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兄弟劇
「大きくなっても人形遊びか」 兄が怒ることは多い。 その性格が元々短気なので、よく、兄弟喧嘩もした。 そして、その言葉を引き金に一人の男を死にまで追いやろうとしたことは考えようによっては 全てボクに対するものなのだから喜ばしいものなのかもしれない。 ボクは兄さんの自己満足に自分自身の存在意義を見出すしかできなかたったので、 ボクは兄さんを失うことを恐れ、必死になって、兄さんを押さえつけた。 兄さんはこれまで見たことがない以上、怒りに顔を歪ませていた。 もしかしたら、「殺してやる」という言葉を吐いていたかもしれない。 不用意に兄さんに言葉を発してしまった男は「ひい」と図体に似合わない悲鳴を上げて周囲に助けを求めた。 もしかしたら、兄さんの小さな体から繰り出される力に自分では対処できないと感じたのかもしれなかった。 「誰か憲兵を呼んでくれ!殺される!」 その男の顔には兄さんに殴られた跡がくっきりと残っていて、被害者と自分を称するには十分な効果があった。 既に周囲には人だかりが築かれていた。 そして、この成り行きを傍観していた。 誰も彼もが誰かが憲兵なり、軍を呼ぶと思っているのだろう。 だからこそ、動いたりしない。 これを心理学用語で何というんだっけと兄を自分の腕で抑えながら、場違いにも考えた。 「兄さん、落ち着いて」 公道で繰り広げられているその一方的な暴力が憲兵の目にとまらぬことなど考えられなかった。 兄さんは国家錬金術師だ。 それでも、このことが発覚すれば、何らかの処分は考えられた。 東方司令部の顔が思い浮かんだ。 ごめんなさい 憲兵がやってきたとき、男はあまりにも痛みに泣いていた。 機械鎧の右手で殴られたのだから当たり前だ。 殺されると悲鳴を上げたのも有り得ないことではなかったから、 賠償金も払わなければならないと僕は心の片隅で考えていた。 今まで兄さんは、普通の人間相手に機械鎧の右腕を振るったことなどない。 しかし、どうしても許せなかったのだろう。 「ごめんな」 兄さんはそうして何度も謝った。 男に暴力を振るったことを謝っているのではないことは直ぐにわかった。 兄さんはボクに対して謝っているのは、この姿が、血の通っていない鎧だからだ。 仕方ないことだった。 他に魂を定着させるものなどなかったし、早くしなければ、ボクの魂はあっという間に死へと突き進んでいたことだろう。 そう、兄さんはボクの恩人だ。 「ううん、有難う」 ボクの代わりに怒ってくれて。 男の人は怒るかもしれないけど、ボクは純粋に嬉しかった。 憲兵に身元保証人としてロイ・マスタングの名前を告げ、彼がやって来るのをある一室で待っていた。 彼ならこの事態を何とかしてくれるだろうと思ったからだ。 それに、大佐は兄さんの後見人なので、こうしたことにも、出て来なければならないのだ。 大佐には迷惑かもしれないけれども、この事態を打開するには、大佐の力が必要だった。 兄さんはそのことに対し、難色を示したけれども、どうしようもないと知っているからか、ぶつぶつと文句を言っていた。 そこは今までお世話になったことがない警察の中で、ボクはひたすらきょろきょろしていた。 兄さんはそこでボクに待っているよう言って、憲兵に連れられていってしまった。 ボクは暇を持て余していた。 椅子に座ることも落ち着かなくてできなかったし、突っ立っていることしかできないのだ。 鉄格子が嵌められた窓の向こう側には、無機質な壁があるばかりだった。 テーブルもあったが、後は、棚と椅子しかない。 その棚にも何かないかな、と見回してみるが、あるのは法律関係のものでしかない。 その中には聖書も入っていたが、興味は湧かなかった。 ボクが興味があるのは錬金術の本なので、ドアの向こう側に話し掛けた。 「錬金術の本ってありませんか?」 「そんなものがあるわけがないだろう」 と、監視に退屈している憲兵が鬱陶しそうに声を返した。 が、かつかつと音を立てて近付いてくる音に敏感に反応した。 直ぐに声が業務用のものへと切り替わった。 「マスタング大佐」 敬礼している様が伺えた。 「失礼するよ。彼ら兄弟は私自ら指導しておくから、今日のところは勘弁してくれないか」 「大佐自らでしたら、こちらでも断る必要がありません。 しかし、その、民間人への暴力の件に関しては、あの男は訴えると騒いでいたんですが」 「いや、鋼のよりも、あの男の方が悪かった。 彼は麻薬の常習者らしい。彼の所持品の中に麻薬が見つかった。 彼は麻薬を見つけ、それを押収しようとしたところ、反抗されたため、暴力に頼ったそうだ。 どうしても、子供というのは感情で動く生き物だからね。 しかし、これはあの子の手柄だ。どうか、許してくれ」 そんな遣り取りの後、大佐がこの重苦しいドアを開けてこちらを覗き込んだ。 そして、一瞬、目を瞠った。 恐らく、この室内が余りにも独房に等しいので驚いたのだろう。 