スーパーショートストーリー





16 崩壊する予感
17 螺子
18 愛情を注いで
19 寂しがり屋の定義
20 君が生まれた日






泣いているのは、初めて見たように思う。 言葉で表すならば、ぼろぼろと言った感じだろう。 エドワードが泣いているのを、ロイにとっては、珍しいと一言で言えた。 同時にとても似合わない、と。

ロイはエドワードのことを理解していると心の底で思っていた。 しかし、実際に人の心というのは理解し難いものであることも知っていた。 人は笑いながら人を憎める生き物であり、その多彩さに関しても自分は心得ている、とそう自負していた。 しかし、それは目の前で泣いているエドワードを見てしまえば、吹っ飛んでしまいそうな、そんな自負以外の何でもなかった。 そして、それを目の前にしてのロイの反応もまた、ロイ自身にしてみれば、甚だ理解し難い行動をしていた。 親が子供にするように、宥めすかせるように、何度も何度も髪を梳き、「大丈夫、大丈夫」と何の確証もないのに、そう呟く。 どうして大丈夫だと言えるのか自分でもよくわかっていない。 それでも、わかっていると言わなければという切羽詰った思いがあるのは確かだった、 何かが壊れてしまって、それを直すためには、「大丈夫」だと自分にも言い聞かせる必要があったのだ。 だから、ロイは元通りになるように何度も「大丈夫だから」とそう口にした。 外見的には何も傷ついていない少年には、精神的に何かを負ったのだろうとそう推測したからだ。 何度もしゃっくりあげて、それこそ息をしていること自体が辛そうだった。 が、やがてエドワードは顔を上げた。 顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「あ、アルには言うなよ」
兄弟喧嘩でもしたのかもしれない。
「言ったらどうする?」
意地の悪い言い方をすると、エドワードの瞳が鋭く色を増した。
「隠し子がいるってばらす」
「誰に隠し子がいるって?」
「大佐に」
「私がそんなへまをすると?」
「するかもしれねえじゃん。人間なんだから」
人間なんだから、そんな言葉を聞くのは久し振りだった。 いつの間にか自分は「人間」という代物からは遠く離れたところにいるような気がしていたからだ。
「君だって、人間だろう」
言い包めるかのように、何らかの可能性が含まれていることを仄めかした。
「だとしたら、泣きもする」
「…………でもさ、やっぱかっこ悪いじゃん」
「私の前でかっこつけても無駄だぞ。君のかっこ悪いところはちゃんと見てるからな」
「それ、嫌だ」
「私は少し、楽しい」
「………………趣味悪いぞ」
「知ってる」
泣き疲れたらしく、エドワードはソファに寝そべっている。 まるで猫のようなその仕草に思わず、手を伸ばしてしまう。 普段は滅多にそのようなことをしたりしない。 触れば、逃げられてしまうことを知っている。 今日ならば、そんなことにはならないだろうとわかっていたからだ。

「大佐、さっきから聞きたかったんだけどさ。オレの何が大丈夫なんだ?」

聞きたいことはそれなのだとばかりに、エドワードの目が鋭さを増した。 敢えて翻訳するのならば、どうしてお前にそんなことがわかるんだ、というところだろう。 先程もそう思ったところだった。 人が人を理解するのは難しい。 理解したと思っていても、理解したふりをしているだけだ。 それは寂しいという感情に似ている。

「泣きたくなったら、私がいるからな」
聞いてあげよう、そう鷹揚に言うと、「そんなん全然大丈夫じゃない」と顔を背けられた。 早くあの傲岸不遜な子供に戻って欲しい。そうでないと、別の感情が現れそうだ。






頭の螺子が外れてしまったのだ、とそうエドワードは言い訳をした。

「大佐だったら大丈夫だろうと思って」
「大丈夫だからって私を殺そうとしたのか?」
「だって、ほら、死んでないし!」
「死んでいたら今の会話はしてないな」
「だろ!」
「だろ、じゃない!!」
子供ではないのだ。 死がどういうものなのか知っているだろう。 ロイは自分がどんな言葉を欲しがっているのか、それを言葉に出すことで、相手に突きつけた。
「謝りなさい」
「何で?」
「私が死にかけたからだ」
「でも、大佐死んでないのに?」
「もしかしたら、死んでたかもしれないからだ」
「……………大佐ってさ」
「何だ?」
「オレの欲しい言葉をくれるよな」
「何だ、それは」
「こっちの話」

