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砂時計から零れ出る




アルフォンスがロイ・マスタングを呼んできた。
何故呼んで来たのかと怒鳴ると「だって」とアルフォンスは言いよどんだ。
自分が怒り口調で話すから逆にアルフォンスが言えなくなってしまっているのだとわかってはいたが、 それでも、黙っていることなど出来なかった。
積もり積もった苛立ちが奔流のように駆け巡っていた。
多分、男は嘲笑じみた笑みを浮かべてこちらを見ているだろう。
そう思うと余計に苛立った。

床には幾つも失敗した錬精陣が描かれている。
それを見ただけでロイにはこの現状を理解できただろう。
曰く、人体練成の陣を作っているのだと。

そうだとも。そうだとも。 自分は禁忌の人体練成をした。 そして、今からまたそれを行おうとしている。 それなのに、どうしても、それを行うことが出来ない。
「苛立っているようだな」
「アンタが来たから余計にな」
「…兄さん」
アルフォンスが悲しそうにエドワードを呼んだが、だからといって、止めることなど出来なかった。
いつもいつも砂金を掬うような、漠然とした作業を繰り返している。
そして、躓く度に、本当に賢者の石がありうるのだろうかとそんなことを考えてしまう。
だから、一番近しい道を探ると、これに行き当たる。

「ごめんなさい。兄さんはちょっと疲れてるんです。 だから、もう少ししたら大丈夫です」
アルフォンスが男とそう相対する。
兄を目の前にしてどんな言い草だとそう思うのだが、もう、ロイと相対すると気分が今以上に悪くなるので止めておいた。
それが賢明なのだともわかっていた。

この男がどんな目的でアルフォンスの言葉にこの家屋までやって来たかはわからなかったが、そんなこと構いはしなかった。

イーストシティーから程近い、その家屋の主は引っ越したらしく、家具も少ししか置いてはいなかった。
本来なら宿を取ろうと言うことになっていたのだが、それなら、ここでもいいや、とあまり、清潔を気にしていないエドワードは 此処に一泊することにした。
ついでに、とエドワードはその家屋の中を探検した。
リビングであろう室内にはクローゼットが、物置場と化していたが、その中には何もなかった。
服もなければ、ハンガーもかけていない。
その他、あるものとすれば、本棚とソファくらいだ。 その家屋は平屋建てで、リビングと寝室とダイニングキッチンで構成されていた。
電気も通っていないらしく、スイッチを押せど、照明は明るくならない。
暗い暗いその家屋の中で嘗て繰り広げられていたものは何なのか。
「兄さん、止めなよ」
とアルフォンスは止めたが、研究者につきものなのは探究心と好奇心だ。
これがなくなってしまえば、研究者としてはやっていけなくなるだろう。
そして、殆ど持っていってしまったらしい本棚の中である日記を発見した。

日記の中には病魔に冒される人間の生々しい記録があった。
医者に罹らず、自身の力で病魔から脱出しようとしたのかはわからない。
が、その人間には結局病魔から逃れることは出来なかった。
弱弱しい筆記で書かれていたのは、死に対する恐怖で、それを読んでいたエドワードですら、恐怖したものだ。
だから、それが伝染したのだ、とエドワードの行動にはそう考えることも出来た。

しかし、と思うところがある。
何故その日記が残されていたか、残った家族はどうしたのか。
病魔に冒されている人間をそのまま残しておくほど、薄情な家族ではないだろう。
だとしたら、彼、あるいは、彼女が死んだ後に、引越しをしたのだろう。
死者がいたその家で暮らしていくには、あまりにも、家族の死に触れすぎていたから。
だから、恐くなったのではないだろうか。

そんな考えを振り切り、エドワードは自身の練成陣を見遣った。
なんて自分は馬鹿なんだ、とそう思った。
練成陣が間違っている。
何度も書き直そうとして、何度も付け加え、何度も塗り替える。
その度に、陣が歪んでいくのがわかった。
円である筈なのに、練成陣はいつの間にか四角くなっていた。
それに、もう陣は読み取れなくなっている。
頭の中で何度も組み立て、こうして実際にやってみることと何故こうも違うのだろう。
理論と実際は違うとよく言うけれど、本当だったのだ。

どうして上手くいかないのだろう。
頭の中では完成しているのに、たどり着けない。
もどかしくてならない。
間違っている箇所もわかっているのに、訂正ができない。
何故できないんだと苛立っていると、唐突にこう思った。
これは夢だ。 これは夢なんだ だから、こうも、上手くいかない。
ちゃんと理論は組み立てられているのに、上手くいかないなどあっていい筈がない。
指が自分の血で汚れているのがわかった。
地表は自らの血で作った練成陣で全て埋められている。
ペンで床に書いていたのに、いつの間にか自分の指から零れ出る血で描いているのだ。
これでは、アルフォンスが心配しても仕方ない。

