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報告書を渡す手筈はしていた。 しかし、肝心のロイ本人は将軍に呼ばれていないのだ。 「ちょっと待っていてね。すぐ大佐は来るから」 そう言って、ホークアイが執務室から立ち去ると、一人になった。 他のロイの部下たちは姿が見えない。いつもは、誰かしらがいる執務室に一人でいるのは、何となく居辛いとそう思うのは、空気が違うからだろうか。 空からは雨がぽつぽつと降り始めていて、窓外に目を向けると薄墨色が広がっていた。雨が降ると、どうしても空が暗くなってしまう。 柔らかいソファに座ったまま、エドワードは「早く来ないかな、大佐」とふと、呟いた。 余程忙しいのか、執務室に帰ってくる様子がないロイを待つのに時間がもったいないと思いつつ、ごろんとエドワードは横になった。 見上げた天井はひたすら白い。眩しく映る。身体が何となく重く、気だるい。 「遅い……」 将軍に嫌味を言われているのだろうか。だとしたら、災難だ。 「雨降ってるし」 機械鎧が痛むのだ。まるで、責め立てるような。 「最悪」 腕で視界を遮る。 雨音が激しくなっている。ざーざーという音が鼓膜を刺激する。 そんな中、靴音がふと、こちらに向かって聞こえてきた。 どんどん近付いて来る。 「すまない、遅くなって」 ロイが執務室に入ってきた途端、エドワードはぱっと起き上がった。 軽く少し疲れた顔をしているロイを睨んだ。 「長かったな、散々待たせやがって」 「仕方ないだろう。将軍に捕まったんだ」 「だからって、時間かかり過ぎだろう」 口を尖らせると。ロイがふと、にやにやしながら意地悪く言った。 「何だ、寂しかったのか」 「馬鹿か、あんたは。寂しくないし」 即座に否定して横を向くと、穏やかな、優しい言葉が聞こえてきた。 「私は君を待っているときは寂しいよ」 そんなこと言うな、馬鹿。 そう、口の中で呟いた。 「鋼の」 「何だよ」 視界の片隅でロイの様子を伺う。 「おかえり」 その一言で何だか、酷く救われた気がした。 そんなこと、目の前の男には決して言わないけれど。 「…………ただいま」 君の願いを叶えてあげたいとそう思っているよ。 君が望むままに。 現実はうまくいかないことが多いけれど。 そう、思っていた。 執務室。 二人しかいないその空間は何処か寂しく映る。 ちらりと目を向けたその窓からは、刷毛で塗ったかのようなそんな青が広がっている。 雲一つない。 旅立つには、今日はとてもいい日だろう。 何もかも終わったその後は、何を言おうかなとそう考えたことがある。 またおいでとか、元気でとか、お疲れ様とか。 そう言った言葉たちは何処に消えてしまったのだろう。 「君と繋がっているのはこれしかないのかなとそう思ったんだ」 それ以外何もない気がした。 子供じみた感情だ。 銀時計を手に取り、そう感慨深く呟いた。 「私は君の役に立てなかったな。考えてみると」 いつの間にか、前へ前へとエドワードは進んでいたのだ。 彼は、本当に強くなった。 「何言ってるんだよ」 ふと、エドワードから出された言葉に銀時計に吸い寄せられていた視線が解けた。 顔を上げれば、そこにあるのは真っ直ぐな瞳だった。 綺麗な混じりけのない金色。 「今まであんたにちゃんと言ってなかったけど」 息を吸い込んで、吐き出される言葉の数々。 たくさんのありがとうの言葉。 胸が一瞬にして熱くなった。 道を示してくれて。見守ってくれて。 「………オレのこと、信じてくれてありがとう」 身体を取り戻すことを。 くすぐったい言葉だ。 今日は酷くエドワードは優しい気がする。 きっと、今まで張り詰めていたものがなくなったからだろう。 だからこそ、こんなにも優しく感じるのだ。 根は優しい少年だということを知っている。 彼を縛っているものは何一つなくなった。 きっと、司令部に顔を出すこともないのだろう。 あまり、軍を好きではないことを知っている。 目的の為だったのだから。 そのことを今更実感した。 そのとき、エドワードが何を思ってか、笑顔を見せた 「オレ、アンタが結構好きだよ」 悪戯っぽく笑うそんなエドワードについ、普段の表情が崩れた。 きっと、私は鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな顔をしていたんだと思う。 そんなことを冷静に考えた後で、次いで、笑みが零れた。 