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久し振りに飲もうとそう声を掛けてきたのはヒューズからだった。 珍しい誘いにロイが乗らないわけがない。 二つ返事をして、馴染みの飲み屋で交わした酒は昔懐かしい味がした気がした。 「最近どうよ?お前のところは」 「特に変わりはないよ。いい意味でな」 「そうか。なら、いいんだが。お偉方の話も特に変わりないか?」 「ああ。変わりない」 そう言いつつ、蘇るものがある。 ロイは軽く首を振った。 しかし、言いつけられた辛辣な言葉は消えようとしない。 そんなロイの様子にヒューズは何か思い当たるものがあったらしい。 「何か言われたのか?上の奴らに」 「別にいつもの下らない話だよ」 受け流していればいい。 そう思っているし、いつもの自分なら受け流していた。 そして、実際そうした。 それなのに、あの会議室から出た後の、老人たちの聞こえよがしな会話が耳から離れない。 「どうしてあんなに暇なんだ。私が抱えている事件を全て渡したいくらいだ…」 激昂していると、今の状態を見ているヒューズなら言うだろう。 実際、ロイとしてはそうだった。 「どうしてマスタング君はあの子供を自分の元へと引き込んだろうな、わざわざお荷物を背負って」 「若者のやることはわからないね。リスクを背負って。大体あの子供、直ぐに事件を起こすじゃないか。 もみ消すのにどれだけ苦労しているんだ」 「自分の手足となる子飼いが欲しかったんじゃないか。実際囲っているのかもしれん」 下卑た笑いが広がる。 エドワード・エルリックのことを言っているのだ。 何も知らないくせに。 自分のことだけならいい。 しかし、それが自分以外の者に視線があてられたとき、これほど腹が立つとは考えもしなかった。 言っている言葉が真実だとは欠片も信じていないだろう。 ただ、貶めたいだけだ。 老人たちの言い分もわかっていた。 実際、エドワードの後見人になると決めたとき、リスクが過ぎったのも確かだ。 それでも、ロイはエドワードの後見人になった。 それは、何故だったのか、ロイは忘れられない。 勿体無い、とそう思ったのだ。 才能が埋もれてしまうのが。 どうして、こんなことを思い出しているのだろう、そう我に返ったりもする。 それでも、理解する必要なんてまるでなかった。 けれども、今、思い出すのはあの可愛げのない顔で、それがあまりにも鮮明だから困ってしまう。 歪な感情をあの子供に押し付けるわけにはいかなくて、曲がりなりにも自分は大人であるのだから、 そう接しようとしているのに何を間違えたのだろうか。 迷っているときに、どうしてあの目に付き易い弟の姿がないのだろうとそう考えてしまう。 「アル、何処だよ。迷子になるなよ、子供じゃあるまいし」 エドワード自身でさえ、子供であったが、そうエドワードは人の波を掻き分けながらそう文句を言う。 今日はどうやら中央での祭りの日のようだった。 知らなかったのが、駅に着いたとき、あまりにも溢れかえっている人にエドワードはぽかんと口を開けてしまった程だ。 元々、中央に人が多いのは充分承知していたことだ。 しかし、これほどまでに人が多いとは思いもしなかった。 そんな感想を抱いているエドワードにアルフォンスは「迷子にならないようにしてよ」とそう忠告した。 「当たり前だ、お前こそ迷子になるなよ」 そう返したのだが、今の現状に陥ってしまった。 確かに隣にいた筈なのに、人の波に押され、あれよあれよといううちにエドワードとアルフォンスは離れてしまった。 あまりにもの鮮やかなそれに作為を感じてしまう。 普段であれば、直ぐに見つかる鎧の姿が何処にも見つからない。 (勿論、エドワードの身長が低い所為もあるが、エドワードは決して認めない) 「有り得ねえ…」 錬金術を使おうかと一瞬思ったのだが、この人込みだ。 流石にそれは使うには支障が出るだろう。 そのため、アルフォンスも錬金術を使っていないに違いなかった。 何処か周囲を見回せる建物の上にでも行き、アルフォンスを探そう、とそう賢明な判断をエドワードはした。 