家族愛



裏表




疲れている日に限って何かろくでもないことが起こるものだ。
そして、そのろくでもないことを誰もが正してくれない。
だから、どうしようもないと思いながらも引きずってしまうのだろう。

「私は確かに見ました。神に誓って。あの男が私の娘を殺したんです」
泣きながら女性が訴えたのは、自分の夫だった。
それは、悲劇とも言えたが、傍観者たる自分から見るとどうにも喜劇に見えた。
こんなことを言うと、もしかしたら、女性は怒るかもしれない。
しかし、貴方も共犯者だろうという言葉が口の端に引っかかっている。

「あの子を虐待していたんです。 私は何度もあの男にやめるよう言ったのに、やめようとはしませんでした。 あの男は娘で鬱憤晴らしをしていたんです。 可哀想にあの子は死んでしまいました。 ああ、どうか神がいるのなら、あの子を生き返らせてください」

生き返ったら娘は何と母親に向かって言うだろう。
どうして私を助けてくれなかったのかとそう言うか、それとも、そんなに自分を責めないでと言うだろうか。 答えは返ってなど来ない。 死が何処までも彼女を縛っているのだから、当然の話だ。

どうしてこんなことになったのか、とロイは嘆息する。 早くこの場から帰りたくて仕方がなかった。 これは明らかに自分の管轄下ではない。 それなのに、どうしてこのような家へと赴いてしまったのだろう。

泣き出している母親を先ほどからホークアイが宥めているが、母親はひとしきりに神に祈りを捧げている。
神が奇跡を起こしてくれるのではないかとひたすらに。
そんなことはありはしないのだと知っているロイにとっては、どうにも、見ていられない事態だ。

そんなロイの元へと駆け寄ってきたのが、ブレダだった。
「血の付いた凶器が見つかりました。 それで、鑑識に回しました。多分、被害者のものと一致します」

はあ、とロイは溜息を吐いた。
加害者と思われている夫はただいま、逃走中だ。 それを推し量るに夫が娘を殺害したのだとそう思わせるには十分だ。

しかし、とロイは今、被害者が死亡原因を探るため、病院に回され、それを嘆いている母親に対して冷たい視線を向ける。
どうしてこのようなことが起こる前に何か出来なかったのだろうか。
止めるように言ったと言っているが、本当に止めるように言ったのか立証できない。
それに、それほどまでに虐待が酷かったと言うならば、殺される前に誰かに相談するなりすればよかったのだ。
それなのに、そうした様子がない。
そこから推し量るだけでは憶測でしかないが、やはり、この被害者の母親も共犯者ではないだろうかとロイは考えていた。
しかし、娘を殺す理由は見つからなかった。
保険金が欲しかったのだろうか、と家の中を探るが、そこには、貧困を感じさせるものはなかった。 この家のことを今、フォルマンに探らせているが、叩けば埃が出るような、そんなところも見たところなさそうだった。 誂えたかのような家具が、並べられ、白を基調とした家の内部が広がっている。 照明が家具を照らし、その家がきちんとして整えられた空間であることを演出している。 ソファの上には、投げ出された恐らくは主人の服が転がっている。 この様子では、主人はさぞかし寒い格好をしていることだろう。

しかし、ロイがその家で見つけたのは、もっと別のものだった
。 転がっているのはあまりにも激しい不毛。
それを見つけてしまえば、後は虚脱感が襲ってくる。

「中尉。私は少し席を外す」
暗に、女性を見張っていろとそう目で伝える。
ホークアイは頷いた。



「どうして今日は雨なのだろうな」

しとしとと降り続ける雨はあまりに鬱陶しい。
事情聴取は未だ続いているが、とてもではないが、この様子では順調とは言えなかった。
この前までの事件が懐かしい。
テロ事件が騒がせている間にも、それとは場違いな通報もあったのだ。
「うちの猫がいなくなったんです。探してください」や、「亭主が浮気しているようなんです。突き止めてください」 や、「隣の人がいつもでかい音を出すんです。あれじゃあ、眠れません」 といった他愛のないものだった。
それなのに、今日に限っての通報が、「父親を娘が殺しました」という内容なのだ。
駆けつけてみれば、殺されている娘の姿を見ることになった。
死体は見慣れているからといっても、わざわざ見たいものではない。
幼い娘だからこそ、痛々しかった。
余程の何かが父子との間にあったのだろうと、そう推測された。 ナイフで一突きだったらしく、被害者である娘は即死だったそうだ。 痛い思いをせずに済んだのは、ある意味幸運であったのかもしれない。 水分を吸った衣服が肌に吸い付く。
雨がしとしとと降っている中、駆けつけたものだから、すっかり軍服は濡れてしまっている。 着替えたくてたまらなかった。 着替えてシャワーを浴びて、そして、眠りたい。 いくら机上での作業に嫌気をさしていても殺人事件には関わりたくなかった。

ああ、早く帰りたい。
そんな憂鬱さを知ってか知らずか、エルリック兄弟が来たとの報告を受けたときは、これで少しは気分転換ができるとのものだった。
彼らと接触するのは、ロイにとって楽しみの一つだった。
幼かった兄弟はロイが考えていた以上に、成長している。
その成長ぶりを見るのも好きだが、何より彼らから刺激を欲している自分がいた。





