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11 交友関係 12 与えられるものを甘受するために 13 元のところに帰して 14 道化師の作り方 15 目を潰そう どんな動物でも子供のときは可愛らしく見える。 力も弱く知恵も備わっていない幼体が、他の生物に食われると言う状況に置かれたとき、唯一の武器にできるものは、 その無邪気さと愛らしさだったといえる。人類にとって およそ三万年前、人類は他の知的生物である犬科(カニス)と最初の遭遇を体験した。 いずれにしても、その犬科の成獣は侮りがたい敵であったことは間違いない。 ある日、人類は憎い敵である成獣を殺すことに成功し、その犬科の巣の中に、数匹の仔犬を発見する。 例え仔犬であろうと、即座に殺すべき相手である。 だが、人類は仔犬を殺すことを躊躇った。 仔犬はその愛らしさだけを武器に、勝ったのである。 それ以後、人と犬との交友関係は打ち立てられたのである。 「私にとってね、中尉、あの子はね、別の生き物なんだ」 「エドワード君がですか?」 「そう、別の生き物だよ。私が為し得なかったことをしてみせる。だからこそ、とても可愛い」 「……………歪んだ愛情ですよ、それは」 「そうだろうね、でも、誰だってそう思うんじゃないかな」 ――――自分の役に立つものは可愛らしいだろう? だからこそ、可愛がる。 そう時間が経たないうちに、エドワードは自分の下から離れていくだろう。 それはもう、目の前に迫ってきている。 それを拒むことはできない。 初めて自分の下にやって来たエドワードの無愛想で、しかし、決心を秘めた瞳を思い出す。 本当はそのときから、自分の役に立たなくなったら、どうしようかと考えていたのだ。 もし、自分の邪魔になるようなら、と。 それがエドワードにとってどれだけ残酷なことだとしても、自分の邪魔になることだけは避けたかった。 自分の予測できる範囲内のことであれば、それは済ませられる。 が、それ以上となると―――。 エドワードはとても可愛いと思う。 中庭で何かしようとそんなことを思いついたのは誰だろう。 日差しはとても温かく、空気は穏やかだ。 天蓋は澄み渡った青い空が続いている。 「お弁当を作ってみたのよ」 ホークアイはそう言って、照れたように笑ってみせた。 「口に合うかわからないけど、よかったら食べてね」 緑に囲まれた中庭で、広げられたお弁当の中身は可愛らしいものだった。 彩りも考えたものらしく、華やかだ。 食材も色々なものが使われている。 栄養のバランスも考えられているような、そんな完璧と言ってもいいようなお弁当だ。 ホークアイの作るものと言えば、それに何より、きっと美味しいものなのだろうなあと思う。 ブレダやハボックらがエドワードに渡された弁当を興味深げに見遣る。 「へえ、美味しそうですねえ。ちょっと、摘んでもいいですか?」 弁当を眺めているだけで、食欲が刺激されたらしい。 「エドワード君がいいと言うなら」 ホークアイはそう答え、自分の分の弁当を食べている。 中身が同じということに、気恥ずかしさを感じたのは一瞬だった。 「大将、ちょっといい?」 「別にいいけど」 「じゃあ、これ貰い」 「あ!普通リンゴ取るか?」 「別にいいって言っただろ」 「だからってリンゴ取るか?別のにしろよ」 「もう食べちゃったし」 「子供かよ」 「中尉の料理美味しい」 そう言いつつ、一口エドワードは綺麗に巻かれた卵焼きを頬張った。 卵焼きは柔らかく、甘い。 見た目通り、ホークアイの腕前は確かだ。 「ありがとう。作った甲斐があるわ」 にこりとホークアイは笑ってみせた。 「いいなあ。兄さん、中尉の手作り弁当…」 「身体が戻ったらいつでも、作るわ」 「いいんですか?やった」 そんな会話を尻目に、日常的な仕草で頭を上げる。 そこには、ただぽつりぽつりと浮かんだ雲はとても白い。 「そういえば、大佐はどうしたんですか?」 「大佐は一人で仕事片付けてる」 ブレダはそうアルフォンスの問いに答えた。 「ええー。