
別 名 神通川の河口にあって河で囲まれていることから浮城の別名があります。さらに安城、安住城ともいいわれます。
築 城 富山城は越中国の古くからの豪族・神保氏の家臣水野勝重が天文12年(1543年)に築いたのが始まりといわれますが諸説があって確証はありません。
沿 革 戦国時代の越中は上杉、武田両氏はじめ織田信長、それに地元の神保氏、椎名氏、また一向一揆も加わっての抗争の地となり、富山城主も入れ替わり立ち替わり、めまぐるしく変わりました。
天正9年(1581年)、織田信長の部将・佐々成政が入封し、富山を平定、富山城にも大改修を加えました。神通川などの河を改修して天然の堀とし、堀も深くするなど堅固な城にしました。
このあと秀吉、家康の対立の際、佐々成政は家康側に付いたことから秀吉に追われ、越中は前田家のものとなります。

富山藩時代から現在 寛永16年(1639年)、加賀藩三代前田利常の次男前田利次が分家して富山藩10万石の初代藩主となり、翌17年富山城に入りました。それ以来、13代232年間、明治の廃藩まで加賀百万石の支藩、支城として存続した。
現在は上の写真のように本丸南側の城門の石垣上に模擬天守が建っています。





写真は2003年5月28日撮影。
2003年6月15日記す。
2005年6月17日追加更新。
富山城 =その2= に続く。