
所 在 地 京都府京都市伏見区納所北城堀
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築 城 室町時代、畠山政長が畠山義就への備えとして築城したのが始まりのようで、織田豊臣時代には諸将が攻防が繰り返さしました。
天正17年(1589年)、豊臣秀吉は側室茶々(後の淀殿)の出産のため、弟の秀長に城を修築させ茶々に与えました。
淀殿が産んだ鶴松はわずか3歳で死亡、文禄3年(1594年)淀城は廃城となりました。秀吉はこの時、築城中だった伏見城に建物を移したということです。
徳川時代に入って築城され現存する淀城址と区別化するため、この城は淀古城といわれています。
京阪電車の淀駅近くにある淀城址から北へ歩いて7−8分のところにある妙教寺(上右の写真)が淀古城の本丸、あるいは天守のあったところといわれます。

遺 構 遺構は全くありません。
左の写真は妙教寺の門を入ったところで正面が本堂、すぐ左に鐘楼があります。
石 碑 この鐘楼脇に「淀古城址」の石碑がありますが、それ以外に古城址を示すものは何もありません。
右の写真が石碑をアップしたものです。
淀古城は天守もあるりっぱなもので、最近の発掘調査では城下町が作られたことも分かっています。
写真は2006年7月15日撮影。
2006年7月20日記す。
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