しかし、人の波は案外きついもので、掻き分けるにも労力が必要だった。 誰だ、祭りなんて迷惑なもの考えた奴、とそう怒りが湧いてくる。 「鋼の」 耳に慣れた声に、エドワードはふと周囲を見回した。 「え?」 どうして、そんな声が聞こえるのだろうとそう思っていると、不意に腕が取られた。 捕まえてきた腕は群青だった。 軍服だ。 「大佐?」 「ああ、やっぱり君だった」 人込みに揉まれながらも、エドワードの前へと現れたのはエドワードの後見人ロイ・マスタングだった。 「アンタ、何してたの?」 「視察だよ」 「こんな日に?大佐自ら?」 「こういう日のが危険なんだよ。だから、視察だ」 「ふうん。女の人と祭りに出かけるんじゃなくて?」 「そうだったら良かったんだけどね」 そう言って苦笑いするロイは疲れているんだとそう知れた。 この人込みだ、ロイだって疲れもするだろう。 「何でオレだってわかったんだ?」 「赤いコートが目立つからね。迷子防止に丁度いい」 「何かそれやだ…」 そういえば、昔から赤いものを身につけられたような気がする。 それはその為だったのか、とエドワードはふと思う。 確かそのとき、母親は「赤はかっこいいもの」と言っていたが、嘘だったのか。 多少呆然としていると、「アルフォンスはどうしたんだ?」とロイが尋ねる。 「あ、あいつ迷子になった」 「君じゃなくて?」 「違う!断然違う。アルが迷子になったんだ」 「どっちでも同じことだろう」 そう言われて、何だか反論した自分が子供みたいだ、とそう恥ずかしくなった。 勿論、自分は未だ年齢的に見たら子供以外の何でもないのだが、気持ちの問題だ。 「じゃあ、探しに行こうか」 「はあ?視察はどうしたよ」 「迷子の世話をするのも仕事だよ」 「オレが迷子決定かよ…」 脱力を覚えながらも、左手を取られ、瞬間心臓が跳ねた。 左手がロイの右手に握られる。 「な、アンタ何してるんだよ!」 「何って迷子にならないように。基本だろう?」 「男同士で気色悪い」 「じゃあ、肩車でもしようか。アルフォンスが見つかるように」 「それも嫌だ!」 「じゃあ、我慢しなさい」 握られた手が温かい。 節くれだった手だ。エドワードより、手が大きいのが悔しい。 自分の手が汗ばんでいく気がして、エドワードは気が気ではなかった。 緊張しているのかとそう自分自身に問い掛ける。 機械鎧の手であれば良かったとそう思った。 そうすれば、体温も何も伝わらないのに。 自分の心臓の音が酷く大きく聞こえる。 今にも爆発してしまいそうだ。 それでも、手を離したくなくて、今だけだからとエドワードは手を握り返した。 「迷子になるかもしれないから」 そう言い訳を呟いた。 「いい心がけだね」 「ぜってえそれ褒めてないだろ」 アルフォンスはいつ見つかるのだろう? 「アンタ死ぬのか?」 エドワードの言葉は突然だ。 戦地に赴くことが決まったとき、ロイはまっすぐにエドワードに話をした。 話をし終えた後に出てきた言葉はその言葉で、あまりに直截な言葉にロイは戸惑う程だった。 「死ぬかもしれないな。君の元に帰って来るとは保障できない」 だから、ロイも直截な言葉を選んだ。 誠実なつもりだった。 「違うだろっ、ここは普通嘘だとしてもちゃんと帰ってくるって約束するところだろうがっ」 子供だ子供だとそう思っていた。 自分よりも一回りも若い子供。 しかし、こうして強く見上げてくる視線には、いつもながら、どきりとさせられる。 はっとするような強さがそこには滲み出ていた。 「君は曖昧な約束は嫌いだろう?」 「嫌いだ!」 「だったら…」 「だから、ちゃんと帰って来い」 幸せだな、とそう思ったのは、いつもわかりにくいこの子供の愛情を感じ取ったからだ。 「うん、帰って来るよ。君が待っていてくれるなら」 約束がとても優しいものに感じられたのは、初めてだと言ったら、彼は果たして信じるだろうか。 空気がふわりと舞っているようだった。 そんな詩的なことを考えてしまうほどに、空気がいつもと違っていた。 