何もかも上手くいかない。
そんな日もあるもんだと、鷹揚に納得する。
それでも、指の動きは止まらない。
もう少しだ、という確信が自分を縛り続けている。


「もう止めなさい」
制止しようとする男を横目で見遣る。
ロイはずっと黙ってエドワードの作業を見ていた。
が、どうやらここまでだと悟ったらしい。
アルフォンスはその場にはいなくなっていた。
先ほどいなくなったのが、ロイを呼んでくるためだとしたら、今度は何をしに行ったのだろう。
「もう直ぐなんだよ。もう直ぐでできる筈なんだ」
俺は絶対できる筈なのに。
屈んで描いているからであろう、男との身長の差で自分がとても矮小な存在に思えてならなかった。 リビングの中は錬成陣だらけで、もう男の立っているスペース以外には、練成陣が描かれてあるものはない。
「どれだけ待ったと思っている?」
ロイが何をしに来たかなど知らない。 そして、何故自分を待ているかなど知らない。
「だから、もうちょっとだって言ってる」
「私をどれだけこの場所にいさせるつもりなんだ」
「だから、もうちょっとだって」
「アルフォンスが心配してるよ」
「成功すればあいつだって絶対喜ぶ」
だから、もうちょっとだけって言ってるじゃないか。うるさいんだな、あんたは。
そう言うのさえ、勿体ない。
頭の中では様々な練成陣が浮かぶ。
それを地表に書き続けるだけで、精一杯だ。
もう男に答えるなんて勿体なくてできない。

もうちょっとだけ。
手が汚れていくのがわかる。
自身の血ばかりではない。
もっと奥の方から。
それでも、そんなことは気にならない。

「そうか。ここが間違ってたんだ。ここを直せば成功だ」
成功という言葉はとても甘美に響いた。
それは勝利者にのみ与えられる。

「さっきからそう何度もそう言って、直している」
「アンタは黙ってろよ」
「退屈だからな、口が滑る」
攻撃的な言葉だ、と唇が尖るのが感じられた。
わかっている。わかっているとも。さっきからわざと間違えているのだ。 アルフォンスのために出来ることなど自分には少ししかないのだからと。

「じゃあ、アンタも練成陣書けば? たまには、その焔以外も練成できるようしとかないと、いざというときできないぜ」
何だかんだと言葉を紡いでいるうちに、また練成陣を使い物にならないようにしてしまった。
「あ、間違えた」
男の所為だと言わんばかりに睨みつけた。
大人しくじっとしていればいいのに、何か言ったりするから。

「人の所為にずるのは楽だな」
「アンタの所為だろ」
「それで、自分を楽にしたいだけだ。 そうすれば、自分は傷付かなくて済むから」
「じゃあ、アンタの言いたいことはオレが馬鹿だってことだ!」
「自分の能力のなさにするのは怠慢だ」
「言いたいことは同じだろ。 でも、知ってる?オレは最年少国家錬金術師なんだぜ」
でも、たどり着けない。
いや、たどり着いてはいる。
しかし、どうしても、結果となって表れない。

今日はどうしても、成功させたたかったのに。
どうして出来ないのだろう。
男が言うようにやっぱり自分は馬鹿なんだろうか。
馬鹿で馬鹿でどうしようもないから、上手くいかない。
上手にやるやり方がわからなくて、それを誰かに聞くことすら出来やしない。
こうやって、黙々と作業を続けても失敗ばかりだ。

ふと、笑い出しそうになった。
なら、やり方を模索するしかない。 いつまで経っても終わらない。
終わらない。 終わらすことが出来ずに、それで全部終わりになってしまうのだ。 意味なんてもう何処にも存在しない。 ただやらなくてはならないという切羽詰った思いを道連れにしている、そんな感じがした。

「オレは馬鹿だ」
「そうだね、君は馬鹿だ。全部、君の所為だよ」
そう言われると、底なし沼に沈んでいるような気がする。

「…オレは馬鹿だ」
死ぬことも出来ずに、ただただ足掻き続けている。
いっそのこと、あのとき死んでいればよかった。
そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。

「ほら、宿を手配しておいた。こんなところで一泊するなど止めなさい」
この家屋がどのような一途を辿ったのか、ロイは知っているようだった。
仕事はどうしたんだろうかとそんな疑問が湧いたが、どうでもいいことに思えた。
どうせ、この男はいつものようにホークアイから逃亡を図っているのだから。
ロイが普段とは違う無表情な笑みを浮かべて、こちらに歩み寄り、手を差し出した。
突っぱねようと思ったのだが、その手がとても温かそうに思えて思わず手を取ってしまった。
予想に違わず、発火布を使ったりするその手は温かかった。
アルフォンスの硬質な手触りとは違っていたが、日常の業務によってか少しかさかさしていた。
その手に支えられ、立ち上がりながらそんな疑問が再び浮上した。
「何で、アルフォンスはアンタを呼んだりしたんだろ」
思わず呟くと、ロイが人を馬鹿にしたような笑みを浮かべて笑った。
「私を君の保護者だと思っているからだろう」
多分、その通りだろう。
そして、今のエドワードはその保護者を煩わせている子供というわけだ。

「…アンタはさ、人を生き返らせようとしたことがある?」

病魔に冒され、死に逝く間、病人は世界を呪っていた。
死への恐怖が蔓延する中、ただただ、死を恐がり、死が何なのかと模索していた。
そんな思いをアルフォンスにさせたくなかった。
自分の所為でアルフォンスが苦しむのならば、自分も苦しまなければならない。
それが等価交換だ。

エドワードの質問にロイは返事をしなかった。