執務室でエルリック兄弟と応対したのは、加害者が捕まった後だった。
加害者は逃げ場がないのだと知ると、大人しく頭を垂れ、恭順の姿勢を見せた。
包囲網は作られていたうえに、交通のアクセスの各所には、軍人を配置させていた。
数時間で捕まるとは思ってはいたが、早かった。
それほど、逃げ回る根性を持ってもいないくせに、どうして、娘を殺してしまうことになったのか。
殺された被害者にとっては失礼だろうが、考えようによってはどうにも馬鹿馬鹿しかった。

「やあ。久し振りだね」
「あっそ」

エドワードはいつものようにそっけない態度を取る。
いつもながら嫌われているなと感じるには十分だった。 しかし、それも今回は少しばかり様相が違ってきていた。 隠しているようだが、左腕に怪我を負っていた。 不自然な動きでそれと知れる。 恐らく、エドワードは持ち前のその性格で、何かに巻き込まれたのだろう。 それを隠すために、やたらと、態度もつれないのかもしれない。

「報告書を渡してもらおうか」

報告書を貰う必要はなかった。 エルリック兄弟の名声は高まってきていることもあり、何処かしらで彼らが現れたと憲兵から報告が入ることもある。 それもあってエルリック兄の引き起こす事柄はどうしても耳に入ってきてしまう。 それでも、怪我をしているとは聞いてなかった。 それも、生身の腕となると、少しばかり首を傾げてしまう。
何かを庇おうとする場合、利き手を普通使う筈ではないかと考えたからだ。

「その怪我の理由も知りたいね」
そう言うとぎくりとエドワードが動きを止めた。
あまりにもわかりやすい反応に思わず口が滑る。
「今回は一体どんなことをしでかしたのか、楽しみだ」

「だから言ったじゃないか。兄さん。大佐に隠しておけないって」
「うるさいな、アル」
「うるさいじゃないよ、全く。怪我したんだから、病院に行こうってば」
「嫌いなんだよ。病院」
「注射は打たれないと思うよ?」
「注射もだけど!行きたくない!」
「子供じゃあるまいし」
「何言ってるんだ、アル。オレはちゃんとした子供だ。聞いて驚け。オレの歳は…」
「わかったから、病院行こう」

どうしてこうも彼らの会話は面白いのだろう。
笑い出してしまいたいのを堪えて、ロイは真面目ぶって言った。
「さあ、事の顛末を聞かせてもらおうかな」

エドワードが渋々と言った様子で口を開く。
彼の口調からすれば、報告書に書いてあるのだから、言う必要ないだろとのことだった。 この期に及んで何故渋るのかと内心怪訝に思う。 詳しく憲兵から話を聞けば知れることだ。 が、エドワードがどうしてそこまで拘るのかはただ自尊心の関係ばかりではない気がした。

「だーかーら、ちょっとした事件に巻き込まれて怪我したんだよ。けど、たいした怪我じゃないし、ほら、これ」
そう言って袖を捲り上げ、左腕を見せた。
そこには、何かで擦らせた痕があるだけだった。
転んだような、そんな擦り切れた傷だった。
しかし、怪我したにもかかわらず、何故治療もせずに、放っておいたのだろう。
思わず腕を掴み、その傷口に触ってみた。
火が触れたかのように、エドワードが「痛え!」と直ぐに腕を引っ込めた。
「何するんだよ!」
怒り出したエドワードの目は涙目だった。

「…医務室に行って来なさい」
「…大した傷じゃないって」
「だったら、触ったくらいで泣きそうな顔をするな」
「泣いてない!」
「泣きそうな、と言っただろう。何も泣いたとは言ってない。早く医務室に行かないと今度は傷口に塩を塗りこむぞ」
「鬼!」
「鬼で結構。塩が嫌なら、消毒ついでに酒でもいいぞ。丁度持っているからな。それとも変わったところで砂糖はどうだ」
「行きゃあいいんだろ!ほら、報告書!」

エドワードが報告書を執務机に叩きつけると、のしのしと足音荒く執務室を出て行く。
アルフォンスがそれを機に出て行きたそうに兄の行方を見ている。
が、挨拶をして出て行くかと思いきや、兄思いの弟はこちらに振り向いた。
即ち、ロイを見遣ったのだ。

「ありがとうございます。大佐」
何故お礼を言われなくてはならないのかと初めは理由がわからなかった。
しかし、察しがつき、笑みを口元に浮かべていた。
兄弟に関しては、ロイは自分でも少し甘いところが出るな、という自覚があった。
「君も大変だな。あの兄を持って」
「…兄は僕が心配しないように、ああやって振舞っているんです。痛いのに、痛くないって。 でも、その方が僕には心配なのに気付いてないんです。 何でも言って欲しいと思っているけど、僕がこんな身体だから、兄は全部自分でしょいこんじゃって」
「君たちは本当に仲が良いな」
「だって、兄弟ですから」
それが当然でしょうとのアルフォンスの言葉にそうだな、と軽く頷いた。
しかし、それと同時にエドワードはまた、自分にも心配を掛けたくないと思ったのかなと思った。

調べでわかったことだが、娘は身体を患っていたらしい。
治る可能性は皆無ではないそうだが、可能性はゼロに近い数字だったそうだ。 発作も出ていたらしく、苦しむ場面は頻繁に見られたと聞いた。 そのとき、父親の目には娘はどう映ったのだろう。 世の中の大半のことは正しいとわかっていても、それが実行できないことが多い。
だから、あの父親は娘を殺し、あの母親は娘を助けられなかったのだろうと思った。