「なんか今日はいつもと違う」 そう口にすると、その原因であるロイは表情すら変えずに「そうかな」と唯言った。 「違う。大体アンタがちゃんと仕事しているところを見たのなんて久し振りだし」 「失礼な…。いつもちゃんと仕事をしてるよ」 苦笑いをしてみせるロイは、何かを隠しているのだと何故かそう思った。 「デートだろ、大佐」 「そうだが」 だから何だとそう言うロイにエドワードは少しだけ苛立った。 だから、普段はしていない仕事に励んでいるのだと。 真面目にしている姿を見ると、その理由をどうしてもエドワードは考えてしまう。 しかし、今日の空気から察して決して急ぎの仕事ではないのだと検討はついていた。 「相手誰なんだよ、綺麗な人?」 「気になるのかね、鋼の。嫉妬か?」 「アンタはあほか!そんなことあるわけないだろう」 「綺麗な女性だよ。髪は金髪で、瞳ははしばみ色をしている。賢いし、話をしていて面白い」 エドワードの言葉を受け流して、遠くを思い出すような目でロイはすらすらと口に乗せる。 今、きっとロイは女性のことを思い浮かべているのだろう。 ロイの言葉から察するに、きっとその女性に好意を持っているだろうことが想像ついた。 オレも金髪だけどな、とそうエドワードは思う。 手入れが行き届いていない髪はところどころ痛んでいる。 そろそろ切らなければならないと思いつつ、先に伸ばしている。 何となく、エドワードは自分の前髪の一房を取り、引っ張ってみた。 その仕草に惹かれたのか、ロイがエドワードを見遣る。 「少しだけ、君に似ている」 「あっそう」 「聞いておいて、つれない反応だな」 「聞いてて面白くねえし」 「………………………………………嫉妬か?」 「だから、嫉妬じゃないから」 少しだけ、ロイは笑っているようだった。 それが苛立った。 「アンタの何処がいいんだろう、その人」 自分にも当て嵌まる。 何故、とそう考えてしまう。 「私が魅力的だからだろう?」 「自意識過剰!」 せめて、女であれば、気持ちを伝えることが出来た。 自分に少し似ているという女性が羨ましかった。 少しも似ているところがなければ、こんなことは思ったりはしなかっただろうに。 女だったら良かったのに、そんなことを思う自分はきっと、この目の前にいる男のことが好きなのだ。 困ったことに。 どちらが先に気がついたのだろう。 自分が零した声だったのか、それとも相手の声だったのか。 「あ」 視線がぶつかる。 つい先日見た顔だった。 エドワード・エルリックだ。 ロイは仕事が終わってからの帰りであり、既に日は暮れていた。 闇が広がるそんな中で、エドワードは一人だった。 いつもなら、隣にアルフォンスがいるのだが、別行動なのだろうか。 「セントラルにいたのか?」 「うん、ちょっと調べものがしたくてさ」 「アルフォンスが一緒じゃないようだが」 「アルとは」 決まりが悪そうな表情をしているところを見ると、弟と喧嘩をしたのだろう。 仲の良い兄弟ではあったが、四六時中一緒にいれば喧嘩にもなるだろう。 兄は勿論だが、弟も案外頑固であることをロイは知っている。 「喧嘩をしたのか?」 「アルが悪い」 「それで、決まりが悪くて町を歩いているわけか」 くすくすと笑えば、エドワードがじとりと睨みあげてくる。 「うっせえな。大佐には関係ないだろう!」 「まあ、そうだがね。それより、食事の方はしてきたのかね?」 「―――してないけど」 「じゃあ、一緒に食べないか?」 「何でそうなるんだよ」 「丁度小腹が空いてきてね。一人で食べるとつまらないじゃないか。奢るよ」 「マジで?」 誘いの言葉がすらすらと出てきた。 軽い言葉で、今にも飛んでいきそうだ。 少し逡巡したと思ったら、エドワードは「ごめん」とロイに言った。 「アルに悪いからやめとくわ。また今度な」 今喧嘩中じゃなかったのか、とそう言いたくなった。 喧嘩中でさえも、エドワードはアルフォンスのことを考えている。 「いや、いいよ。言うと思った」 そう言いながらも、心の奥でどことなく切ないものを感じているのは何故なのだろう。 |