折角だから一緒に食べましょうよ」 「いいのよ、あの人は」 仕事を途中で抜け出した罰として、執務室にロイは閉じ込められている。 同情の一つもしたくなるが、身から出た錆だ。 最も、閉じ込めたとしても、ロイは錬金術で執務室から出られるだろう。 しかし、その後、ホークアイから制裁が下されるのは間違いなかった。 今頃は大人しく反省して仕事を片付けているだろう。 「全く、何で大佐はそうさぼるんだ」 どうせ、最後にはやらなくてはならないことはわかっているだろうに、見ようによっては見苦しいと言えた。 「女たらしだし、意地悪いし、雨のときは無能だし、まるで子供みてえ。 あーオレ、大佐の悪口だったら、原稿用紙に五枚くらいは書けるかも」 ふと、アルフォンスが何を思ってか、口を開いた。 「前から思ってたけど、兄さん、大佐と仲悪いの?」 そう言われて戸惑った。 しかし、言われて初めてそうかもしれないとかそんなことを考える。 ロイは大人だ。 何だかんだと悪口を言えるが、自分とは違う、余裕を持った大人であることは間違いなかった。 だから、時々どうしようもない溝を感じる。 どうしても抗えない、届かない、そんな存在だと思うのだ。 その一方で世話になっているのだとそうも感じる。 そうした思いが時々口の端から零れるのかもしれない。 なので、アルフォンスは仲が悪いとそう口にしたのだろうか。 ロイ自体はエドワードの扱いを子供だと受け止めているだろう。 だから、何とも思うことなく、食事に誘ったり、話掛けたりもする。 こちらの感情には気付いていないのだろう。 「さあ?」 エドワードはそう言ってみせた。 実際よくわからなかった。しかし、そうかもしれないと思う。 お弁当の中身を無意味にフォークで突付く。 中庭の雰囲気は家族団欒といったもので覆われていた。 それは、皆に迎えられたときの、心温まるときに感じるものと似ていた。 幼馴染のいるリゼンブールに帰ったときと似ている。 風を感じ、空を眺め、空気を身体全体で掴み取る。 そして、ふと、故郷だとそう感じる、そのときのような。 だから、エドワードは時々司令部に戻ると、帰ってきたという実感を持つのだが、それをアルフォンスにも話したことはなかった。 あの男が作り出しているものだとそう言いたくなかったからだ。 「元のところに帰して」 エドワードがその言葉を発するのは決して珍しいことではない。 エドワードの中で占めているのはいつも弟の筈だった。 いや、弟である筈だった。 彼にとって自分よりも大事なのは弟で、その弟こそが彼の存在意義だった。 しかし、今、彼の目の前にいるのは彼が愛している弟ではない。 ベッドに端座しているその男の名前はエドワードにとって記号でしかない筈だった。 多分、それは、大分前のことで――。 「元のところなんてないよ」 ロイはそう優しく言って、絶望に顔を蒼白にするエドワードの髪を撫でた。 「……帰して」 泣きそうな顔をしているエドワードの唇にそっとキスを落とす。 唇はかさかさしていて、柔らかくなかった。 それでも、慰めるように、何度もその唇を啄ばんだ。 ――――君はいつも自分のことばかり考えてるね ロイは自分もまた元のところに戻れなくなってしまっていることに気付いていた。 何かのために、という言葉は綺麗だが、それは同時にそれ以外を排他していることを意味している。 昔は、ロイとて目標を持っていたのだ。 エドワードが持っていたように。 しかし、こうして少年を手に入れたときに、それは死角の隅に入ってしまったらしい。 占められている大半のことが、この少年であることがわかる。 まるで奈落の果てに、手を伸ばしてしまったようだ。 元のところになんて帰してやらない。 私を残して一人で帰してなんてやらない。 だったら、代価を払ってもらおう。 錬金術師の法則だろう。 ハボックがロイとエドワードのことを尋ねたのは、この一回だけだった。 そうか、と最初は驚きもしたし、抵抗もあった。 尋ねるのは下世話なことなのだとそうも思った。 当然だった。 彼らの間には色々な障害があった。 それをひっくるめて、好奇心が膨れ上がっていった。 心の底では「もう大将も十五だし」ということを言い訳にしていた。 