しかし、鎧姿であるボクに対して好意的な人など珍しい。 誰もが、ボクを見ると、少しばかり距離を置いているのを知っていたからだ。 例外は東方司令部の人たちだ。 彼らはとても僕に対して優しい。 すうと息を吐いて、大佐が声を掛けた。 「アルフォンス、戻ろう」 「兄さんは?」 「外で待ってる。反省も兼ねてな。頭を冷やすよう言っている。 全く、麻薬の常習者だったから良かったものの、普通の民間人だったらどうするつもりだったんだ」 そう大佐は言っているものの、それは間違いではないだろうかとボクは思う。 確かにあの男は何かに酔っているようだったが、それでも、ボクたちを見つけたときは珍しいものを見たとばかりに目を瞠ったのだ。 そして、「大きくなっても人形遊びか」と言ったのだ。 大きいという言葉は兄さんの禁句ではなく、どちらかというと、嬉しい言葉だった。 しかし、次に出た人形遊びと言う言葉が兄さんの顔を強張らせた。 そして、有無を言わさず右手で力を振るったのだ。 それで、気絶をすればいいものの、麻薬で体の感覚すらも麻痺しているのか、男は未だ意識を失っていなかった。 「大佐」 「何かね?」 「ごめんなさい」 「…それを鋼のから聞きたかったよ」 その室内から出ると、長い廊下を通り、ボクたちは警察から出た。 擦れ違った何人かに大佐が挨拶を交わすので、ボクもぺこりと頭を下げておいた。 それくらいしかできなかったからなのだが、何人かは意味がわからないと首を傾げていた。 傍らの大佐を見ると、大佐は少し笑いを堪えているようだった。 多分、全身鎧のボクが謝るというのは、周囲からみると何だかおかしいのだろう。 大佐の言う通り、兄さんは警察から程近い壁に背中を押し当てて、ひたすら口を引き結んでいた。 その様は泣くのを堪えようとしているようで、ボクには辛かった。 「アル」 兄さんは大佐に構うことなく、ボクに駆け寄り、ボクを抱き締めた。 自分の体温を分けられたらいいのに、と考えたのかもしれない。 それに、大佐と顔を合わせたくなかったのも入っているかもしれない。 兄さんはきっと、大佐に叱られたのだろうから。 「兄さん」 大佐の前ということもあって少し恥ずかしかった。 それでも、ボクは一瞬躊躇った後、兄さんが痛くないように気を遣いながら、抱き返した。 本当にこの身体のことを考えると嫌になる。 肉親を抱き締めるにも気を遣わなければならないなんて。 「さて、兄弟の再会も済んだことだし、司令部に私は戻るぞ」 大佐はその階級も相俟って忙しい。 それなのに、わざわざ時間を作ってくれたのだ。 お礼を言おうとしたのだが、それよりも前に「あんたなんてさっさといっちまえばいい」とくぐもった声で兄さんが言った。 兄さんは大佐に自分のしたこと尻拭いをさせてしまったことを悔しく思っているらしい。 だけど、今更どうすることもできないこの現状にひたすら抵抗していた。 「言われなくても行くとも。だが、これで私に借りができたことは忘れるなよ」 多分、大佐はこの件で、骨を折ったのだろう。 それは周囲の人だかりが証人となって見ていたからだ。 あれは明らかに一方的な暴力だった。 「そんなの直ぐ返す」 「それは頼もしい」 大佐はそれで兄さんの所業をよしとした。 それは甘いとも取れるものだったけど、大佐が兄さんのことを信頼しているのだとも見て取れた。 そんな遣り取りの後、大佐は待っていたらしい軍の車に乗った。 運転手はいつものことながら、ハボック少尉で彼は暇を持て余していたらしく、煙草をふかしていた。 車の中は煙草で充満していて、大佐が何度か仰ぐような仕草をして見せた。 どんな会話をしているかわからなかったけど、多分、煙草を慎めとでも大佐は言ったのだろう。 ぶろろと音を立てて、車が去った後も、ボクたちは互いの身体を抱き締めていた。 その様は周囲の人から見ると奇異にしか映らなかっただろうけど、ボクは全然気にならなかった。 何しろ、ボクの唯一の肉親(父親もいるけど、今は何処にいるかわからない)が甘えているのだ。 それを受け止めないなどできる筈がない。 「兄さん」 しかし、いつまでも、抱き合っていては、痛いのではないだろうか。 そう心配して声を掛けると、兄さんが小さな声で呟いた。 「お前はちゃんと生きてるよ」 兄さんがそう言うのならば、真実だ。 疑う必要など一欠けらもなかった。 でも、兄さんはボクの胸の中にいたから気付かなかっただろうが、一人の女の子が大切そうに人形を抱えているのを見つけてしまった。 人形はきっと、女の子の宝物なのだろう。 それを見たとき、ボクはこう考えてしまった。 あの子はきっとあの人形に話し掛けているんだろうな。どれだけ話し掛けても応えてくれない人形に。 兄さんは否定しているけど、ボクたちはその人形遊びとそう変わらないのだと見せ付けられた気がした。 ボクは人間です。人間だとそう信じたいんです。だから、賢者の石が欲しいです。ボクが人間だと言うことを証明して欲しいです。 これ以上兄さんを困らせたくないです。兄さん、こんな弟でごめんなさい。 そう心の中で呟いた。 |