オレは叱ってくれる大人が欲しかったんだ。間違ったら、間違ったとそう言ってくれる。 目を閉ざしている間、誰かがオレを起こしに来るのを待ってたんだ。 動かないといけないと思ってたけど、どうしても自分ひとりじゃ動けなかったから。 自分で歩き出すための、そんな一押しが欲しかったんだ。全部わかってはいたけど、 それでも。誰もオレを責めなかった。だから、オレはどうしたらいいのか、わからなくなったんだ。

アンタはとても優しい人だよ。だから、ときどきアンタの言葉が聞きたくなる。 多分オレはどこかおかしいんだとそう思う。何かが欠けてたり、じゃなかったら、多すぎるのかもしれない。 でも、普通っていうものも雑多なところを寄せ集めて、平均にしたものにしか過ぎないんだから、普通じゃない奴もいるわけで。 だから、自業自得というわけだよ、大佐。まあせいぜいオレを直してくださいな。



執務室の机には、銃弾の痕がくっきりと穴を開けている。





エリシアやグレイシアへ向けるヒューズの気持ちが、どうしても遠いものとしか思えない。

ヒューズの家族への異常とも言えるほどの愛情の注ぎぶりに、誰もが苦笑いを浮かべてしまうほどのものだ。 愛し愛され、理想とも言える家族像とも言えた。 必要とし、必要とされ、そこにはしっかりとした繋がりが浮かび上がっていた。

今日も、ヒューズはその繋がりを手に、ロイと一緒に酒を飲んでいた。 家族自慢したくて堪らないらしく、手には愛妻、愛娘との三人の写真がある。 正直、鬱陶しいとも思わなくもなかったが、同時にそれは愛しいものの象徴であり、心が慰められる部分もあった。 それは自分には手に入らないものだとそう、諦めている部分があるのだとそう思う。

「ロイ。何ぼけーとしてんだ。ほら、これ、見ろよ。親子での写真。慰められるだろう。癒されるだろう」
「わかった。だから、その暑苦しい顔を押し付けるな」
「いい顔してるだろう。これが家族ってもんだ」

四角い枠で収められている写真の中で家族三人、笑顔でこちらを向いている。

「誰がこの写真を撮ったんだ」
写真を撮る際、ヒューズは自分が撮る側でいることが多かった。 「近所のおばさんに撮ってもらった。いやあ。正直、ぶれるかなあと思ってたけど、上手に撮れてるだろう。 また頼んで撮ってもらおうかな」
「その人も可哀想に」
恐らく、ヒューズの家族自慢に付き合わされることになっただろう。

「そう写真ばかり撮ることないだろう。そう変わったことがあるわけではなし」
「何言ってるんだ!ロイ。この可愛らしさ、愛らしさは毎日変わってるんだぞ!それを写真に収めなくてどうする!」
「そのうち、エリシアはこう言うぞ。パパ鬱陶しい。あっち行って」
声音を変えてみると、自分でも信じられないほど気持ち悪い。
「天使のように愛らしいエリシアがそう言うわけないだろう」
「そのうち、遊んでくれなくなって、いつの間にかいなくなってるんだ」
「おま、何を根拠にそう言うんだ!」
「親なんてそういうもんだろう」
「………でもな、子供は可愛いんだ。俺とグレイシアの子供だぞ」
「見ていればわかる」

それを期に、ヒューズは口を閉じた。

ロイもそんな家族とも言えるような、そんな愛情を注ぎたかった。 注いで、大事にしたかった。 しかし、心から溢れてくるのはそんな綺麗な感情ではない。 どろどろした、汚いとも言えるようなそんな感情なのだ。 感情の波は、日によって違う。 裏表のように、反する感情が浮かび上がるときもある。 それでも、誤算とも言えるものが頭を過ぎるのだ。
こんな筈ではなかったと。