自分が十五歳のときのことを思い出しながら。 それでも、自分とエドワードでは置かれている状況が違っていることをわかっていながら。 尋ねなければよかったとそう答えを聴いてから後悔した。 「大佐はオレのこと好きじゃないよ」 笑顔で話すエドワードに痛々しさを感じずにはいられなかった。 そんな顔をさせたくはなかった。 照れながら、それでも、嬉しそうに話すのではないかと心の底では期待していたのだ。 期待は裏切られることが多いと知っていたのに。 「大佐はオレが物珍しいから、相手にしているだけだよ」 大佐はそんな人じゃない、とそう言おうとした。 が、ふと揺らぐ。 ―――――本当にそんな人じゃないのだろうか。 自分の知る上官以外の部分をこの子供は見ている。 裏表があるとは言わない。 誰にだって、自分を全部曝け出すことができる者など少数だ。 だとしたら、もしかしたら、それだけロイはエドワードに対して素直に接しているということなのかもしれない。 それだけ、真摯になっているということではないのか。 物事はいつも一直線ではない。 多方面に広がっているものなのだ。 それでも、信じられない気持ちもわからないではない。 理屈で物事を考えてみれば。 「飽きたら捨てられる。そこらのペットと同じだよ」 話を切り上げようとするエドワードに待ったを掛ける。 「でもさ」 エドワードが振り向いた。 何か期待しているような、諦観を含んでいるような、そんな複雑な表情をさせているのが自分の上官だと思うと、 ハボックも複雑になった。 「拾ってくれる奴もいるだろ」 「そうだな。アルみたいに」 でもさ、とエドワードは続ける。 「可哀想にって思って責任も取れないのに拾うのは、すごく残酷だろ。どうせまた捨てるのに」 ロイがリゼンブールで見つけたという兄弟のことを嬉しそうに、楽しそうに話していたことを言おうかと思う。 死人のようだったロイが表情を輝かせていたそのときのことを、ハボックはきっと忘れることはないのだとそう思う。 この人についていく、とそう決めていたから、その変化をとてもハボックは嬉しいとそう思ったのだ。 自分勝手なことなのかもしれないとそう思う。 しかし、ロイとエドワードが出会ったことを感謝している。 「そしたら、俺が飼い主捜すよ」 しかし、どうか、そんなことにはなりませんように。 少尉って人がいいなとエドワードは声を出して笑った。 目が泣きそうだったのを覚えている。 エドワードの瞳は綺麗な色をしているとそう思う。 「オレ、一番大切なのアルだから」 「そんなのわかってるよ」 愛をどれだけ囁いてきても、この少年の頑なな心を解き解すことなどできはしないとわかっている。 それでも、手に入れたいとそう思っている。 少し俯きがちになったエドワードにロイは真正面からその瞳を見つめた。 髪と同色の金色の瞳だ。 潰そうかとそう凶暴な思いが働くのは、その瞳を見るときだ。 感情が一番働くところは目なのではないかとそう思う。 エドワードの目はいつも弟のことを考えている、思い出している、そう思わせるには十分だった。 「オレ、大佐の気持ちよくわからない」 「気持ちを押し付けるつもりはないんだ」 「でもさ、そういうもんなんだよな」 受け入れないといけないんだよな、とそう口にするエドワードは義務だとそう思っている節が合った。 アルフォンス・エルリックは鎧の身体に魂が定着している。 そのあまりにもの特異さを受け入れるには、エドワードは柔軟でなければならなかった。 弟を人間だと認めるためには。 「具体的にはどうすればいいの?アンタには借りがあるし」 全てが全て等価交換で済むわけがないのだ。 この少年は自分を代価にしようとしている。 自分の価値を物のように扱っている。 全ては弟のために。 等価交換は世の中の法則だと信じて疑わない幼い少年を欲しいとそう思う自分を笑ってしまいそうだ。 「そうだね、どうしようか」 そして、全てを失うのだ。 本当に欲しかったものは手に入れられない。 エドワードの耳に顔を近づける。 ないものねだりという言葉が浮かんで、消えた。 |