嬉しかったのだ、単純に。 だから、ロイも素直に口に出すことが出来た。 笑って。 「私も、君が結構好きだよ」 両思いだ、何と。 心の中がじんわりと温まっていくのを感じる。 「鋼の。いや、エドワード」 銘以外の名前で呼ぶのは久しぶりだ。 何だが、照れくさい。 「うん」 「これからすることは?」 「色々する予定だけど。挨拶回りとかしたいし、他にも」 「それが終わったら、私のところにお嫁に来なさい」 言うつもりなんてなかったのに。 「………………………………………は?」 「待ってるから」 「マジで?」 「マジで。返事は?」 断られるかもしれない、とは何故か思わなかった。 エドワードの表情が、一瞬にして緩んだのを感じた。 「………いいよ」 何も繋がりがなくなるとそう思っていた。 しかし、繋がりは作ろうと思えば、幾らでも作れるのだ。 もう、きっと手放す気にはなれないだろうとそう予感した。 そろそろ日が沈み始める時間帯になってきた。そろそろ来るはずだとそう思っていたら、ばたんと扉が乱暴に開いた。 赤いコートに黒い上下に、何より目立つ金の髪。 エドワードだ。 「大佐、何かいい情報ある?」 突然来たかと思えば、いつもの言葉。 また、普段と変わりないのかと、思ってしまう。 自分は一体何を期待しているのか。 「ない」 「マジかよ」 ちっと舌打ちをしたのは、目の前の少年以外にない。 あったとしても、言いたくなくなるぞとそう言いたくなる。 「今舌打ちしなかったか?」 「まあいいや、まだ溜めてるの、書類」 「逃亡しようとしたら見つかってね」 机の上に積まれた書類に思わず、ため息が出そうになる。 念押しをされたのだ。今日中に片付けなければどうなるかわかっていますね、と。流石に二度目の逃亡は難しい。 「するなよ。そういや、はい、これ」 ころりと手のひらに転がったのは、お菓子の包み紙。 中を開けば、チョコレートだった。 粒上のチョコレート。 「お疲れ様」 何だか今とても癒された。そう思ったのは、気のせいか。 エドワードが今日に限って、優しいからだろう。 何かいいことでもあったのか。 「ありがとう」 いいよ、と軽くエドワードが答える。 口の中に放り込めば、きっと甘く溶けるだろう。 何かせねばと身体が、動いた。 自分としては、自然な行動なのだが、よく考えると不自然だと後で気付いた。 テーブルから立ち上がり、エドワードに頬に軽く唇を寄せると、彼はななななと言葉にならずに、頬に手を当てた。 「お礼だよ」 にこりと笑ってみせる。 実は、笑顔には自信があったりする。 エドワードは顔を真っ赤にしている。 時間は5時。 3時のおやつには時間が経っている。 それでも、甘い時間となった。 振り返ると、なだらかな稜線が続く丘がある村が見える筈だ。 今頃は夕食の時間だろうか。 だから、振り返らない。郷愁が訪れるからだ。一気に心臓が押し潰されそうになる。 夕闇が迫ってきていた。 村が闇に沈むまで早い。そして、朝もとても早いのだ。 どこからか呼ぶ声が聞こえる。 それは、母親が子供を呼ぶ声なのだろうか。 気のせいなのか、夕餉の匂いがした。 「……どうした?」 耳に届く声が、とても近く感じた。 受話器なので、当然のことなのかもしれないが。 低い声に現実へと引き戻された。 「何でもねえ」 「何か考え事をしていたんじゃないか?」 「たいしたことじゃねえ」 「明日には来れるんだろう?久しぶりに」 会うのは何ヶ月ぶりだったっけとそう思う。 もう、思い出せない。 会う時間が濃いからか、久しぶりという気がしないんだけど、と言ったら、ロイは何て言うだろう。 「まあな、ちゃんと報告書は書いてるからな」 「いつもそうだと嬉しいんだが」 「悪かったな!」 「早くおいで」 待ってるから、とそう甘い言葉を口にされて、顔から火が出るかと思った。 がちゃんと思わず、受話器を元に戻してた。もしかしたら、ロイは今頃耳を押さえているかもしれない。 早くおいで、か。 家は焼き払った。帰って来れないように。自分の覚悟のつもりだった。しかし、今、そうして、帰る場所になってくれる存在がいる。 「兄さん」 アルフォンスの呼ぶ声がする。 駅まで数歩だ。駅の前でアルフォンスが待っている。駅を背景に立っているアルフォンスは、まるで切って貼られたように風景に溶け込んでいない。 電話ボックスを出て、エドワードは「直ぐ行く」と足を踏み出した。 一度も振り返らずに。 |