「…………私は、きっと親にはなれないな」

エドワードの何か特別な存在になりたかった。
それは、とても優しい存在の筈だった。それをロイは望んでいたのだ、と今更ながら思った。





「ハボック少尉、どうしたの?」
子供は感情の機微を見抜くのが得意なのかもしれない。 そんなことをハボックは思っていた。 それとも、顔に出ていたのかもしれない。

「大将……」
情けない顔をしているのが自分でもわかる。
それなのに、エドワードは気にもせずに、ハボックのところへとやって来た。

「どうしたんだよ、ハボック少尉。またフラレタ?」
「大将、傷口が痛むんだけど」
「ごめん」
「謝られると余計、傷口が………」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「大佐に、悪口言ってきて」
「大佐に?」
僅かに眉を持ち上げる少年はその言葉の意味を理解したらしい。

そーですとも。そーですとも。全部は大佐が悪いのです。

「少尉、煙草ケムイ」
紫煙を払う仕草をするエドワードにハボックは遠慮することなく答える。
「今は喫煙タイムだし。今吸わないと死ぬ気がする」


「大佐のせいでフラレタの?」
「俺、ときどき大佐の部下やめたくなるよ」
「大佐が少尉の彼女、取ったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、八つ当たり…」
「少尉、大人気ない……」
「だけど、納得できねえんだよ」

エドワード相手に自分は一体何を言っているのだろう、とそうも思うが、だからといって、言葉を呑み込むことが出来ない。

「大体、大佐が変なんだよ。一人じゃ満足せずに、何人も何人もたらし込んで、どう考えても異常だろ。 一人いれば、それで十分じゃねえか。それなのに、何人も何人も」
「大佐は本当は好きな人がいないってこと?」
「そうだろ。明らかにそうだ。だから、他に何人もの相手と付き合える」
「つまりさ、大佐は寂しいってこと?」
エドワードの言い回しはハボックには妙に聞こえた。 寂しい、などという感情はロイ・マスタングには似合わない。
「寂しいから、たくさん女性に囲まれなきゃ気が済まないんだろ」
どこか棘のある口調に、少年特有の潔癖さが現れている気がした。
「大佐が寂しがりやか。強ち間違いじゃないかも」
ロイの親友であるヒューズが家族自慢をするものだから、余計に。 自分に持っていないものを、人は求めるものだから。
「オレ、これから大佐に寂しがりやって言ってやろうかな」
うひひひとエドワードは笑ってみせる。

「だとしたら、寂しいのを埋める人間が大佐の前に現れるといいんだけどな」
そうしたら、俺も都合いいし。

ハボックはフィルターのところまで達しようとしている煙草を手から抜き取った。 目の前には紫煙がたなびき、空へと吸い込まれていこうとしていた。






その日が来る度に、息苦しいような、そんな気分に陥る。 それは始まりの日でもあり、終わりの日でもあった。 まるで目隠しをして、処刑台へと上がっていくようなそんな感覚を漠然と感じる。 あるのは、根付いている感覚ゆえの間違いだとそう称されたらいいのに。





「今日は何の日?」
エドワードがそうロイにわざわざ尋ねた。 カウントダウンは始まっていて、それをエドワードは意識せずにいられなかった。
「今日は――――」

カレンダーを見遣る。 そこには、エドワードがわざわざペンで丸を囲んだ日がある。
その日付は――。

「誕生日か、誰かの?」
日付の意味を理解してないロイの言葉がすり抜けていく。
その日は特別な日だった。
「……オレの誕生日」

今日はエドワードの新しい誕生日。
自分の血溜まりの中で誕生し、悲鳴という産声を上げた。
真理という絶対の存在を見て、畏怖し、知識欲を刺激され、通行料を支払った。
それなのに、欲しかったものは手に入らず、代わりに片手片足、弟は生身の身体を失った。
今までの日常は完全に覆された。

いろいろなものを失った。

そして、また誕生日がやって来た。
その次も、その次も誕生日はやって来る。
それは生きている限り、終わらない。



「じゃあ、祝おうか。君の誕生日を」

生まれてきたくて、生まれてきたのではない。 どうして、生まれてきたことを祝えるのだ。 どうして喜ばしいなどと言えるのだ。 生まれてきたいなどとは一度も言ってないのに。 どうして生まれてきたことを祝うなどという気持ちになるのだろう。 それはまるで、決定事項のようだ。

そのことを言おうとして、口を開いたが、やがてエドワードは口を閉じた。
言えば、ロイが傷付くことを知っていたからだ。