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黒と白の世界
布教というものがあるのだとしたら、今、それがこの行われているものなのだろうか、とエドワードは思った。 一目見て、聖職者だとわかる四十代くらいの黒い服を着た貧相な体躯の男がロザリオを手に、エドワードとアルフォンスに声をを掛けた。 彼は、この子供と鎧という奇妙な取り合わせに何の怪訝そうな顔を見せずに、ロザリオを渡してきた。 「神の祝福がありますように」 ロザリオを渡されたエドワードは、手持ち無沙汰にそれを持て余した。 装飾を施されたそれは、光の反射を受けて鈍く光っている。 アルフォンスは律儀に「ありがとうございます」と言っているが、心中ではどうしようかと考えているに違いなかった。 禁忌を犯した人間が神に祝福されている筈がなかった。 それでも、その男が善意でロザリオを渡したのだということはわかっていたので、突き返すことは躊躇われた。 その躊躇が伝わったのか、男が優しく言葉を続けた。 「良ければ、礼拝堂に足を向けてはいかがですか」 祈りを捧げてはどうだろうかという誘いだろう。 今までこうした勧誘にはついぞお目にかかったものがなかった。 珍しいという思いも込み上げて来て行ってもいいかなという思いがないこともなかったが、 礼拝堂に行くというのは、どうも自分たちには場違いな気がしてならなかった。 そんな思いがアルフォンスにも伝わったのだろう、顔を見合わせるとアルフォンスが困っているのがわかった。 「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます」 何故なのか、その男は訊ねたりはしなかった。 ただ、そうなのかとばかりに鷹揚に頷いただけだった。 男はエドワードたちが立ち去っていくのを笑顔で見送った。 男の背後には、堅牢とも言える教会が聳え立っていた。 その中では、賛美歌が歌われていた。 聖歌隊でもあるのかもしれない。 そこだけが、何処かこの町にはそぐわない気がしたのは、自分たちに負い目があるだろうか。 吐かれる白い息を意識しつつ、 「ああいうのってあるんだな」 珍しいとエドワードは思わずそう呟いた。 見回す町の景色には何の変化も見当たらなかった。 誰もがそれぞれの日常を送っている、そんな景色だ。 顔を伺ってみると、誰もが忙しいという顔をしていた。 時折、ふと、何かに気付いたようなそんな視線がこちらに向けられることもあったが、大概は誰もが自分のことに一生懸命だった。 月の終わりだから、何かと精算しなければならないことがあるのかもしれない。 「行っておくと良かったかな」 エドワードの言葉に触発されたのか、アルフォンスがそう口にする。 それは何処か悲しそうな響きに思えて、エドワードは思わず反発する。 「神様なんていねえよ」 その言葉に棘が入っているのがわかったのか、アルフォンスはもう言葉を口にしようとしなかった。 (神様神様。どうか、弟の姿を元に戻してください) しかし、そう口にしながらも、エドワードはそんな望みを心の中で呟いた。 信じてはいないのに、そう口にするのは、神を信じている人間がいるからだ。 そんな、あの男のような人間を見ると、もしかしたら存在するんじゃないかと思うからだ。 でなければ、何故あれほどまでに、確信に満ちた言葉を吐けるのだ。 (こんなことになったのは、全部オレの所為です。だから、弟は元に戻してください) 目を瞑り、弟が元の体を取り戻している姿を想像する。 その想像の中で、弟は歳を取っていない。 そこから、弟はやり直すのだ。 エドワードがアルフォンスの時間を奪ってしまったのだから。 しかし、目を開けてみたところで、弟はやはり冷たい鎧の姿のままだった。 何で戻らないのだろうと、答えを知っているのに、疑問に思う。 神様が、弟ならオレが元に戻せられると信じているんだろうか。 意地悪なんだろうか。 それまで耐えられると思っているんだろうか。 いや、それはおかしくないか。 何でオレが神様を庇わないといけないんだ。 もしかしたら、こうして、オレたちが元の姿に戻れないのは運が悪いだけなのかもしれない。 神様が関わっているんじゃないかもしれない。 この世界には運の悪い人と運のいい人がいて、その運のいい人だけが望みが叶えられるのか。 それとも、神様にとって、オレたちはごみくずのような存在だから、気にしないのか。 そう考えるのは、何処か甘美な気がしてならなかった。 しかし、それは錬金術における等価交換の法則に反していた。 エドワードは唐突にロザリオを踏みつけてやりたい衝動に駆られた。 そのとき、一人の、未だ五歳くらいの幼い子供が、エドワードたちが背を向けた教会へと一生懸命駆けていく。 駆けていく子供のその姿は、とても遠くに映った。 子供は、教会に入る前に、エドワードたちを見送っていた男に気付き、一心に話し掛けた。 その男を介して神に伝わるのだろうと信じているのだろう。 痛いほどにそのロザリオを握り締めた。 ロザリオを踏みつけなかったのは、神を信じているであろう、先ほどの子供が可哀想だと思ったからだ。 それ以外の何でもなかった。 |