩時代から現在 寛永16年(1639年)、加賀藩三代前田利常の次男前田利次が分家して富山藩10万石の初代藩主となり、翌17年富山城に入りました。それ以来、13代232年間、明治の廃藩まで加賀百万石の支藩、支城として存続した。

 現在は上の写真のように本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。



遺  構 石垣、土塁、堀
 右の写真は模擬天守の建っている旧鉄御門に向かって左の石垣、水堀です。

 下左の写真は、この石垣の上から天守下の石垣、堀を見たところです。
 下右の写真は、今は市街地になっている大手通(画面の上の方)から旧鉄御門(画面の下の方)に至る通路です。







 大手通から堀を渡って本丸に入り、模擬天守を振り返って見たのが左の写真です。

 画面右端に石垣の上に登る石段が見られます。ここから上の写真を撮りました。

 この天守は3層4階の鉄筋コンクリート造りで、昭和29年(1954年)に開かれた富山産業大博覧会を記念して建てられたものです。郷土博物館となっています。







本丸跡 本丸跡には遺構はなく、緑豊かな広い園地となっています。

 美術館はじめ市立図書館、市民学習センターなどがあります。

 訪れたときがちょうど新緑のころで、まさに緑したたる・・といった感じでした。






水  堀 本丸北側を流れる松川です。

 かつては幅広い神通川が北の守りを固めていたのですが、いまは小さい水路になって名残をとどめています。


写真は2003年5月28日撮影。
2003年6月15日記す。   
2005年6月17日追加更新。 



 富山城 =その2= に続く。